photo by 佐藤秀明
建築と都市の危うい基層 ものづくり人はどこへ行ったのか
2023.01.26
Updated by WirelessWire News編集部 on January 26, 2023, 07:11 am JST
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2023.01.26
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ミース・ファン・デル・ローエの蔵書、それは秘密
モダニズム建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969年)。建築界では世界中「ミース」で通じる。20世紀後半の世界の建築と都市は、多かれ少なかれミースの提唱・実践した「ユニバーサル・スペース(均質空間と訳されることがある)」に影響を受けている。バルセロナ・パヴィリオン(1929年、バルセロナ万博のドイツ館)、ファンズワース邸(1950年、アメリカ)やシーグラム・ビルディング(1958年、アメリカ)等は20世紀を代表する建築に数えられるし、ミースのデザインによるバルセロナ・チェアは日本のオフィス・ビルのラウンジ等でもしばしば見かける。“Less is more”や“God is in the detail”というミースの言葉も有名だ。
そのミースは、ナチスの台頭著しい1933年、母国ドイツを離れアメリカに亡命した。その後ドイツに残った知り合いに依頼して、最低限自分のそばに置いておきたい本を300冊ほどアメリカに送らせたという噂がある。私はこの話をイリノイ工科大学でミースの教え子だった高山正実さん(故人)から伺った。当時ミースが大学に来るのは2週間に一度程度で、葉巻を吸い終わるまでの時間だけ大学に滞在したという。
学生にとって、めったに会えないこのカリスマに直接聞いてみたいことは山ほどある。ある時学生の中から「先生は厳選した300冊の蔵書のリストを作り、ドイツの知り合いの方にそのリストにあるものをアメリカに送るように頼んだとお聞きしましたが、一体どんな本を送ってもらったのですか?是非お教え下さい」という質問が出された。ミースは葉巻の煙をくゆらせながらガハハと笑い、「その質問には答えない。なぜならその300冊は私にとって意味のある300冊であって、君にとって意味のある300冊ではないからだ」と言い放ってゆっくりと立ち去ったという。
戦後日本において、学校では先生の言うことを聞いて真面目に勉強するものだと教え込まれ、実際早稲田大学まではそうして育ってきた高山さんだったが、イリノイでこのカリスマの一言を聞いて「勉強は自分で求め、自分で探し、自分でするものなのだ」と、まさに目から鱗だったと話して下さった。
※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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