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和力表現事典07「結び目」

和力表現事典07「結び目」

2019.08.26

Updated by Yukimasa Matsuda on August 26, 2019, 10:32 am JST

フトンタタキ

以前、フトンを干すときにほこりを叩きだすための、いわゆる「フトンタタキ」の形状に興味を持ったことがある。しかし、フトンタタキを使ってフトンを干している場面は、今ではあまり見かけないし、「フトンタタキ」という道具を知っている層ももはや少なくなってしまったかもしれない。

▼図1──フトンタタキ。今はプラスティック製もあるが、それらは邪道。やはり藤蔓と竹製だろう。
図1──フトンタタキ。今はプラスティック製もあるが、それらは邪道。やはり藤蔓と竹製だろう。

といっても、世の中から消えてしまったわけではない。藤蔓と竹ヒゴが基本的材料だが、今はプラスティック製もあるようだ。ここでは、藤蔓と竹ヒゴ製にこだわって、勝手な妄想を開陳したいと思う。

フトンタタキで「ほこりを払う」の「払う」という行為は、もともと「お祓い」につながっている。「掃く」「はたく」も「払う」と同様神主による神事での用語。だから「お祓い」は、霊魂(たま)との関係抜きには語れない。これを伏線として、まずフトンタタキの形状からはじめてみよう。

ハート形

フトンタタキの叩く部分は、藤の蔓(つる)を竹ひもでしばってつくられている。蔓自体がもともとヘビのイメージを持っているが、加えて、キングコブラが鎌首を持ち上げてせまってくる姿にも、屹立したファルスのようにも見える。屹立したファルスとくれば、精液=出産=豊饒と連鎖するイメージが立ち上がる。

藤蔓の部分だけ取りだせば、いわゆるハート形をしている。ハート形は西洋からきたもので、同じ形を日本では「ゐのめ」とよぶ。

ハートの形は、見た目どおり心臓の形からきている。漢字の「心」も見事に心臓の模写といってよいだろう。中世ヨーロッパでは心臓と「心」を同一視していた(このあたりのは拙著『和的』が詳しい)。それがハート形に発展し、今に至る。

このヨーロッパ経由のハート形は、明治になって、トランプのなかのハートとして日本人がはじめて接することとなった。そこで日本人は、西洋では、心臓が「心」をあらわしていることを知った。

それまでの日本人は、「腹が立つ」「腹を決める」の「腹」、「胸に一物」「胸を打つ」の「胸」、「肝を冷やす」「肝に銘じる」の「肝」というように、具体的な臓器を使わずに心模様をあらわしてきた。だから「心」をあらわせる決まった形はなかった。

しかも羽根が生えたハートにも驚いた。羽根が生えた烏天狗という存在も一時期登場していたが、基本的に日本では、空を飛ぶのに羽根を必要としなかったからだ。羽衣一枚あればいい、ぐらいの感じである。こんなところにも東西の考え方の違いを見ることができる。

▼図2──羽根の生えたハート。(『ハート(心臓)大全』ルイザ・ヤング、別宮貞徳(訳)、東洋書林、2005)
図2──羽根の生えたハート。(『ハート(心臓)大全』ルイザ・ヤング、別宮貞徳(訳)、東洋書林、2005)

▼図3──烏天狗像(鎌倉市建長寺半僧坊)。(「烏天狗」wikipedia)
図3──烏天狗像(鎌倉市建長寺半僧坊)。(「烏天狗」wikipedia)

広い砂漠や草原などのつかまるところが何もないところでは、鳥のように羽根をバタバタやらないと落ちてしまう。西洋で空を飛ぶということは物理的に飛ぶ、ということを意味していた。だから羽根を必要としたのだった。

