写真:cynoclub / shutterstock
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「種」とは、我々が生活していく上で不可欠な分類である
DNAという情報の膨大さと、そこに人類への恩恵が秘められている可能性については、ご存じのことだろう。近年、我々はこの目に見えないDNA情報を生物から取り出す方法を発展させてきた。そしてそれは、生物学全体に革命をもたらした。
分類学もその例に漏れず、今まさに発展を遂げているところである。では、具体的な問題の解決例を綴る前に、生物学における前提中の前提、「種の認識」について述べてみたいと思う。
「種」という言葉を知らない、という方はいないのではないだろうか。「新“種”」という単語を用いることもあるが、違和感を感じることはないと思う。種とは、我々(少なくとも多くの生物学者)が生物を認識する際の基本かつ最小の単位である。
絶滅危惧「種」という言葉は使っても、その上のカテゴリーである「属」を用いて絶滅危惧「属」という言葉はほとんど耳にしない。もちろん実際には、属の単位で絶滅が危惧される生物もいるだろう。しかし我々は、生物のことを考える時には「種」を用いる。それは、この「種」というカテゴリーが、生物を認識する上で非常に便利な単位だからだ。
我々ははるか昔から、身の回りの生物を分類して暮らしてきた。食べられるもの、毒のあるもの、服の材料になるもの、家の材料になるものなど。そしてその中で、同じ特徴を持つものを見出してきたはずである。
それは同じような形、色、匂いを有し、同じような場所に生活し、同じように行動をして、同じような個体どうしで子供を残す。そしてその子供は成長するに従い、大人に似ていく。
こうした生物をまとめ、他と分け、認識することは、おそらく人類の大きな課題になったはずだ。なぜなら、そのような生物を利用するためには、まずはその生物集団を認識する必要があったからである。そして、そのような生物集団こそが、今日我々が「種」と呼んでいるものになっていったと考えられる。つまり「種」を認識することは、我々が生きていく上で不可欠な生活要素であるともいえる。
※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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