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サラリーマンプログラマに向かない人の生きる道

2015.03.31

Updated by Ryo Shimizu on March 31, 2015, 14:44 pm JST

元日立で現VA Linuxの社員プログラマーらしき人が日立を辞めた後の転職を猛烈に後悔していることが話題になりました。

「年功序列などで働きづらい」として転職した元日立社員、転職後「日立のほうが良かった」と後悔して話題に/Slashdot

この騒動を受けた本人のブログエントリを拝見しましたが、個人的にはあまり同情できません。

騒動の内容と今後について

上記のエントリを読んでいただければ私の言いたいことはだいたい伝わると思います。

残念ながら、世の中には、どれだけそれが好きでも、また、それに関する才能があったとしても、会社員には向いていないタイプの人が居るのです。たぶん今回の騒動の主となる人は会社員としてプログラマをするのが向いていないのではないかと思います。

こういう傾向のプログラマは自尊心が高く、しかもその自尊心を裏付けるだけの根拠となるようなプログラムを書いたという実績や自負があります。そうなると本当に厄介です

本来、自信とは根拠のないものです(マンガで分かる心療内科・精神科in渋谷 第51回「あなたのプライドは、本物? ニセモノ?」)

ところが自信に根拠があるのだと思っていると、その根拠を絶えず確認しないではいられません。学歴や容姿、仕事の実績でもなんでもいいのですが、とにかく自分は自尊心を持っていいのだということをとにかく確認したがります。こういう人は、実は自らへの自信の無さから、普通の人よりも遥かに自分の過去の実績や何らかの拠り所を求め続けます。その結果、少しでも自尊心が傷つけられると、ソーシャルネットワークで拡散したり、大袈裟に騒ぎ立てたりします。

こういうタイプの人はいくらプログラマとして優秀でも、職業プログラマとして人の下で働くのには向いていません。会社内での給与や地位といった評価は、組織内での相対的なものです。社内で相対的な評価をされることは、常に自尊心を傷つけられるということでもあります。

自分よりプログラムが書ける人はいるのか、いるとしたら自分より多く給料をもらっているのは何故なのか、何が評価関数になっているのか、そういう瑣末なことが気になって気になって仕方なくなります。

こういう人は会社員に向いていないと思います。

そもそも、端から見れば、その給料が安く、その人自身を高く評価しない会社をわざわざ選んで転職したのはその人自身です。結局、勤め先に対する苦情を世間に対して表明するということは、天に唾するのと同じなのです。所詮自分の実力はその程度であると、自ら認めることができないわけです。

いや、実際には解っていても、そうした自分の能力の乏しさを直視できないため、周囲に対して攻撃的な言動を行うようになってしまいます。こうなると、もう収拾がつきません。

攻撃された側にしてみればその攻撃は全く理不尽ですし(自分から入りたいといってやってきた会社なわけだから)、不満があれば黙って退職なり転職なりすればいい話です。盛り場のタチの悪い飲み屋じゃあるまいし、会社に個人的な弱みを掴まれて逃げるに逃げられない、という状況とも思えません。

普通の人はこういう状況を「格好わるい」と思っているので、たとえ転職に失敗したと感じていたり、転職先で不満を感じたとしてもわざわざ大声で表明したりはしません。常に頭の中で「再び転職するか、それとも我慢するか」という選択肢をじっと考えながら、トレードオフをするのが普通です。

また、こうした経緯を全てオープンにされた上で、敢えて今彼を雇いたいと思う経営者はよっぽど珍しいのではないかと思います。なにしろ彼は転職先に不満があったらネットでぶちまけます。

どんな労働者も、時には経営者さえも、全く不満のない職場などあり得ません。経営者に至っては転職したくなっても容易に転職できない、選択肢を奪われた状態です。少し気に入らないことがあったくらいで「何を甘えたことを」としか思わないのが普通ではないでしょうか。

ただ、彼のような人物を欲する会社が全く存在しないわけでもないでしょうから、捨てる神あれば拾う神ありで、どこかしらに転職することは完全に不可能ではないでしょう。しかし、似たようなことを繰り返す傾向にあることは容易に想像がつきます。

私なら彼にフリーランスとして起業することをお勧めします。

フリーランスなら、明確な個人契約の守秘義務があるので、かなり酷い目にあってもついうっかりSNSで拡散するようなミスは冒しにくくなると思いますし、仕事内容も、頼まれた仕事を納得の行く内容で引き受けるわけですから会社員としてプログラマーをやるよりは自由度が高いはずです。

また、給料の保障はありませんが、一般的にフリーランスの方が会社員のプログラマーよりも報酬は高いと思います。腕一本で食ってるわけですから。本当に賢いのなら、まあそもそもソーシャルネットで職場の悪口をまき散らしたりしないわけですが、よほど頭が悪いのでもない限り、フリーランスとして失敗することはあり得ません。

