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コピーは本来、手で写すことを意味する
コピーといってもいろいろある。もとの英語の copy は元来「書き写し」を意味した。「写本」「(刊行された一冊の)本」などを表わすこともあるし、絵画作品の「模写」もそうだ。ジョンソン博士の英語辞典(1755年)では次の様になっている。
1)A transcript from the archetype or original (原本からの書き写し)
2)An individual book(一冊の本)
3)The autograph; the original; the archetype; that from which anything is copied (自署、元の原稿)
4)An instrument by which any conveyance is made in law (譲渡証書)
5)A picture drawn from another picture. (絵画作品の模写)
電子複写ならば photocopy だ。冒頭のコピペは画面操作の一つであり、手書きの手間のないところは、むしろフォトコピーに近い。
木版印刷や活版印刷が普及する以前、書物は筆写されるものであった。学術書や教典の伝統は、すなわち写本の歴史であった。三蔵法師こと玄奘が七世紀に西域から長安に持ち帰ったのは大乗仏教の写本であった。
玄奘がインド各地を遊学しそこで得たサンスクリット写本の一つが『プラジュニャー・パーラミター・フリダヤ』で、これを玄奘が漢訳したものが『般若波羅蜜多心経』、一般には「般若心経」と呼ばれるコピーで、弟子が持ち運び日本に伝来した。
大陸からもたらされた仏典は写経を通じて伝えられた。写経は673年に創始され、聖武天皇の御世の天平年間(8世紀)に盛んになったといわれる。今では、拝観者への観光ビジネスの一環として経典の一部の体験写経もある。
新旧聖書も、グーテンベルク聖書として1455年頃から印刷刊行されるまでは、何世紀もの写本制作の長い歴史がある。福音書はイエス復活後に使徒たちが伝承した言行録をもとに、マルコ、マタイ、ルカの共観福音書、そしてヨハネ福音書が一世紀の後半から二世紀にかけて成立した。未だ発見されていないが、テキストの比較考量から、さらに古い言行録「Q資料」が存在したとも考えられている。
口承の音声テキストを書き取り、文字テキストへとコピーする。さらにそれを書き写して後世に伝える。この写本文化は、仏教やキリスト教の経典だけではない。現在読まれているアリストテレス全集は、古代の哲学者本人が書いた著書ではない。大哲学者の著書があったことは知られているが、失われて現存しない。現代に伝えられているのは、アリストテレスが自分の学校リュケイオンで行った講義を、おそらく弟子が書き取ったノートである。
紀元前1世紀にこの記録が大量に発見され、ローマの政治家スーラがローマに伝え、蔵書家テュラニオンのもとに保管されていたものを、紀元前30年頃ロドスのアンドロニコスが整理して、アリストテレス講義録集成としてまとめ上げた。
講義の書き写しは19世紀のヘーゲルの講義など、他にも多く残されているが、これは今でも普通に見られる大学の教室風景だ。板書をスマホで撮影する学生もいるが、大抵の真面目な学生は板書とともに講義内容を書き写す。つまりレポート課題の場合はともかくとして、耳でコピーし鉛筆やペンでノートにペーストする。コピペは重要な勉学の方法なのである。
※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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