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ネガティブの経済学02「アウトキャスティング思考」

ネガティブの経済学02「アウトキャスティング思考」

2019.11.19

Updated by Chikahiro Hanamura on November 19, 2019, 11:37 am JST

いつの世も、のけ者やよそ者、村八分やならず者というのは居る。協調性がなく、和を乱し、誰からも相手にされない人々。いや“人々”というのは適切ではないかもしれない。それぞれは孤立した者たちだからだ。こういう人々のことを英語では「アウトキャスト(outcast)」という。このアウトキャストの立場から見ることが時に必要なことがある。

現在立っているところから、未来を見ることを「フォアキャスティング(forecasting)」という。フォアキャストには天気予報という意味があるように、フォアキャスティング思考とは現時点から未来を予測し、先に課題を設定してからその解決に向けて改善を積み上げていく。それに対して視点場を未来に移し、その未来でどうなっていて欲しいのか、どうありたいのかを設定して現状を振り返ることを「バックキャスティング(backcasting)」と言う。バックキャスティング思考は、課題というより将来の願望を考え、そこに至る方策や道筋を考える逆のベクトルである。

このバックキャスティングという思考方法については、最近にわかに取り上げられている感があるかもしれない。しかし既に1976年にLovinsが”Bankward-looking analysis”という名称で唱えており、当初はエネルギー政策の中での電力需給計画として使われていた。1996年にDreborgが唱え、翌年のスウェーデンの環境保護省のレポートによって知られるところとなった。そこで唱えられたのは、「未来への思考」のフォアキャスティングと対をなす形で、長期的なサステナビリティに対しては「未来からの思考」であるバックキャスティングの方が有効であるという考え方だ。それを受けて、日本でも国土交通省や環境省などの長期ビジョン策定に活かされている。そのバックキャスティング思考の必要性が最近日本でも徐々にビジネスやイノベーションの領域で取り上げられ始めている。

両者で対をなしながら相互補完的な関係にある、このバックキャスティング思考とフォアキャスティング思考。しかしこれらは、実はどちらも無意識にしている前提がある。その前提とは、「発展していくこと、改良していくこと」を志向していることだ。無論、未来に起こる問題に対して、今から備えておく視点は有効かもしれないが、どちらの思考もその根底にあるのは、現状に満足できず、改良すべき問題点が残っているという認識である。しかしその思考法をしている限り答えが見つからないこともある。

「ある問題が発生した時と同じ枠組みで思考することで問題が解決するはずがない」とアインシュタインは述べている。この言葉が指し示すのは、問題が発生したときには、その外側からその問題を見つめねば問題の本質が見えないという意味であると理解している。

これまでにどれだけ課題を設定し、その解決を目指しても一向に人類の問題が減らないのは、ひょっとすると発想そのものの拠り所になる価値観を変えねばならないかもしれない。ベースとなるプラス側つまりポジティブ側の思考法が問題を引き起こしているのであれば、その枠組みの中でいくら思考を試みても、答えがない可能性がある。

そこで登場するのが、冒頭に示した、のけ者やならず者、つまりアウトキャストのまなざしである。これまでの価値観とは全く異なる外側から投げかける視線のことを、この論考では「アウトキャスティング(outcasting)」と名付けてみたい。もちろんアウトキャスティングなどという言葉は英語にはなく、私の造語である。拙著「まなざしのデザイン」では、同様の意味として「旅人のまなざし」と呼んでいたが、その村の秩序や価値観に属していない旅人もアウトキャストの一人である。それに加えて、まだ社会のルールに組み込まれていない子供のまなざし、通常とは異なる感覚で生きる芸術家のまなざしなどもここに含まれるだろう。そうしたルールや規範の外側から見つめる思考法を、ここでは改めて「アウトキャスティング思考」という言葉で考えてみたい。

アウトキャスティング思考とは、フォアキャスティングやバックキャスティングと同一ライン状にあるものではない。むしろ、その価値判断の軸から外れた全く違う軸で物事を考える思考法である。問題解決に向けて別の角度から思考のアプローチを向けるということではない。それよりもよりドラスティックに、「そもそもそれは問題なのか?」という前提条件を疑うことである。問題が問題でなくなれば、解決すべきものもなくなる。あるいは今フォーカスしている問題は真の問題の結果に過ぎず、より本質的な問題を見抜くためにアウトキャスティング思考が重要な役割を果たすことがあると考えている。

アウトキャスティング思考はトランプで言うジョーカーのようなものである。キングとクイーンに従う13組の中にはないカードである。それは秩序ではなく混沌をもたらすかもしれない。しかしこれまでの秩序が閉塞しているのであれば、それを全て無視してリセットし解体する混沌が必要である。そのために、これまで解決すべきであると必死にしがみついていた問題そのものを手放す勇気が必要になってくる。そうやって手放した時に初めて、自分の中でどうしても拭い去れない意識や常識の存在に気づくことがある。

「私たちの現状の何が問題なのか」「私たちのその願望は必要なのか」「今の状況はそれほど最悪なのか」「私たちは本当に発展しなければならないのか」「必死で努力することは必要なのか」「私たちを不幸せにしているのは誰なのか」「いやむしろ自分は被害者ではなく加害者なのではないか」「生きるために食べることは必要なのか」「そもそも私たちが生きていることに意味などあるのか」「いや、そもそも私たちという実体は存在しているのか…」。

これまで正しいと信じてきたこと、善悪や価値判断を一度停止して根底から考えること。それは非常識であり、時に残酷であり無情なものに思えるかもしれない。ジョーカーとはいまの常識や秩序をジョークで笑い飛ばす者であり、まさにならず者の発想である。それは単なる相対化に見えるかもしれないが、閉塞した今の状況に対して取りつく島がない時に、こうしたジョーカーのアウトキャスティング思考が持つ破壊力が私たちの何かを切り開く可能性があるのではないか。

アウトキャスティング思考の際に大切なのは、視線を投げかけて終わってはいけないということだ。真の目的は相対化することではなく、私たちの幸せの捉え方を変えることだ。アウトキャスティング思考を入り口にして、哲学し洞察することを諦めずにいれば、いつか深い真理へと導かれるかもしれない。否定や相対化を何度も繰り返した果てに、否定しきれないものへ到達できれば私たちは本当の答えにたどり着いていることだろう。それには時間が必要なことがある。しかしその時間そのものも、アウトキャスティング思考で考えるとまた幻想ではないとは言い切れないのだが。

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ハナムラチカヒロ

1976年生まれ。博士(緑地環境計画)。大阪府立大学経済学研究科准教授。ランドスケープデザインをベースに、風景へのまなざしを変える「トランスケープ / TranScape」という独自の理論や領域横断的な研究に基づいた表現活動を行う。大規模病院の入院患者に向けた霧とシャボン玉のインスタレーション、バングラデシュの貧困コミュニティのための彫刻堤防などの制作、モエレ沼公園での花火のプロデュースなど、領域横断的な表現を行うだけでなく、時々自身も俳優として映画や舞台に立つ。「霧はれて光きたる春」で第1回日本空間デザイン大賞・日本経済新聞社賞受賞。著書『まなざしのデザイン:〈世界の見方〉を変える方法』(2017年、NTT出版)で平成30年度日本造園学会賞受賞。