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「閉じこもるインターネット」に対するセレンディピティの有効性

2013.09.12

Updated by yomoyomo on September 12, 2013, 17:30 pm JST

前回、自分はカバンなどまったく興味ないと思っていたのに、気が付いたらその話ばかりしているのを指摘されて、結果カバンのプロデュースをいくつもやることになったといういしたにまさきさんの話を紹介しましたが、これを聞いてワタシは、『ウェブログ・ハンドブック―ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス』においてレベッカ・ブラッドが使っていた「対象を絞った思いがけない発見(targeted serendipity)」という表現を思い出していました。

レベッカ・ブラッドは、優れたブログはその読者が気付いていない、けれども提示されてみるとこれこそ読みたいものだというものを読者に紹介するという意味でこの言葉を使っています。しかし、いしたにさんの例を出すまでもなく、ブログにはその作者であるブロガー自身にも、自分は実はこんな分野にも興味を持っていたのだという自己認識、自己発見をもたらす側面もあります。

そうした意味で「対象を絞った思いがけない発見(targeted serendipity)」という表現は、読者だけでなくブロガー自身にも当てはまると思いますが、この背景にはブログをやることで自分の興味を拡大し、書き手として成長できるという前向きな認識があります。

この当時においても、こうした善導的な見方に懐疑的な意見がありました。例えば、キャス・サンスティーンが『インターネットは民主主義の敵か』で唱えたエコーチェンバー論、すなわちインターネットのユーザは、自分が読みたいものを選択できるようになった結果、似通った意見ばかりに接することで集団分極化しているというものです。

この分極化は特に政治問題に顕著で、ティム・オライリーも右派の人たちに読まれる本と左派の人たちに読まれる本がほとんど重ならない話を紹介していましたが、当然レベッカ・ブラッドもこの論は承知しており、『ウェブログ・ハンドブック』において懸念を述べています。

 政治問題に興味のあるウェブロガーは――左派も右派も両方とも――自分達の主張に合致するウェブログや出版物しかリンクしたり読んだりせず、自分達の声しか響かないエコー室にますます閉じこもっているように見える。ウェブログには、自ら参加するオーディエンスに、期待通り面白くて役に立つニュースや雑学知識を提供することで、対象を絞った思いがけない発見(targeted serendipity)を作り出す、他に並ぶもののない力がある。しかし、思いがけない発見という概念そのものを実現するには、提供される発見にある程度意外性がないといけない。あらかじめ決まった世界観に合うようにニュース記事が厳格に選択されてしまうと、人間のフィルタは宣伝機関と大差なくなってしまう。(218ページ)

『ウェブログ・ハンドブック』が刊行されて10年、ウェブが実現するパーソナライズは、洗練の一途を辿っています。Facebook に代表されるソーシャルネットワークサービスの隆盛とともにネットにおいても自分と近い属性の人間とだけ交流するのが自然になり、検索結果さえもパーソナライズされるところまできました。イーライ・パリサーが『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』で論じた「フィルターバブル」問題です。

201309121730-1.jpg今回紹介する、イーサン・ザッカーマン(Ethan Zuckerman)の初の著書『Rewire: Digital Cosmopolitans in the Age of Connection』の主要な論点の一つに、このフィルターバブルを乗り越えるにはどうしたらよいかという問題意識があります。

「つながりの時代におけるデジタル国際人」という書名はちょっとスカした感じにとられるかもしれませんが、彼はアフリカ在住経験が長く(彼のブログの名前は、ガーナの首都の名前を冠した ... My heart's in Accra だったりします)、アジア滞在経験が長いレベッカ・マッキノンとともにGlobal Voices Online日本語版)を立ち上げた人物です。

現在彼は MIT の市民メディアセンターのディレクターを務めていますが、2011年には当時 MIT メディア・ラボの所長に就任したばかりの伊藤穰一とともに Foreign Policy において100人の世界的な思想家に選ばれています。

そのザッカーマンが『Rewire』において指摘するのは、インターネットによりかつては考えられないほど世界中のニュースや知見に触れることが可能になり、実際グローバル化する世界において正しい判断を行うにはそれが必要なはずなのに、現実には外国より国内のニュース記事を優先し、ソーシャルネットワークにおいて自分に近い属性の人間とだけ接し、「フィルターバブル」に安住するインターネットユーザの姿です。

