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蒸気機関車 イメージ

技術の進歩は受け入れるしかないが

人と技術と情報の境界面を探る #005

2017.05.22

Updated by Shinya Matsuura on May 22, 2017, 07:00 am JST

技術革新がグローバリズムによる高速の経済運動を引き起こし、その結果が「風が吹けば桶屋が儲かる」のように連鎖して、ポピュリズムの台頭を招くーーポピュリズムに賢く危機を乗り切る知恵はない。新たな状況に直面して恐怖に身がすくんでいる人々に、耳に入りやすいデマを流し込んでいるだけだから、ポピュリズムでは事態は解決しない。

経済の高速化の根本には技術革新による、情報と物流の高速化、低コスト化がある。人類の歴史を振り返ると、大きな技術革新があった時、人類は技術を社会に合わせるのではなく、技術に合わせて社会を変えてきた。技術を封じ込めて、これまでの社会体制を維持しようとする試みはすべて失敗した。

18世紀イギリスに始まった産業革命では、蒸気機関という新動力によって社会が変化した。工芸品の生産性は劇的に向上し、工房は工場へと変化した。工場労働者という職業が発生し、農業従事者からの職業転換が発生した。鉄道により陸上の物流は、高速・大規模化した。蒸気船によって、海上の物流も大規模・高速化した。社会的には貧富の格差の拡大と並行して資本家という社会階層が形成されるようになった。

他方で、技術の排斥運動も起きた。19世紀初頭、1811年から17年にかけて、イギリスで起きたラッダイト運動が有名である。ラッダイト運動は、蒸気機関で動く織機を、「職を奪うもの」として破壊する社会運動であったが、実際には17世紀末から機械に対する反感は広がっており、時として機械の破壊という実力行使として現れていた。イギリスでは1721年に機械の破壊が非合法化されている。その後刑罰は重くなっていき、1812年には機械の破壊が死罪となった。つまり、それほど機械の破壊行為が頻発したのだ。

もうひとつ、進歩する技術への社会からの抵抗として有名なのは赤旗法だ。イギリスにおいて19世紀後半に施行された法律である。自動車——といっても当時は内燃機関ではなく蒸気機関を使った蒸気自動車だったのだが——は赤い旗を持った者が自動車の前を歩かなければ道路を走ってはいけないとする法律である。そうしなければ自動車は危険であると考えられたのだ。当然、自動車は前を歩く赤旗を持った者以上の速度を出すことはできない。

今の感覚からすれば馬車を引く馬のほうがいつ暴走するかも分からず危険に感じる。しかし当時のイギリスでは馬は御者で押さえることができるが、火力を使う蒸気自動車はいつ故障するかも分からず(実際、初期の蒸気機関はよく爆発事故を起こした)、また、周囲の馬を驚かせて暴走を引き起こす危険性があると考えられたのだった。
 
 
急速に進歩する科学技術への、社会の側からの抵抗は、力強い伝承を生むこともある。アメリカでは誰でも知っているジョン・ヘンリーの物語はその一例だ。19世紀、鉄道敷設に携わる黒人労働者ジョン・ヘンリーは、誰よりも素早くツルハシを扱い、トンネルを掘り進めることができた。だが、彼の雇い主は、効率を求めて蒸気ショベルを購入する。ジョン・ヘンリーは自らの誇りをかけて、蒸気ショベルにトンネル掘削の勝負を挑む。肉体の限界までツルハシをふるった彼は蒸気ショベルに勝利するが、倒れ、この世を去る。

この伝承には様々なバリエーションがある。別のバージョンではジョン・ヘンリーはハンマーをふるって犬釘でレールを枕木に固定しており、戦う相手は蒸気ハンマーだ。彼が掘るはトンネルそのものではなく、ダイナマイトによる発破のための穴、というバリエーションもある。果ては、ジョン・ヘンリーは死なず、勝負の後、家族と幸せに暮らしたというバリエーションすら存在する。いずれのバリエージョンにおいても、ジョン・ヘンリーは筋骨逞しい大男で、資本家が導入する蒸気機械に対して肉体ひとつで立ち向かう英雄として描写される。

19世紀、急速に進歩する科学技術はこのような、様々な抵抗を生み出した。が、それらが社会に何をもたらしたかを考えると、答えは「なにもない」ということになる。ラッダイト運動は、社会になんらかの福音をもたらしたか。答えはノーで、なにももたらさなかった。

赤旗法はイギリスにおける自動車の発達と産業化を阻害し、イギリスの自動車産業が、ドイツやフランスに対して後れをとるという結果に終わった。

ジョン・ヘンリーの物語は、あらかたのバリエーションが、ジョン・ヘンリーの死で終わるというところに、この伝承を生み出した民衆の諦観を見いだすことができる。それまでの生活を破壊する蒸気機械に、英雄ジョン・ヘンリーは自らの肉体で立ち向かった。しかし彼は勝利の代償に命を失う。では、彼の死後、人々の生活はどうなったのか?

答えは適応だ、ジョン・ヘンリーのような強靱な肉体を持たない人々は、蒸気機械に達向かうのではなく、蒸気機械がある環境に適応し、新たな技能を身につけ、新たな職を得て生きていくしかないのである。ジョン・ヘンリーは、超人的肉体により人々の希望となり、同時に適応のための時間的猶予を作ったと言えるのかも知れない。

科学技術の進歩に対して、いかに拒否反応があったとしても、抵抗には意味がない——これが歴史の示す事実である。なぜ抵抗は無意味なのか。答えは「科学技術は、人間社会に圧倒的な経済的利益をもたらすから」だ。ただし、すべての人々が経済的利益を受け取るわけではない。むしろ、基調としては、経済的利益は不当に偏り、貧富の格差を拡大してきた。

科学技術の進歩を否定しても良いことはなにもない。しかし、受け入れると、貧富の格差が拡大し、社会を不安定にする。結局のところ19世紀以降現在に至る近代社会は、科学技術と経済との相互作用の間で、我々が幸福になったり不幸になったりするプロセスとして位置付けることができる。今は、不幸になる過程で、ポピュリズムが人々に「悪いのはあいつだ」とささやいて勢力を伸ばすフェーズにあると言えるだろう。

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松浦晋也(まつうら・しんや)

「自動運転の論点」編集委員。ノンフィクション・ライター。宇宙作家クラブ会員。 1962年東京都出身。日経BP社記者を経て2000年に独立。航空宇宙分野、メカニカル・エンジニアリング、パソコン、通信・放送分野などで執筆活動を行っている。自動車1台、バイク2台、自転車7台の乗り物持ち。

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