ただし当然、ニーズのないところに仕事はありません。

ただ、彼が本当に自分の欠点を自覚して直したいと思っているのならば、まず市場原理というものを身を以て学ぶのが間違いなく近道でしょう。

彼がブログの最後の方に挙げたような仕事を本気で探しているとしたら、そんな仕事をしている会社そのものがとても少ないのではないかと思います。

それよりもまず、自分の能力が社会のどういう場面でどのように役立てるのか、そういう基本的なところから学ぶ姿勢が必要なのではないでしょうか。

私のところにも彼と似たようなタイプの、極めて優秀なプログラマーではあるけれども会社員に向いてないプログラマーというのが良く面接に来ます。私はそういう方々にはまずフリーランスになることを勧めます。

フリーランスが仕事を得る機会は、クラウドソーシングが発達してきたので昔程難しくなくなってきています。
今や金になるプログラムをかけるプログラマーは日本中で引っ張りだこです。
どの会社も一人でも多くの優秀なプログラマーを欲しています。

あくまでも「金になるプログラム」を書ける人だけですが。

そういう、雇われ仕事さえも嫌だという場合は、もういっそ自分で会社を作って起業することをお勧めします。
人の下で働くのに向いてないので、自分を自分で評価する組織を自分で作るのです。

そうして人を雇ってみて初めて、自分がどうしてそんな給料で働いていたのかという秘密が理解できるはずです。

私は基本的に人に起業することを勧めたりはしませんが、こういうケースだけは例外中の例外です。

昔、太田一樹くんという東大の学生が私のところにきて、「しばらく修行したい」というので、「君に教えることはなにもないよ」といいつつ席をつくってあげると、ものの一ヶ月で先輩プログラマーと喧嘩して、最後は会社を飛び出して「起業する」と言い出しました。

彼の能力はずば抜けて高かったので、「そうするといい」と私は彼を送り出すと、彼は大学の先輩と検索エンジンベンチャーである「プリファード・インフラストラクチャ(PFI)」という会社を作りました。

それからまたしばらくして、彼はシリコンバレーに渡り、今はTreasure Dataという会社を起業し、オープンソースのfluentdで成功を収めています。
しばらくした後、太田君に会うと、「やっぱり会社というのは大変だし、色々な人が必要だし、作ってみてから会社をやることの大変さが本当によくわかった。その結果、自分に足りないなにか、それを獲得するにはどうすればいいか理解することができた」と過去を振り返っていました。

起業にはリスクがつきものですが、賢い人は基本的に起業しても失敗することはまずありません。大成功はしなくても大失敗もしない、というのが賢い人に共通する特徴です。

仮に事業が失敗したとしても、サルガッソーの鈴木健がSmartNewsを立ち上げたように、易々と復活劇をものにすることができるのが賢い人たちに共通した特徴です。

自分が他人より賢いと思うのならば、遥かに賢くない人たちでもきちんと成功をものにしている起業という選択肢は、それほど荒唐無稽なものとは私は思いません。

転職でも起業でもフリーランスでもない第四の選択としては、「職業プログラマを辞める」という手もあります。大学院に入り、博士号を取得して大学教員として暮らしながら、プログラミングを研究テーマとしたり、もしくは全く無関係な仕事に就いて、趣味としてオープンソースのプログラミングをやるという方法です。

これなら自尊心を傷つけられることは少なくなるかもしれません。他の三つの方法は全て自尊心を傷つけます。

特に、起業、フリーランスといった選択は、精神的にタフでなければ勤まりません。しかし、教員や塾講師といった、人にものを教える立場ならば、自尊心が傷つくことはそれほど頻繁にはありません。しかも会社員と同じようにリスクもありません。そのうえ、運良く大学の講師や准教授になることができれば、自分のやりたいプログラミングを学生を使って思う存分研究できます。

国公立大学の教授になるためには博士号が必須なので、まずそれを取得することを目指して大学院に戻るというのは悪くないやり方だと思います。

贅沢を言わなければ、コンピュータの専門学校の講師をやるという手もあります。実際、若い頃は私も専門学校の講師でかなりの収入を得ていました。フリーランスをやりながら専門学校の講師をしている人も少なくありません。

このキャリアパスはなかなか悪くないと思います。
だいたい、40前に准教授や教授になれれば優秀な研究者と呼んでもらえるでしょう。
ただ、なにより重要なのは自覚することです。

この人の場合、一番問題だと思っているのは、自分自身を有能だと思っているというところだけが常に強調されていることです。自尊心を持つ事自体は問題ないのですが、それがどの程度の自尊心なのか、ということに関してもっと客観的に見てみた方がいいのではないでしょうか。

