
エリートと教養11 現代日本語考 5 日本語を読む
2020.11.09

「音楽 その光と塩」 9. 「能」とは何か?
2020.11.02

反東京としての地方建築を歩く12 「前川國男のまち、弘前」
2020.10.22

学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?
2020.10.07
「私」は漱石によって作られた、とかつて書きましたが、「私」の一部(それも軽視できないほどの部分)には賢治も入り込んでいます。かといって、世にある「ケンジアン」とは、自分は少し違うように思っていますが。
2021.01.13
そもそも流れてくる情報には「事実」と「主張」が一緒に溶け込んでいる。マスメディアであってもウェブメディアであっても、メディアとはその性質上、「ある見方」の下で情報を発信するものだからだ。
2021.01.12
ドナルド・トランプが度々口にする「フェイクニュース」。これは、2017年1月に大統領選後初めて行われた記者会見の場で、アメリカのCNNの記者に対してトランプが言い放ち、日本でも話題を呼んだ。
2021.01.07
群馬県では、磯崎新が設計した高崎市の群馬県立近代美術館(1974年)が大きなホワイトキューブを備えたアートの器として、いち早く登場した。これは立方体のフレームを反復しており、1970年代に彼が展開したフォルマリズム的なデザインの代表作である。
2021.01.07
「非常識」とは一体何を指すのだろうか。それがはっきりと明文化されていそうなのが「法律」である。法治国家に住む私たちは、自分の行動の基準を独裁者に決めてもらうのでもなく、企業に委託するのでもなく、法律に委ねることにしている。
2020.12.25
「常識」というものは、どのようにして生まれるのだろうか。そもそも、私たちが何かを常識として受け入れる時に辿る道筋は、それほど多くはない。考えられるのは、主として二つのアプローチである。
2020.12.24
私たちは、一度現実として受け入れたことを疑いたくない。特にそれがずっと信じられてきたことや、大勢の人々が同じように信じるものなら、なおさら疑いを立てるのに勇気が必要だ。地球は平らであり、太陽や星々は地球の周りを回転している地球平面説は、多くの人に否定された「空想」である。
2020.12.12
前回、最後は七・五の詩とそれに重なる歌の話になりました。私の過去の中で、もう一つの七・五の世界は、旧制高校の寮歌です。無論、私は新制度の人間ですが、父親は、四、五歳の私に、一高の寮歌を歌わせようとしました。中でも最も有名なのは『嗚呼玉杯に花うけて』です。後に佐藤紅緑が同名の小説を書いたほど、広く知られた歌になりました。
2020.11.26
賢治の作品を読んで誰もが気付く一つの特徴は、独特のオノマトペがふんだんに盛り込まれていることです。「北守将軍」では、ソンバーユ将軍が人馬もろともに、三人の医者の許を訪れるときの、「ぎっ ばっ ふう」、「月夜のでんしんばしら」では「ドッテテ ドッテテ ドッテテ ド」、「風の又三郎」では「どっどど どどうど どどうど どどう」などなど、枚挙にいとまがありません。
2020.11.09
いろいろな機会に、私がヨーロッパのクラシック音楽には一応の素養があり、なかでもチェロを永年弾いてきたことについては、文章を書き散らしてきました。しかし、このシリーズでは、僅かですが日本の古典芸能である能・謡曲に関しても、むしろ西洋音楽よりも早い時期から学ばされたと述べただけで、その詳細には口をつぐんできました。本稿では少しだけ、その背景をお伝えすることから始めたいと思います。
2020.11.02