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時間を重視することで生まれた、和の空間

2022.12.27

Updated by WirelessWire News編集部 on December 27, 2022, 07:32 am JST

めぐる四季は日本人にとっての永遠

和室とは、自然に囲まれた空間だということができる。これは、実は日本人の時間に対する感性に深く関係する。

例えば、大徳寺の聚光院には狩野永徳の絵がある。ご存じのように、狩野永徳は春、夏、秋を題材にして北側と東西の襖絵を描いている。春は、梅の老木が花を咲かせているところが描かれている。絵全体が素晴らしいものだが、とくに注目すべきは、このなかの鳥だ。首をかしげていて、何やら横のほうを見ている。

この襖絵は普段は京都国立博物館に展示されていて部屋に立った状態で見ることはできないのだが、実は部屋に置かれたときには、春の鳥が見ているほうに、水辺の岩の上にとまった夏の鳥がいるのである。夏の鳥も春の鳥を見返し、2羽は時間を超えて見つめ合っている。永徳は、時間を超えたつながりを表現したのだ。

夏と秋の絵にも、巨大な松の木を通したつながりがある。では、秋からつながる冬はどこへいったのか。冬に当たる場所には、真っ白な石が並べられた庭があるのである。その庭は、永徳が下絵を描いて千利休が仕立てをしたという、ちょっとにわかに信じがたい伝説の庭であり、まるで北アルプスの雪山のような景色になっている。

つまり、この部屋にいれば、春、夏、秋、冬の季節のめぐりを感じられるのである。中世の人はめぐる四季の中で遊んだのだ。めぐる四季というのは、日本人にとってみれば永遠である。故・加藤周一氏によれば、同じ春がやってくるというのが日本人の考える永遠だ。時間が円環状になっているのである。

自然に囲まれた座敷の中で、人々はみな平等

前回、私は、座敷は平等を実現する空間だと説明した。この時間軸もまた、日本の平等を示すものだ。

ご存知のように、平等や民主主義というものは、ギリシアが世界に先駆けて確立した価値観だ。しかし、ギリシアの代表的な建築であるパルテノン神殿は雄々しく地上にそそり立つ建築であり、これこそがギリシア人の世界に対する態度の表れであるように思う。一方で日本の建築は、自然に囲まれた座敷の中では集まった人々はみな平等だ、という趣なのである。

これは一体何に由来するのかを考えると、まずは人間の感覚について述べなければならない。養老孟司氏の説によれば、人間の感覚というのは、基本的に外の世界にある「違い」を認識するための機能である。一方で意識、特に理性は、その違いを似たもの同士でグループ化する。

例えば、目の前にある5つのミカンの色や形が多少違っても、ミカンだということで同一化し、さらには5つという数にして「ミカン」という言葉を与える。人間が扱いやすい形に変えるために、本来は絶対的には違うものを同一化していく機能、これが理性の機能なのであるという。

感性はこれとは異なり、感覚と意識をつなぐところに存在する。感覚を通じて知覚したものをどう思うか、という感じ方のことを感性というのだ。これは個人や文化で異なる。つまり、ギリシアと日本では他者に対してどう思うのか、空間をどのように捉えているのかが異なる。感性が違うのだ。その違いの結果が建築やあるいは音楽や言語や、さまざまなものになって表れているのである。

※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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