例えば、オープンソースのプログラマーとして見た場合、リーナス・トーバルズがLinuxを発表したのは22歳の頃です。リチャード・ストールマンがEmacsを開発したのも22歳。彼がGNUプロジェクトを開始したのは30歳です。もちろんEmacsの実績があったからこそGNUプロジェクトは始動できました。

さて、翻って見るに、この方は大学を卒業してから日立に就職して、それから転職しているので30歳前後でしょうか。いずれにせよ22歳未満ということはなさそうです。ということは、とりあえず22歳時点ではトーバルズ、ストールマンよりもオープンソースプログラマとしての実績がないのは明らかです。私自身もこの騒動まで彼のことも、彼の書いたコードのことも知りませんでした。

まつもとゆきひろさんがRubyを発表したのは30歳。まだチャンスがありそうです。

ジョン・マッカーシーがLISPを発表したのは33歳。希望が見えてきました。しかしマッカーシーが28歳の時に「人工知能(Artificial Intelligence)」というアイデアを考え、「ダートマス会議」を開催した時にはすでにダートマス大学の教授でした(その後MIT、そしてスタンフォード教授)。

ちなみにアイバン・サザーランドが世界初のインタラクティブコンピュータSketchpadを開発したのは25歳の時です。大学院博士論文でした。このSketchpadの成れの果てが、WindowsとMacです(アラン・ケイはサザランドの弟子)。もうひとつ、サザランドは頭部に装着するヘッドマウントディスプレイを発明しました。30歳の時です。その成れの果てが、Oculusを始めとする昨今のHMDです。

これほど輝かしい実績を持ったキラ星の如きプログラマー達とご自身の立場と年齢とを比較して、「自分はオープンソースの世界の天才である」と考えることができるなら、おめでとうございます。それは根拠のない自信、心理学で真の自尊感情と呼ばれるものを持っておられるということです。

そういう、真の自尊感情をもっている人は、ちょっとやそっとの煽りには負けません。
「外野はほざいてろ」
と本気で思えますし、それでいいのです。
可能性はゴビ砂漠の中に落ちた一粒のダイヤを探し出すくらい低いかもしれませんが、人生を賭してでも、こうした天才達に挑む価値はあります。

もし、こうした数々の天才と比較して、少しでも自信を無くしたり、そうした事実から目を背けなければやっていけないとしたら・・・やはりそういう人にはオープンソースプログラマーの道は向いていないのかもしれません。

オープンソースでプログラミングするということは、常に世界中にライバルがいるということです。

そこで必要とされるのは、カリスマ性です。

トーバルズが、ストールマンが、マッカーシーが、サザーランドが、どうして幾多の天才達を惹き付け、彼らのプロジェクトを無給で、そして進んで手伝わせることができたのか。
それは二点です。

ひとつはビジョンが明確で、ユニークであること。もうひとつは、根本的に、その人物がチャーミングであることです。

明確かつユニークなビジョンはそれだけで人を惹き付ける大きな力があります。

しかしいくら素晴らしいソフトを書いても、人に好かれない人のもとでは人は働きません。つまりオープンソースプロジェクトを成功させるために最も必要なのは、人に好かれるということなのです。

たとえばマウスを発明したダグラス・エンゲルバートが設立した(ARC; Augmentation Research Center)では、エンゲルバートの提唱した壮大なビジョンのもとに数々の優秀な才能が集まってきましたが、エンゲルバートには卓越した頭脳とは裏腹に致命的に人望がなく、多くの研究者が離脱し、ゼロックスのPARC(パロアルト研究所)に移って行き、エンゲルバートは失脚します。

エンゲルバートのもとを離れた研究者たちがいかに優秀であったかは、PARCによる数々の輝かしい発明をみれば明らかです。オブジェクト指向、イーサネット、GUI、ユビキタスコンピューティング、レーザープリンター。こうした現代の文明を支えるアイデアの多くは、PARCというたったひとつの研究所を起点として産まれました。
このPARCを訪れた二人の起業家が、その後どうなっていったかはあまりにも有名です。

要するに、研究者として成功するためには、まず人から好かれるという能力を身につける必要があります。
多少の失敗をしても「しょうがないな」と許してもらえる能力、多少言葉が過ぎても「まあそういう人だから」と許してもらえる能力というものだけは、残念ながら天賦のものなのかもしれません。

心無しか、私がアラン・ケイ氏に会った時も、彼は終始チャーミングな笑顔を浮かべていました。世界中が彼のアイデアに夢中になったのも解る気がします。ちなみにケイがXEROX Altoを作ったのは30歳の時です。

今回の一見で彼が学習し、チャーミングな救世主たらんことを切に願います。

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清水 亮(しみず・りょう)

新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。