ヴィジュアル・ポエトリーを追求している詩人、松井茂さんは「型」にこだわる詩人として知られている。型に沿いつつ新しい表現を見せてくれるのが松井流。その松井さんに〈★〉(2003)という短歌を擬した、奇妙な詩がある。詩を図形的に見るという意味での「視覚詩(ヴィジュアル・ポエトリー)」のひとつだ。
▼図1──松井茂さんの詩〈★〉の最初の5首。
この詩は、漢数字「一、二、三」のみを使って短歌の形式「五七五七七」にあわせ、さまざまな組み合わせを展開している。一見、意味不明だが、子細に見ていくと少しわかってくる。
短歌といえば、声にだして詠むもの。しかし、最初の句、「三一二二一 一二三一二三一 二一一二三 二三一二三一二 三一二三一二三」をどのように詠めばよいのだろうか。「いち、に、さん」と、「ひ、ふ、み」を試してみた。
短歌の「五七五七七」の一音一語のリズムにあうのはもちろん「ひ、ふ、み」。これで詠んでみると「みひふふひ ひふみひふみひ ふひひふみ ふみひふみひふ みひふみひふみ」。
調子をつけて詠むと、意味不明ながら情景が目に浮かぶような感じがする。短歌はたった31文字で世界をあらわしている、といわれるが、たった3文字でも情景が浮かぶということは、「五七五七七」がもたらすリズムにイメージ力があるのかもしれない。
しかも、この詩は全部で50首あるが、同じ構成の句はないそうだ(みな同じにみえるので確認してないが、最初の10首くらいは全部違っていた)。そこにある衝撃が隠されていた。
この句集の、各々の句の数を数えた人がいた。「三一二二一」だったら「3+1+2+2+1=9」という具合。この詩集の巻末の解題を書いている詩人の上村弘雄さんは、50首すべてを数えたらしい。すると、「五七五七七」の第2、第4、第5の「七」のところの数を足すと、すべて「13、14、15」の並びになっていることに気づいた。これがある種のリズムをもたらしているのかもしれない。
これは、一見ランダムにしか見えないのに、アルゴリズムで構成されている規則的な短歌ということになる。いわゆる短歌とは真逆のようにも感じるが、短歌のリズム性をより浮上させた、ということもできる。もちろん、本人がこのことを表明しているわけではないので、ほとんどの人はスルーしてしまうだろう。
ちなみに、松井さんのこだわりは『Camouflage』(2008〜09)という詩集にも現れている。この詩集は13回に分けてつくられた同じテーマの小冊子を箱に入れたものだが、これを詩といってよいか悩ましい作品だ。
各々1ページのA4全面に、45度の斜めの直線が重なりあわずに縦横に張り巡らされ、1集15ページにわたって展開されている。
▼図2──松井茂さんの詩〈Camouflage〉の第1集の冒頭の視覚詩。
各集のおわりに、小さく次のように記されている。
Material:
84,000 characters
In detail:
/x 42,000
/x 42,000
はたしてこれはどういう意味だろうか、と一瞬頭を悩ます。それは、ページを縦横に走る斜めの線が、2つのスラッシュ「/、/」でつくられていて、しかも1冊の集全体の個数が84,000個であることを示していた。まさしく、これも詩(視覚詩)のひとつだった。松井さんによると、13集に収録してある195枚の図に、ひとつとして同じ模様はないという。
故大橋巨泉さんが昔(1969)担当した万年筆メーカーのテレビCMコピーを今でも覚えている。「みじかびの、きゃぷりてとれば、すぎちょびれ、すぎかきすらの、はっぱふみふみ」。大橋さんが即興でつくったとされている。
▼図3
一瞬、意味不明と感じるが、随所に「短い、(万年筆の)キャップ、すぐ書ける」などの語が巧妙に散りばめられ、よく練られている。大橋さんは、ことばに関して天才的な感性を持っていたが、これはCMなので、台本もなしにその場で「即興」で語ったというのは、あまり考えられない。「即興」が話題づくりだったかどうかはともかく、大橋さんのキャラクターがそれにリアリティを与えていた。
