反東京としての地方建築を歩く08「東北住宅大賞の10年(前編)」
2020.04.13
Updated by Tarou Igarashi on April 13, 2020, 12:43 pm JST
2020.04.13
Updated by Tarou Igarashi on April 13, 2020, 12:43 pm JST
日本建築家協会(JIA)の東北支部が2006年に創設した東北住宅大賞の審査を立ちあげのときから、およそ10年、担当したことがある。名前の通り、東北六県に建てられた住宅を対象としたアワードだ。そこで審査委員長の建築家、古谷誠章とともに、筆者が担当した10回の歴史を振り返りたい(ちなみに、その後、審査委員長が変わり、筆者は2017年度の第11回まで担当した)。今回の連載はいずれも個人住宅のため、見学できない建築だが、生活に密着している空間だけに、東北らしさを考える良い素材となるだろう。興味深いのは、秋にパネルと質疑応答による一次審査を行い、雪のある3月に現地審査を行うことである。つまり、東北の住宅は冬こそ真価が問われるからだ。デザインの良し悪しだけではなく、寒冷の地域であるために、関東や関西の住宅に比べて、やはりいかに温度をコントロールするかが重要なテーマになっている。筆者にとっては、ときには豪雪に見舞われながら、多い年は三泊四日で9作品を審査するような強行スケジュールで、各県をまわることによって、仙台にいるだけではわからない、東北の広さと多様性を実感した。
これまで東京のオープンハウスはよく出かけていたが、それ以外のエリアの住宅をこれだけ定期的に見る機会はなかった。なにしろ東京中心にメディア環境がつくられており、大学のときに上京して以来、長い間、筆者もそうした状況にどっぷりと浸かっていた。しかし、2002年から名古屋、2005年から仙台で教鞭をとるようになり、日本地図の見え方が大きく変わった。東京という場所も相対的に考えるようになったからである。そして東北住宅大賞では、列車や飛行機で到着すると、必ず現地の会員が出迎え、審査対象となる住宅まで送っていただき、夜は懇親会をともにして、JIAの建築家が日本の隅々に行き渡っていることも改めて認識した。
さて、10回の受賞者のラインナップを眺めながら、どのようなフェイズがあったかを整理してみたい。おおむね2回ごとに分けて、5期に整理できるのではないか。記念すべき第一回のJIA東北住宅大賞2006において、大賞は田中直樹が設計した静戸の家[1]だった。そして第二回は、納谷学・新による湯沢の二世帯住宅—150年後のリノベーションー[2]である。これは第一回の優秀賞だった納谷による能代の住宅と、安井妙子の国登録文化財千葉家住宅断熱気密補強[3]の特徴をかけあわせたような作品といえよう。いずれも寒冷地においてどのような空間形式で応えるかを示したものだ。また古民家のリノベーションも東北ならではの仕事である。東京でも何度か納谷の住宅を見学したが、秋田出身であることから彼らが東北でも手がける仕事はだいぶ違うものだった。すなわち、東北住宅大賞が始まった第一回と第二回では、まず東北らしさを兼ね備えた住宅が高く評価されている。
大賞を逃したが、第一回の審査で訪問し、印象に残った納谷兄弟による能代の住宅[4][5]を紹介しよう。普段、彼らは東京を中心に多くの住宅やマンションのリノベーションを手がけているが、東北地方における初の作品は両親が暮らす、二人の実家だった。道路に面したガルバリウム鋼板の外観は、閉鎖的な印象を与える。だが、内部に入り、二階に上がると、一転して外の風景を感じる開放的な空間になる。プランは以下の通り。一階、二階ともに、外周に廊下をめぐらせ、その内側に部屋が展開する。一階は駐車スペースに加え、引き戸を開けると、庭までひと続きになる和室。二階は回廊の内側を生活の空間とし、寝室、リビング・ダイニング、トイレ、浴室をコンパクトに配置した、老夫婦にやさしい機能的空間である。ここは無駄がない、1LDKのマンションのようだ。