ところが東洋では、空を飛ぶというよりも、こちらからあちらへとジャンプする、という感覚である。ここには、すでに本書の随所で述べているように、広範囲にわたる風景を切り貼りして雲などで各々の距離を省略する点景観が作用している。こちらの風景からあちらの風景へ、木から木へ、山から山へと、点景とはジャンプによる表現だったのだ。だから羽根はいらない。ジャンプは、西洋的な鳥瞰的見方ではなく、地を這う虫瞰的見方の延長上にある。

ゐのめ形

前述したように、ハート形を逆にした桃のような形を日本では「ゐのめ」とよんだ。「ゐのめ」は、オリエントで花弁や葉をあらわした形が、回り回って、逆ハート形として日本に伝来した。このとき花弁や葉のイメージは消えていた。

▼図4──ゐのめのいろいろな形。(『「ゐのめ」とは何か──我が国における古墳時代から今日までの展開』小野瀬順一、東北工業大学紀要I:理工学編第27号、2007)
図4──ゐのめのいろいろな形。(『「ゐのめ」とは何か──我が国における古墳時代から今日までの展開』小野瀬順一、東北工業大学紀要I:理工学編第27号、2007)

舶来好きの日本人は、この形を気に入り、大事な道具につけた。平安時代の「ゐのめ」は、「威儀の物」として、祭祀や儀式で使う祭具や神具に、この形をくり抜いて飾った。くり抜いたことで、そこが「目」に見えるところから「威の目」となった。

武家が天下をとった鎌倉時代では「猪の目」ともよばれ、刀の鐔(つば)や鎧などの武具につけられた。イノシシの目に似ているところからこの名がついたのだが、戦場で、イノシシの猪突猛進にあやかるためののお守り的意味合いもあった。

▼図5──刀の鍔に施された葵鍔。(『「ゐのめ」とは何か──我が国における古墳時代から今日までの展開』小野瀬順一、東北工業大学紀要I:理工学編第27号、2007)
図5──刀の鍔に施された葵鍔。(『「ゐのめ」とは何か──我が国における古墳時代から今日までの展開』小野瀬順一、東北工業大学紀要I:理工学編第27号、2007)

そして、江戸時代になると、馬具、仏具にもつけられた。江戸中期となると一般庶民の家具の留め具にも使われるようになった。といってもなんでもかんでもつけたわけではない。大事な物に限ってつけた。

▼図6──日光東照宮や江戸城の儀式に使われた用具。(『「ゐのめ」とは何か──我が国における古墳時代から今日までの展開』小野瀬順一、東北工業大学紀要I:理工学編第27号、2007)
図6──日光東照宮や江戸城の儀式に使われた用具。(『「ゐのめ」とは何か──我が国における古墳時代から今日までの展開』小野瀬順一、東北工業大学紀要I:理工学編第27号、2007)

ただし、着物の柄や襖などには描かれず、形あるもののみに施された。そこにも「威儀の物」の「物=道具」と考えていたのだろう。しかもすべて穴の空いた浮き彫り仕様である。この「穴」のあり方については後述する。

蛇行する蔓

ハート形、ゐのめ形を象っている藤蔓には、蛇行するヘビのイメージもある。

ヘビは、前述したように、豊饒や、脱皮することなどから、再生のイメージもある。西洋ではめずらしく嫌悪の対象でありながら崇拝された。やはり再生のイメージがあったからだ。

不祥事で失脚した政治家が、少しおとなしくして再び選挙に立候補するとき、ミソギは終わった、としばしば語る。このときのミソギは「禊ぎ」で、神道で罪や汚れ(ケガレ)を祓うときの水浴からきている。もともとは、ヘビが脱皮して再生するところからきた「身殺ぎ(みそぎ)」に由来する。

また、縄にもヘビのイメージがある。縄文時代の土器の縄のようならせん文様もヘビ・イメージと思われる。再生祈願である。

ちなみに「縄文」は、明治初期に明治政府に招聘されて来日した生物学者のエドワード・モースが、語ったことばからきている。モースは、大田区と品川区のあいだあたりで大森貝塚を発見した。そこで発見した土器を、縄目があったところから「cord marked pottery」とよんだ。縄が印された土器、である。