こんな意味不明の語を何十年たっても覚えている、というのは、やはりリズミカルだったからだろう。
余談だが、ぼくは中学1年のとき、映画『ウエスト・サイド物語』(1961)に感動して、その劇中歌「クール」をラジオから録音して、歌詞を丸暗記したことがあった。
当時は、まだ英語の勉強をはじめたばかりだったので、意味がわからず、歌詞はすべてカタカナで書き写した。それが数十年たった今でも覚えていて、そらんじることができる。それもやはりリズムがあるからだろう。
リズムはなぜ、記憶させ、イメージも生みだすことができるのだろうか。おそらく、パターンの繰り返しにありそうだ。
こうした五七五七七調や、七五調、五七調、五七五調は総称して「七五調」とよばれる。日本語の歌詞や標語の多くはこの七五調。なかでも、交通標語のほとんどは五七五調のオンパレード。
たとえば、「踏切だ、鳴らせ心の、警報機」「飛び出すな、車は急に、止まれない」「運転は、ゆずるやさしさ、待つ心」「気のゆるみ、あなたの命、大切に」……。また、七七調では「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」「注意一秒、けが一生」。五七五七七調ではこんなのもある。「その作業、一息ついて、再確認、慣れた作業に、落とし穴」。
最初の七五調といわれる、『古事記』『日本書紀』にある、「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」は、実際には、万葉仮名で書かれ、五七五七七の区切りもない。区切りがないと突然リズムを失う。先述の標語の句読点をとって、間を置かずに、一気に読んでも、文章の魅力はなくなるし、覚えるのも面倒になる。句読点がもたらす「間」の重要性が高まる。
別宮(べっく)貞徳さんは、この五七五七七の間にある「間」によって四拍子がつくられ、それが心地よさを生んでいる、と説く(『日本語のリズム』)。
たとえば、「みじかびの」の5音と「きゃぷりてとれば」の7音の間は、やや長めの休止があり、「きゃぷりてとれば」と「すぎちょびれ」の間の休止は短い。つまり五七五七七は、5音のあとに3音の休止、7音のあとに1音の休止がはさまる、すべて8音で展開している四拍子だ、という。
ここにも日本語の特性がからんでいる。日本語は8音に1字ずつあてることができる、音数と字数が同じ言語なのだ。たとえば、「みじかびの」の五文字が五音をあらわすという具合。
日本語特有の、1音に1字で、1音の長さが同じになる言語を「等時性」の言語というようだ。ほかの言語、英語などのアルファベット圏の言語はもちろん、ハングルも等時性の言語ではない。
日本の七五調の5文字は、漢詩の、一句が漢字5文字でつくられた五言詩に由来しているらしい。だが、漢詩で漢字5文字といっても発音は5音以上になるので、中国語も等時性ではない。
そして、別宮さんは続ける。8音セットだが、実はそのなかも細かく区切れている。たとえば、「みじかびの」は「みじ/かび/の」、「きゃぷりてとれば」は「きゃぷ/りて/とれ/ば」のように2音ずつの区切りになっている(この場合促音は1音に加えていない)。「の」や「ば」のように1音で終わっているところは1音分の休符が入る。そのため、8音セットということでみれば、「みじかびの」の「の」のあとに、1音プラス2音の休符が入っていることになる。
余談だが、クィーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の有名なリズム、「ドン、ドン、パン」は、「ドン/ドン」と「パン+1音の休符」になっていて、今まで述べてきた2音セットのリズムになっている、と感じた。この曲は、世界ばかりではなく、日本でも大ヒットした。日本人に受け入れやすい要素が入っていたからかもしれない。