興味深いのは、季節に応じて環境を調整するために、入れ子状の構成を採用し、建具によって空間を伸縮させること。夏は建具を開放し、部屋と廊下を一体化しつつ、外からの風を招き入れる。一方、冬は建具を閉じ、回廊の内側のぎゅっとしぼった小さな空間を効率的に使う。廊下はスノコ状の床をもち、光や風を通す。彼らは、最新の断熱性能や設備機器を駆使するよりも、巧みな平面の計画によって、東北らしい住宅をめざした。現代的なデザインだが、結果的に、夏と冬で建具を変える空間は、冷暖房の機器はなくとも、雨戸、障子、襖を重層的に備えた昔ながらの日本建築と似ていよう。外周の廊下は、縁側空間の現代的な解釈ともいえる。能代の住宅は、完成度の高いデザインが評価され、東北住宅大賞の優秀賞を受賞した。
続く第三回は伊藤博之による富谷町の家[6]、第四回は手島浩之の囲い庭に埋もれる平屋[7][8]が大賞となった。いずれも敷地が仙台であり、都市型の住宅である。したがって、第二期は寒冷地の空間を課題にするものではなく、周辺との関係をどう捉え、同時に豊かな内部空間を確保するかという東京を含む都市住宅に共通のテーマを扱っていた。伊藤はジグザグの平面、断面の魔術師というべき手島はユニークなセクションによって優れた住宅を実現した。この二回の優秀賞や奨励賞を確認すると、SOYのO博士[9]の家やS博士の家(自邸)、福士譲・美奈子の桂木の家(自邸)[10]、手島による八木本町の住宅[11]、鈴木弘二・大助のdandan houseなどが入賞している。これらは東北における都市住宅だ。むろん、東京と同じ条件ではなく、東北住宅大賞の審査を通じて、敷地が広い、眺望が得られる、バーベキューができるといった地方都市ならではの特徴があることも確認した。
ここでは山本理顕事務所出身の手島浩之による囲い庭に埋もれる平屋をとりあげよう。第一印象は、驚くべき低さである。住宅とは思えないヴォリュームだ。しかも隣の駐車場が少し盛り上がっているせいか、塀しか存在しない、あるいは基壇のみで建設途中のように思われるほどだ。しかし、まわりを見渡すと、低い平屋が並ぶ一角であり、一見、外部との関係性を遮断した閉鎖的な住宅のようだが、そうした独自の文脈を強く意識している。また、これは親の住宅に隣接して建てられた子世帯の平屋であり、両者の関係性ゆえに、ミニマルな囲い庭に埋もれる平屋が実現可能になったこともうかがえる。
エントランスからは黒い空間が筒状に続く。その奥は浴室、さらに外部と連続する小さな庭がある。黒の空間から右に曲がると、一転して白い空間が目に飛び込む。こうした劇的なシークエンスは、白の一階から黒の二階へと切り替わる、JIA東北住宅大賞2008の優秀賞、手島による八木山本町の家とも共通した手法である。だが、この住宅では、移行する空間をテーマとせず、むしろ白の居住スペースにおいて発見的なデザインを実現した。床をさらに下げ、中央に収納コアのヴォリュームを置いたのである。矩形の居住スペースの両サイドには、細長い囲い庭があるのだが、通常の建築と逆転した関係をもつ。すなわち、縁側よりも低い位置に地面があるのではなく、庭よりも低い場所に居住するのだ。コペルニクス的な転換は、生活と自然の関係を再定義する。その結果、庭のレベルがそのまま延長し、室内のテーブルやキッチンとなるのだ。低い位置から見上げる樹木、両親の家、そして切りとられた空。また収納コアの余白が居住の空間になるという構成も興味深い。知的に洗練された構成をもつ住宅である。
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登録はこちら建築批評家。東北大大学院教授。著作に『現代日本建築家列伝』、『モダニズム崩壊後の建築』、『日本建築入門』、『現代建築に関する16章』、『被災地を歩きながら考えたこと』など。ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2008日本館のコミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術時監督のほか、「インポッシブル・アーキテクチャー」展、「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」、「戦後日本住宅伝説」展、「3.11以後の建築」展などの監修をつとめる。