▼図7──縄文時代前期(約6000〜5000年前)の深鉢。(『カラー版 日本やきもの史』矢部良明(監修)、美術出版社、1998)
図7──縄文時代前期(約6000〜5000年前)の深鉢。(『カラー版 日本やきもの史』矢部良明(監修)、美術出版社、1998)

モースは、このとき素直に縄目とみてくれたのは幸運だった。もし、蛇の文様とみたら縄文時代が「蛇文時代」となってしまう。蛇から再生のイメージを素直に受け取れない現代からみたら怪しいよび名である。

土器に蛇のような縄目を印したのを再生祈願と述べたが、土器自体が命を育む大切なものだったからだ。

それまで食事は、動物や魚の肉もそうだが、生で食べるか、発酵させてから食べるしか方法はなかった。そこに土器が登場した(縄文土器は1万2000年前に登場している。おそらく世界最古)。

土器は煮炊きもできるし、水も運べる。水際で生活しなくてもよいし、煮炊きできるので食事をはじめる時間も調節できる。時間観念の発生だ。

そして、煮炊きできることで保存できる食料の種類も増えた。定住生活への志向が定まったといえる。土器が、彼らの食生活を大きく支えたのだった。だから命を育む土器には、再生のお守りが必要だったのである。

西洋の再生イメージ

西洋での縄は日本のようにヘビの見立てなどではない。エジプトでもピラミッド建設のときは縄の定規を使った。インカ帝国では数を数えるのに縄を結んでできた結び目を使った。「1」は1回結び「2」は2回結びという具合。縄に定間隔で結び目をつけて船から海に投げ入れて速度を測ったところから速度の単位ノット(knot=結び目)ができた。

というように、縄は「測る」ための道具が主だった。ただし、紐を組み合わせることでパワーを生みだせる、とした文化は、ケルトにもあった。

ケルトの『ケルズの書』の紙面いっぱいに広がる組紐文様は、絶大なパワーを持つ神への憧れをあらわしていた。

和力表現事典07「結び目」

そして、ヘビはそのままヘビの形のまま再生のイメージとして使った。

杖に絡みつく2匹のヘビのことを西洋ではカドゥケウス(神杖)とよぶ。商業のシンボルとされている。

ギリシャ神話の神ヘルメスが、争っている2匹のヘビに杖を投げたところ、仲良く杖に巻き付いた、という伝説がある。ヘルメスは商業神なので、「仲良くなる」というところから、商業が順調にいく、つねに再生する、というイメージにつながったようだ。

▼図9──カドゥケウス。(「ケーリュケイオン」wikipedia)
図9──カドゥケウス。(「ケーリュケイオン」wikipedia)

また、古代ローマの戦場で、非戦闘員である医者が、このカドゥケウスを持って戦傷者の間を回っていたといういい伝えから、アメリカ陸海軍の医療関係機関は、このカドゥケウスをシンボルとしている。

杖に2匹のヘビではなく、1匹が巻きついたイメージもある。ギリシャ神話の医の神、アスクレピオスが持っていたとされる杖だ。世界保健機関(WHO)のマークにも使われ、アメリカをはじめとする世界の多くの国の救急マークとしても使われている。救急には、ヘビの「再生」のイメージが必要だからだ。

▼図10──1948に設立された世界保健機関(WHO)の旗。(「世界保健機関」wikipedia)
図10──1948に設立された世界保健機関(WHO)の旗。(「世界保健機関」wikipedia)

▼図11──救急マーク。(「スター・オブ・ライフ」wikipedia)
図11──救急マーク。(「スター・オブ・ライフ」wikipedia)