この2音セットは、長い固有名詞を略すときに多用されている。「2音×2」の、4文字だ。たとえば外来語では、「パーソナル・コンピュータ」を「パソ/コン」、「ソニープラザ」を「ソニ/プラ」、「ロリータ・コンプレックス」を「ロリ/コン」、「ハイ・テクノロジー」を「ハイ/テク」など。日本語だと、「写真植字」が「写植」、「活字印刷」が「活版」、「漫画研究会」を「漫研」、「軽音楽部」を「軽音」など。
「下北沢」を「下北」と略すところをみると、なんとしてでも発音を4文字にしたい心意気を感じる。名称がわからないときの表記の仕方も「○」1つではなく、たいてい「○○」と「○」を2つ使う。
「チノパン」は、綾織りの綿布でつくられたパンツのことだが、「チノパンツ」では、たった1文字増えただけなのに、なんとも坐りが悪い。やはり4文字の「チノパン」がしっくりくる。これらのことは、1語1音という日本語の特性と、短歌が四拍子でつくられていることと無関係ではないだろう。日本語が、1語1音になったのは、かなの誕生と密接にかかわっているが、これは別稿に譲る。
英語を分節に分けてみると三拍子でできていることがわかる。ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞を試しに分節で分けてみよう。
Imagine / there’s / no heaven
It’s easy / if you / try
No hell / below / us
Above us / only / sky
Imagine / all / the people
living / for / today
見事に三文節に分けられる。「見る前に飛べ」ということわざの英語は「Leap / before / you look」。もうひとつ「優雅な生活が最高の復讐である」ということわざの英語「Living well / is the / best revenge」。このようにみてくると、どうやら英語は、日本語と違って三拍子のように思われる。
この英語を含めた欧米語のリズム感は、単語の発音の高低差がリズムとなっている。いわばアップ・アンド・ダウンが激しい言語。一方、日本語は、方言はともかく基本的に抑揚は少ない。
ほかのところでも触れているが、これは、西洋と日本の空間認識観から説明できる。すごく大まかに言えば、西洋は垂直思考で、日本は水平思考だからだ。西洋の垂直性は、唯一の神がいる天と地をつなぐ軸からきている。日本は、アジア特有の偏在する神による水平観だ。点景による水平観といってもよいだろう。
外村直彦さんがすばらしい例を挙げている。チェスの駒は立っているが、将棋の駒は平置きだ。日本では明治以降、洋書が輸入されて本も書棚に縦に置くようになったが、それまでの和書はすべて平置きで積み重ねられていた。洋書は、縦置きに堪えられるように、表紙も堅固につくられていたが、和書は、縦置きをまったく考慮していない構造である。
荷物の形も、西洋では、トランクは縦に置き、肩掛けのカバンやハンドバッグはいわば縦に吊される。日本の荷物は、行李は床に横に置き、風呂敷で包んだものは水平のまま持ち歩く。「西洋人にとっての天国は自分の真上の空高くだが、日本人にとっての極楽浄土は海の向こうの彼方である」(外村『添う文化と突く文化』)。
このように欧米語は、文字自体にリズムを内在しているが、日本語は、ことば自体が平坦なので、それを四拍子にもとづいた2音セットなどで補っている。それを支えているのが、七五調に導入されている休符。休符が入ることで、8音のパターンが完成し、その繰り返しがリズムを生む。
日本語では、単語同士を結びつけるのが「てにをは」。だが、その1音が加わることで、2音セットのリズムが崩れる。そこでどうしても1音分の休符が必要となる。
西洋音楽の、ワルツの三拍子は、欧米語が持つ三拍子からきたのではない。なんと、キリスト教の三位一体説(父なる神・神の子キリスト・聖霊)の「三」からきたとしたら驚くだろうか。といっても、西洋音楽はもともと聖歌からはじまっているので、信仰心がベースにあったとしてもおかしくない。