この内向き志向はインターネットだけでなく、実はテレビなど既存メディアにも当てはまることですが、現在のインターネットでは欲しいものは手に入るが、それが本当に必要なものとは限らず、ソーシャルネットワーク隆盛の「つながりの時代」において、本当に必要な情報が見えにくくなっているとザッカーマンは主張します。問題なのは情報へのアクセスではなく、むしろその情報に注意を向けさせること自体なのだと。

世界はまだフラットではなく、グローバリゼーションは始まったばかりで、我々にはインターネットをよりよいものにし、「つなぎ直し(Rewire)」を行う必要があると彼は説きます。

「つなぎ直し」を行うのに重要な存在として、異なる文化背景を翻訳する「橋渡し役(bridge figures)」と、自分と近い属性の人間とつながるだけでは得られない文脈や、普段考えることのない(しかし、実は自分と無関係でない)問題に注意を向けるための「人工的なセレンディピティ(engineered serendipity)」をザッカーマンは挙げます。

ある意味、ザッカーマンらが立ち上げた Global Voices Online は、この二つを実現するためのメディアとも言えるでしょう。このうち、「橋渡し役」のほうは割と想像しやすいと思います。ワタシ自身翻訳を少しばかりやっていますが、本書で扱う「翻訳」は複数の文化背景を理解し、片方をもう片方に伝える人間による翻訳だけでなく、徐々にさまになりつつある機械翻訳やクラウドソーシングによる人海戦術も含みます。

一方で「人工的なセレンディピティ」のほうは(セレンディピティという言葉自体に対応する日本語の訳語がないせいもありますが)説明が難しいのですが、1970年代末のイラン革命の話に始まり、ジャーニーが YouTube で新しいヴォーカリストを発見した話あたりまで年代も地理的にも多彩な話題を扱う本書は、本全体をかけて「人工的なセレンディピティ」を実現しようとしているとも読めます。

ワタシが見た範囲では、本書は好意的に受け入れられているようで、例えばティム・オライリーは、近頃はインターネットがすべてを変えてしまっていると非難するような本、しかも注目を集めるために釣り言説に頼り、気に入らない人を攻撃するようなものでお腹いっぱいだが、本書はインターネットが人間社会の何を変え、何を変えないのかについて思慮深い探求がなされており、私が長年読んできたインターネットについての本で最高と最大限の賛辞を送っています。

ただ一方で本書の大胆で楽観的な視座については、これこそユーゲニー・モロゾフが『To Save Everything, Click Here: Technology, Solutionism, and the Urge to Fix Problems that Don't Exist』で批判する技術解決主義の愚かさであり、イーサン・ザッカーマンはサイバーユートピアンに過ぎないという激烈な批判が(かつて彼を「100人の世界的な思想家」リストに含めた)Foregin Policy に掲載され、それに対してザッカーマンも反論を寄せる一幕もありました。

そして、著者であるイーサン・ザッカーマン自身が一番お気に入りだというアンドリュー・ゴリスの書評は、この本に推薦文を寄せている人の人選にシニカルな目を向けます。クレイ・シャーキー(邦訳に『みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす』がある)、ダナ・ボイド(ソーシャルネットワーク研究者)、ヨハイ・ベンクラー(今年『協力がつくる社会―ペンギンとリヴァイアサン』が出た)、デヴィッド・ワインバーガー(クルートレイン宣言の共著者、邦訳に『インターネットはいかに知の秩序を変えるか? - デジタルの無秩序がもつ力』がある)、クレイグ・ニューマーク(craigslist の創業者)の5人は、いずれもリベラルで、どちらかというと善導的で、それこそオライリーが主催するカンファレンスに講演者として呼ばれるような、つまりはイーサン・ザッカーマンと同じトライブの人間であり、セレンディピティが欠けるというわけです。

メディアが内向き志向というのはアメリカに限った話でなく、日本にもかなり当てはまる話です。Global Voices Online の創設者仲間であるレベッカ・マッキノンの(同じくワールドワイドな視座を持つ)『Consent of the Networked: The Worldwide Struggle For Internet Freedom』の邦訳が本文執筆時点で出ていないことを鑑みると、『Rewire』も日本語訳を期待するのは難しいかもしれません。

しかし、実は『Rewire』の主題は、イーサン・ザッカーマンが TEDGlobal 2010 で行った講演「グローバル・ボイスに耳を傾ける」で大体語られており、これだけでもご覧になることをお勧めします。

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。