結ぶことでできた環

湾曲する藤蔓でできた曲線は結び目にもみえる。家紋にも結び目を使ったマークが多い。やはり豊饒・再生のイメージが仮託されているのだろう。

▼図12──結びイメージを持つ家紋。
図12──結びイメージを持つ家紋。

結び目によってできた環にも意味がある。紐で区切られた空間は単なる空白ではない。そこは、神も含めたいろいろな意味で「訪れ」を待つ空間なのだ。

夏の風物詩である風鈴は、中国の殷・周の時代からあった。もともとサナギのイメージで家の前や木に吊された。なかには何も入っていない。そこに神が訪れたときだけ音が鳴る。いわば神の声の再生装置だった。音楽もかつては神の声を聴くところからはじまったのかもしれない。

したがって、このサナギ状のもののなかは、神によって充たされるべき空間だった。しかし、神の訪れに気づく能力は、いつしか減退する。風鈴に鈴やベロがいれられるようになったのは、そのときから。

「サナギ」とは、「サ」が「何もない」、「ナ」は「名」として形あるもの、そして、「ナギ(凪)」となって、じっと静かに待つ。

漢字の「言」の口の部分は、(白川静漢字学によれば)願い事を入れる器であり、神からの返答のくるのを待っている器でもある。「害」という漢字は、その器が針でさされて壊れたところからきている。

したがって、結んでできた環は、何かで充たされるための器の見立てとなる。「結び(ムスビ)」は、「身為(ムス)・産巣・産す」と「霊(ヒ)」に端を発している。だから、この環という空間には、モノを生みだす力があるとされた。

その名残りは、今でもある。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」だ。これは、「結び」に男(ひこ)と女(ひめ)がついた、「むすびひこ」「むすびひめ」の略。いつの時代も親は、子どもの成長を願っている。

空(ウツ)と神

「余白」のところで、余白の考え方は、何もないところに何かを認めることであると述べた。この結び目によってできた空間も何かで充たされる空間である。これを「ウツ」という。漢字で書けば「空・虚・全」となる。ここには、何もないのはずなのに「全」、すべてがあるという両義性が認められる。

最近は、接客などですばらしい態度を示した店員さんのことを「神対応」ということばで称賛することが広まっている。

英語圏で「神」がでてくるときには、一面的かもしれないが、「オー・マイ・ゴッド」(かんべんしてよ)というように、否定的に使うことがある。西洋のように唯一神だと神の存在はかなり大きいが、日本での神は偏在しているせいか、身近だ。ちょっとしたことでも神になぞらえて感謝する。

日本には「八百万の神」というように、いたるところに神がいた。常に自然に感謝して生活してきたからだ。だからこの「神対応」ということばは、感謝のあらわしかたの現代版、自然ではなく、人にたいする感謝である。

このような自然観、神にたいする考え方は、至るところに神の訪れを待つ空間があるからこそ成立する。そのひとつが、結んでできた環のなかである。からっぽなのに「空(ウツ)」であり、「全(ウツ)」なのだ。これは「余白」が、何もないのに周囲の環境を映している、という発想とつながっている。

何もない中心

心理学者の河合隼雄(はやお)さんは、「わが国が常に外来文化を取り入れ、時にはそれを中心においたかのごとく思わせながら、時がうつるにつれそれは日本化され、中央から離れてゆく。しかもそれは消え去るのではなく、他の多くのものと適切にバランスを取りながら、中心の空性を浮かびあがらせるために存在している」(『中空構造日本の深層』)と語る。

中心はないわけではない。そこに何かを取り入れ、そこが充たされ吸収されると、関心が薄れ、また別の中心に移る。これは八百万の神の遍在性、点景観とリンクしている。あらゆるところに、中心があるのだ。

逆に、中心に圧倒的な権力者、たとえば一神教の神のような存在が入り込んでも困る。天皇は心の支えかもしれないが、権力を奮われても困る。

天皇が絶大な権力を奮っていたのは何世紀も前のこと。それからは、天皇に権威があったとしても権力はなかった。明治になって、天皇制が推し進められても、天皇の名のもとに政策が実行されはしたが、天皇に実権はなかった。