西洋音楽の楽譜は、9世紀に、聖歌の歌詞の上にネウマとよばれた、音の高さ、いわばだ円のアクセント記号を記すところからはじまった。
▼図4──11世紀ごろのネウマ。(『楽譜の歴史』皆川達雄、音楽之友社、1985)
キリスト教は、ほかの宗教に比べても、均一化、同一化への欲望が強い。十字軍以来、異教徒を排除してキリスト教への同化を求める傾向が、特に強まった。聖歌にも、みな同じように歌えることが求められた。その現れが楽譜志向。邦楽にしても、アラブ音楽にしても、もともと楽譜はない。したがって、楽譜という文化は、ヨーロッパのキリスト教圏から発達したといえる。
10世紀になると、音の高さをランクづけするために横線を4本入れるようになった。譜線の発明である。単旋律は4本、多声曲は5本、鍵盤曲は6本と使い分けていたが、17世紀には、すべて5本線にまとまっていく。同時に、小節線も発明され、楽譜の基本的構成要素はほぼできあがった。
▼図5──5本の譜線が引かれている13世紀の楽譜。ネウマは四角形が基本となった。譜線は4本が標準で、この5本線は例外。(『楽譜の歴史』皆川達雄、音楽之友社、1985)
▼図6──ドイツ初期バロックの宮廷オルガン奏者で作曲家、ザムエル・シャイトの鍵盤曲集『新奏法譜集』(1642)。垂直の小節線が加わっている。(『楽譜の歴史』皆川達雄、音楽之友社、1985)
13世紀後半に、1音の長さが2分、4分、8分と決まっていった。機械式時計が発明されて、時間の長さを正確にとらえることができるようになったからだ。
同じころ三拍子案がでてくる。ちょうど、最後の十字軍が派遣されたころ。十字軍は、イスラム軍に負け続けたことで、キリスト教の権力にかげりがではじめた。そこで、キリスト教圏の内部の引き締め策のひとつとして三拍子が現れたと思われる。
そして三拍子をあらわす記号もつくった。なんと「○」。つまり、「三拍子は神に称えられている」という意味で「完全な円」にしたのだった。ルネサンスからバロックあたりまで使われたが、現在は使われていない。
三拍子が加わったことで、それまでの四拍子、二拍子は格下げされた。四拍子は、やや不完全という意味で半円「C」、二拍子は不完全な四拍子の半分という意味で「C|」とされた。
ちなみに、ロックは四拍子。不完全とされた拍子である。ロックをロックたらしめているのは、三拍子を基本とした英語の歌詞がつくからだろう。その1音にそのまま英語の歌詞をあてるとどうしても字余りになるので、無理矢理詰め込む。それがノイズとなって全体に破調の美をもたらしている。ギターも、エフェクターやアンプでわざと音をひずませてロックらしさを醸しだしている。
逆に、日本語の歌詞のロックだと、うまくはまりすぎて、どうしても歌謡曲っぽさが前面にでてしまう。そこで、桑田佳祐さんらが、英語のロックにある字余り感をなんとか取り入れようとしてきたのだった。
参考文献
『松井茂短歌作品集』松井茂、photographers’ gallery、2007
『Camouflage Volume. I』松井茂、photographers’ gallery、2008
『時の冒険──デザインの想像力』松田行正、朝日新聞出版、2012
『和力──日本を象る』松田行正、NTT出版、2008
『日本語のリズム──四拍子文化論』別宮貞徳、ちくま学芸文庫、2005
『添う文化と突く文化──日本の造形様式』外村直彦、淡交社、1994
『はじまりの物語──デザインの視線』松田行正、紀伊國屋書店、2007
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登録はこちら書籍を中心としたグラフィック・デザイナー。「オブジェとしての本」を掲げるミニ出版社、牛若丸主宰。「デザインの歴史探偵」としての著述にも励む。著作は、「和」のデザインとして、『和力』『和的』(どちらもNTT出版)。近年の著作として、『デザインってなんだろ?』(紀伊國屋書店)、『デザインの作法』(平凡社)。歴史的デザイン論として『RED』『HATE!』(どちらも左右社)など。