あいだに東日本大震災を挟み、一年休むことになったが、2010年度の第五回は3.11の二日前に見学した木曽善元による横手の家[13]、2012年度の第六回は蟻塚学による冬日の家[14][15][16][17]が大賞となった。ともに豪雪地帯における冬の住宅のあり方を探求したもので、いずれも家がかなり雪に埋もれた状況で現地審査も行われた。ともあれ、再び第一期の東北らしい二作品のタイプに戻ったが、基本的に東北住宅大賞は第一期と第二期の都市住宅を両端としながら、様々な家を審査しているのかもしれない。
冬日の家を設計した蟻塚は、広島の建築家、三分一博志の事務所で修行し、地元の弘前に戻った。ゆえに光や風の流れを計算し、特徴的な断面構成をつくる師匠の手法を継承しているが、広島とは違う豪雪地帯においてデザインは別の展開を遂げている。蟻塚は、病院の跡地である東西に細長い敷地において、既存の樹木を避けながら、奥に伸びる直方体のヴォリュームを置く。まず最初に黒い壁のファサードが出迎え、ぎゅっとしぼった玄関から右に入ると、リビング、こどもリビング、主寝室が展開する。明快に整理された構成だ。この3つの場は、上部が空いた2つのクローゼットのヴォリュームがそれぞれのあいだに割り込み、ゆるやかに分節される。こどもリビングは可動のパーティションによって、3つの個室に仕切ることが可能だ。また、この平屋は南側の庭に対して、ダブルスキンになったサンルームの帯が連続する。
ここは季節によって人が薄着をしたり、重ね着をするように、環境の変化に応じて、住宅の状態をさまざまに調整する空間だ。夏には開放し、リビングから屋外のウッドデッキを一体的に使い、庭を楽しむ。一方、冬はダブルスキンによって断熱性能を高めつつ、室内に届く太陽光を有効に活用する。なお、現地を訪れたときは、庭に雪が高く積もっており、それ自体が独特のランドスケープを形成しているかのようだった。玄関の左に位置する茶室からも、雪によって庭石の配置を増幅したような白いヴォリュームが鑑賞できる。冬日の家は、デザインの高い完成度によって、一見シンプルな構成ながら、季節に応じて可変性のある空間を実現した。文句なく、堂々の大賞にふさわしい作品だった。
第四期は、ポスト震災の住宅が大賞に選ばれた。第七回は芳賀沼整、滑田崇志・光による針生の箱[18][19]と、第八回は佐々木文彦による名取の家[20][21]である。前者は震災後に多くの木造仮設住宅を手がかけ、その経験をもとに、SDレビューで入選した当初の案を完全に変え、地域の木材産業を支援する縦ログ構法の実験住宅。そして後者は自らも被災した建築家が、被災した住宅の建て替えを依頼され、宮城県の古民家と鶴岡の土蔵をダブルで移築再生したもの。ほかにも被災地で活動するアーキエイドによる牡鹿半島のコアハウス[22]、原発事故を意識した五十嵐淳のHOUSE H[23][24]などが優秀賞に選ばれた。審査の途中、第五回の奨励賞である阿部直人の小さな家[25]が、福島ゆえに、子供の遊ぶ室内スペースを増築した事例を見たり、被災地で活動する建築家の生の声を懇親会で聞いたことも強く印象に残っている。やはり第九回、第十回でも、鈴木らの山元町山下駅地区第二期災害公営住宅、松本慎太郎・鈴木崇志のRICO、佐藤充の三本木の家[26]、左伯裕武の七読の家など、いくつかの復興住宅が審査の対象となった。つまり、歴史的な震災・津波・原発事故を体験した東北地方において、地域の建築家がいかに関与するかも重要なテーマに浮上した。
強く印象に残ったのが、佐々木文彦による名取の家だった。東日本大震災で被害を受けたRC造の住宅を建て替える際、施主がかねてより希望していた古民家に暮らしたいという願いをかなえるべく、鶴岡の土蔵と、やはり3.11の被害を受けて公費解体が決まっていた宮城の古民家を救出し、ダブルで移築再生するアクロバティックかつ希有なプロジェクトである。元の状態では隠されていた複雑な形状の梁の組み合わせなど、大胆な屋根裏の構造を見せつつ、長年、施主の集めた建具を随所に散りばめており、様々な時間を重層的に刻み込んだことによって、独特の空間を獲得した。
実は設計者の佐々木も、津波の被害を受け、直後はJIAのメンバーから安否が心配されていた。施主も、ササキ設計のホームページが更新されたことで、健在であることを知り、依頼に踏み切ったという。そしてこの仕事を通じて、解体されるはずだった古民家を生きながらえさせることになった。容易には死なない、「ダイ・ハード」というべき建築と建築家である。阪神淡路大震災の後、宮本佳明が全壊判定を受けた実家を再生させたゼンカイハウスのように、3.11の試練を受けた住宅が登場すると思っていたが、名取の家はそうした手応えを感じさせるものだった。むろん、ゼンカイハウス程、建築家の個性的なデザインを強調したものではない。むしろ、特殊な状況に寄り添うものだが、佐々木のこれまでの古民家再生の実績や職人のネットワークがあったからこそ実現した満を持しての作品である。そこに3.11というタイミングが重なった。ここに東北らしさのひとつを指摘できるだろう。今回、明治初期の古民家は平成に新しい居場所を見つけることになった。数十年後、いや百年後にまた大きなリノベーションがされるかもしれないが、名取の家は次世代に継承するバトンにもなりうる建築である。
そして第九回と第十回の第五期は、二度目の大賞受賞が続いた。すなわち、断面の魔術師というべき手島による劇団の家と、蟻塚による地平の家である。毎年レベルが上昇し、ハードルが上げるなかで、それぞれの建築家も磨きをかけるなかで、さらなるデザインの展開によって、手島と蟻塚が二度目の大賞を獲得した。ちょうど十年の審査を通じて、東北の住宅がかなり洗練されたことを物語っている。
【トークイベント】五十嵐太郎『ポストコロナ時代に東京の建築はどうなるか』
お申込み、受け付け中です。
おすすめ記事と編集部のお知らせをお送りします。(毎週月曜日配信)
登録はこちら建築批評家。東北大大学院教授。著作に『現代日本建築家列伝』、『モダニズム崩壊後の建築』、『日本建築入門』、『現代建築に関する16章』、『被災地を歩きながら考えたこと』など。ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2008日本館のコミッショナー、あいちトリエンナーレ2013芸術時監督のほか、「インポッシブル・アーキテクチャー」展、「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」、「戦後日本住宅伝説」展、「3.11以後の建築」展などの監修をつとめる。