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ヴァーチャル世界が拡大する時代に、共感覚的な体験は作れるか

2023.02.17

Updated by WirelessWire News編集部 on February 17, 2023, 07:11 am JST

視覚ばかりが論じられる一方、近代化はその他の感覚にも訪れた

あわたゞしき薄明の流れを

泳ぎつゝいそぎ飯を食むわれら

食器の音と青きむさぼりとはいともかなしく

その一枚の皿

硬き床にふれて散るとき

人々は声をあげて警いましめ合へり

   宮沢賢治「公衆食堂(須田町)」『東京ノート』

この詩は、岩手から上京した宮沢賢治が、1921年(大正10年)に神田須田町にある食堂での風景を詠ったものである。詩のタイトルにもなっている「公衆食堂」とは、当時「公営食堂」や「簡易食堂」とも呼ばれ、第一次世界大戦後の物価高騰による人々の生活難の打開策として、自治体が開設した安い食事を提供する食堂のことである。

この詩からは、食器が立てる音を聞きながら慌ただしく食事をする人々や皿が床に落ちて割れた時の様子、そして都会で暮らす孤独感が目に浮かぶようである。そうした情景が複数の感覚を通した経験として描かれている。例えば、「薄明の流れ」(視覚)、「飯を食む」(味覚)、「食器の音」や「声をあげて」(聴覚)。皿が「硬き床にふれて散る」という一節も触覚的な表現である。

「公衆食堂(須田町)」が詠まれた大正時代は、近代化を目指す日本において政治・経済・文化が大きな変貌を遂げようとした激動の時代である。東京や大阪などの都市では、西洋建築物が増え始め、自動車や電車が路面を走り、洋装が流行り始めた。

こうした新たな都市空間の誕生や近代化の社会的影響は、視覚性の変化として論じられることが多い。確かに視覚に訴えるメディアが発達した消費社会の台頭により、視覚の質的変化がもたらされたのは事実である。だがそれは同時に、匂いや音など他の感覚の変化も伴うものだった。つまり、宮沢賢治が描き出したように、都市の風景をはじめ周辺環境は五感を通して感じとるものなのだ。

※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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