ないのは実権ばかりではない。天皇は、憲法で保障されている基本的人権も与えられていない。自由に買い物にでかけたりできない。哀しいかな、権威のために身を捧げているといわざるをえない。

日本の中心には、日本国民としての当然の権利を持たないが、日本国民の平穏のみを希求して祈り続けている天皇がいる。つまり、中心には権力の実体はない。しかし、その天皇の権威を利用して戦争に突き進んだ歴史がある。中心が空であることはそのような危うさも併せ持っている。中心に実体がないので、責任の所在はあいまいになる。これを昔、丸山真男さんは「無責任体系」(『現代政治の思想と行動』)といった。

結ぶことと結界

紐を結ぶことについて、書家の石川九楊さんは、「腰紐や帯、ベルトを結ぶことによって、自己の輪郭を定め、自己をここまでと規定するに至ったところに、紐衣=腰紐の起源は辿れる。その名残りが、日本の神社に残る注連を回した巨木である。それは樹木に衣類を着せているのだ。それは自己と他者を区切ることであった」(『失われた書を求めて』)と述べた。

石川さんは衣服のはじまりは一本の紐だという。紐でしばることは自分と他人を隔てる行為でもあり、神社の注連縄も巨木に回した衣服なのだ。と。

▼図13──由岐神社の杉に巻かれた注連縄。(「注連縄」wikipedia)
図13──由岐神社の杉に巻かれた注連縄。(「注連縄」wikipedia)

▼図14──注連縄が巻かれたさざれ石、賀茂御祖神社。(「注連縄」wikipedia)
図14──注連縄が巻かれたさざれ石、賀茂御祖神社。(「注連縄」wikipedia)

また、古代では、体内に悪霊が入ってきたり、魂が抜けでてしまうのは最大の恐怖のひとつだった。そこでそうならないように結界を張る。それが、首に巻いたネックレスであり、腕に嵌めたブレスレット、くるぶしに巻くアンクレットである。これらネックレスなども紐による規制線、注連縄の延長にある。

殺人現場には警察による黄色いテープが張られる。これは、非関係者の立ち入りを規制するためのテープである。このように、紐は世界中で規制用の囲みとして使われている。この規制法は人類学的には「結界」という。

結界としての紐(縄)の起源は、日本では『古事記』に描かれた「天の岩戸」神話にまで溯ることができる。

乱暴狼藉を働く弟神スサノオに怒ったアマテラスは、岩戸に引きこもった。アマテラスは太陽神なので、世界は闇となった。八百万の神々はアマテラスをなんとか外に連れだそうと、岩戸の前で騒ぎアマテラスの関心を惹こうとした。アマテラスは、騒ぎの原因を知ろうと、岩戸を少し開けた。すかさず踊っていたアメノウズメがアマテラスの前に鏡をだし、アマテラスよりも高貴な神がここにいる、と伝えた。すると、アマテラスの光が鏡に反射してアマテラスの顔を照らした。アマテラスは「あら、面(顔)白し」といった。ここから「面白い」ということばが生まれたといういい伝えがある。その瞬間を逃さず、アメノタヂカラオが、アマテラスの手をとって外に無理矢理連れだした。すかさずフトダマノミコトがそこに規制線を張り巡らした。この規制線が「尻久米縄(しりくめなわ)」。これが「注連縄(しめなわ)」となった。

注連縄は、2本の縄が縒(よ)られてつくられている。民俗学者の吉野裕子さんは、2本の縄が縒られているところを2匹のヘビの交尾になぞらえている。先に述べた、ヘビの生命力や再生力にあやかろうとしていたから、と。注連縄を張り巡らすことで、その囲まれた内部は(イメージのなかで)生命力と再生力に溢れた空間となる。

家紋を円で囲むのも、もともとはこうした規制線である注連縄が抽象化して円になったものだった。円で囲まれることによって家紋内部は生命力・再生力に溢れた空間となった。相撲の横綱が締める注連縄など、こうした例は多い。

