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「市民」と「大衆」の分断を再統合するために

2023.07.20

Updated by WirelessWire News編集部 on July 20, 2023, 08:01 am JST

近代以後の日本人は「江戸」という過去を「踏まえる」ことなく「切り捨てた」。そのためにこの時代にあった「様式」をまるごと失い、理解できなくなった。そしていまなお、自分たちのための新しい様式を生み出すことにも失敗しつづけている。

バブル経済の絶頂期ともいえる1980年代の終わりに、橋本治はそのように考えた。この本で一貫して考察の対象とされる「江戸の町人」とは、昭和末期の日本人のことでもあった。

「オリジナルなものの見方」は人を不幸にする

江戸文化に関して書かれた様々な文章のアンソロジーである『江戸にフランス革命を!』の前半は、歌舞伎や浄瑠璃といった当時の大衆向けの「劇(ドラマ)」の解読を軸に、江戸時代の文化を支えた「様式 = 哲学」の説明に充てられる。それに対して後半は、浮世絵版画を中心とする絵画についての記述が続く。このうちもっとも古いタイムスタンプをもつ文章は、最後の浮世絵師とも呼ばれる月岡芳年を論じた「明治の芳年」だ。

芳年の活動期は二期に分かれる。嘉永2年(1849年)に歌川国芳に入門し「一魁斎」の号を用いた明治5年までと、「大蘇」の号を用いた明治6年から没年である明治25年(1892年)までだ。伸びやかな曲線を生かした「武者絵」や「無残絵」で知られた芳年は、明治に入ると画風を一変させ、「ギクシャクした癖の強い線」を多用するようになる。「美人絵」と呼べるものも描くが、そこに描かれた女たちは「男を受けつけない」、「一枚皮をめくれば色情狂の血が飛び出てくるかもしれない」ような不気味さを湛えている。

この芳年論における橋本の図像読解はきわめて明晰だが、のちの「桃尻語」、あるいは「昭和軽薄体」とも呼ばれたような口語的な軽やかさはない。というのも、これは橋本治が「作家」としてデビューする以前の26歳のとき、『美術手帖』に発表されたものだからだ。

もともと橋本は国文学の研究者となることを目指していたが、大学院入試に失敗し、この頃は東京大学文学部美術史学科で研究生をしていた。ここで橋本は近世美術史のゼミに参加するが、受講生は自分一人。橋本曰く、それは「なんにも知らないまんま古道具屋の丁稚になった小僧が受けてる、”目利きのレッスン”」だった。だが、このときの経験が橋本に自分のなかにある「オリジナルなものの見方」を発見させた。

※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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