「風立ちぬ」(2013)より。 (写真:スタジオジブリ / StudioGhibli)
「風立ちぬ」(2013)より。 (写真:スタジオジブリ / StudioGhibli)
「戦争反対!」を叫びながら兵器を愛でる矛盾
宮崎駿がミリタリーオタクであることは周知の事実だろう。彼の描く戦闘機は写実的ではなく、フリーハンドで描かれた外観は丸みを帯びて可愛らしく、それ自体が生命を持つ生き物のようにいきいきとしている。宮崎の兵器を描いたイラストシリーズ「ぼくのスクラップ」では、カブトムシのような飛行機も登場している(宮崎駿『出発点』徳間書店、1996年、306頁)。宮崎のアニメに出てくる、トトロやネコバスのような、不思議な生き物たちのひとつに数えられそうだ。その魅力がいかんなく発揮されているのが、2013年に公開された映画「風立ちぬ」だ。
映画「風立ちぬ」は、ひとりの少年がみている夢を描くことから始まる。青い空を飛び交う飛行機たち。ミサイルが発射されるが、それらは生き物のようにうごめく。まるで、海を泳ぎまわる魚たちのようだ。実際の兵器が街を破壊し、人々を傷つけ、殺していくことは片鱗も感じさせない。そこには牧歌的で楽しい夢の世界だけが広がっている。
この兵器の描き方は、戦争の被害の矮小化につながるだろうか? 過去の日本の戦争行為の正当化にあたるだろうか?
映画「風立ちぬ」の製作が始まったのは、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫の提案がきっかけだった。
昔から宮さんは、何かというといつも戦闘機や戦車の絵を描いていました。アトリエの本棚には戦争にまつわる本や資料が大量に並んでいて、兵器に関する知識は専門家も顔負けです。その一方で、思想的には徹底した平和主義者で、若い頃からデモに参加して「戦争反対!」と叫んできた。大矛盾ですよね。そこで、僕はあるとき思ったんです。これって宮さんだけの問題なんだろうか? もしかしたら、戦後の日本人、みんなが抱えてきた矛盾なんじゃないか?(鈴木敏夫『天才の思考』文春新書、2019年、363頁)
鈴木自身も、戦後の生まれではあるが子ども時代に手に取った雑誌には、日本の軍隊をモデルにした架空戦記物が掲載されていたことを記憶している。多くの日本の人々は、戦争反対と主張しながらも、戦争を描く作品には惹きつけられてきた。鈴木は、この矛盾の問題を正面から扱う作品を提案した。
※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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