▼図15──相撲の横綱が土俵入りのときに締める注連縄。右は、一つ輪で陽の雲龍型。左が、二つ輪で陰の不知火型。この陰陽が土俵上で相まみえることで法条をもたらすとされた。
図15──相撲の横綱が土俵入りのときに締める注連縄。右は、一つ輪で陽の雲龍型。左が、二つ輪で陰の不知火型。この陰陽が土俵上で相まみえることで法条をもたらすとされた。

結び目と間

注連縄で囲まれた空間は「間」でもある。間は、繰り返すが、生命力・再生力が溢れ、一方で何かが訪れるのを待つ神聖な空間でもある。

ここから、フトンタタキの藤蔓でつくられた結び目の環は、生命力・再生力に満ちた、何かの訪れ、あるいは、何かの侵入を拒否する聖なるメディアだった、という仮説が浮かぶ。

フトンタタキとは、寝ているあいだに侵入してきた悪霊を叩いて追いだし、新たな活力をフトンにもたらすための、一種のお祓いの呪具だった、という仮説だ。

フトンタタキの歴史

ところで、「掃除」という観念が日本で芽生えたのは、室町時代の書院造りがはじまってからといわれている。

書院造りの前は、平安時代の寝殿造り。寝殿造りは、壁の替わりに屏風や衝立を使ってしきった、いわば1間の空間である。そして、室町時代の書院造りは、間仕切りの技術が発達したことで部屋を小割りにした空間である。小割りされた部屋には畳が敷かれた。茶道の流行がそれを後押ししたからだ。

いや、神殿造りと書院造りとの大きな違いはそんなことではない。「余白」のところで触れたとおり、室町時代には外の風景のイメージを取り込むことがさかんに行われた。間仕切りも発達した。障子などだ。それで何が大きく変わったのか。寝殿造りのときとは違って、部屋が格段に明るくなったのだ。だからほこりも目立つようになった。ここから掃除の必要性が浮上した。

このころの主な掃除道具は箒。江戸時代にはたきが加わる。したがって、フトンタタキの登場はおそらく明治以降と思われる。ここで今まで述べてきた、聖なる呪具の仮説は簡単に潰えてしまった。残念ながら古代信仰の見立ては時代的に通用しそうもない。

ちなみに、結界によって生じた「間」は「真」とも読む。したがって、「真似」は「間似」でもあり、「間」に蓄えられた生命力・再生力を手中にすることである。それほど「真似」にはパワーがある。だからぼくたちは「真似」する。しかし、心して真似ることが大事である。

参考文献
『眼の冒険──デザインの道具箱』松田行正、紀伊國屋書店、2005
『和的──日本のかたちを読む』松田行正、NTT出版、2013
『「ゐのめ」とは何か──我が国における古墳時代から今日までの展開』小野瀬順一、東北工業大学紀要I:理工学編第27号、2007
『和力──日本を象る』松田行正、NTT出版、2008
『はじまりの物語──デザインの視線』松田行正、紀伊國屋書店、2007
『Peek-A-Book──たのしい知識』松田行正、牛若丸、2012
『中空構造日本の深層』河合隼雄、中公文庫、1999
『現代政治の思想と行動』丸山真男、未來社、1964
『双書 時代のカルテ 失われた書を求めて』石川九楊、岩波書店、2006

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松田 行正(まつだ・ゆきまさ)

書籍を中心としたグラフィック・デザイナー。「オブジェとしての本」を掲げるミニ出版社、牛若丸主宰。「デザインの歴史探偵」としての著述にも励む。著作は、「和」のデザインとして、『和力』『和的』(どちらもNTT出版)。近年の著作として、『デザインってなんだろ?』(紀伊國屋書店)、『デザインの作法』(平凡社)。歴史的デザイン論として『RED』『HATE!』(どちらも左右社)など。