Vibeコーディングの時代 / コードを一切書かずにプログラミングする
2025.03.12
Updated by Ryo Shimizu on March 12, 2025, 11:44 am JST
2025.03.12
Updated by Ryo Shimizu on March 12, 2025, 11:44 am JST
vibe coding(バイブ・コーディング)という用語が初めて世間に広く認識されたのは、2025年2月のことだ。多くの業界関係者がAIによるコード生成の可能性に驚嘆する中、筆者が注目したのは、著名なAI研究者でありかつ元Tesla AIディレクターであるAndrej Karpathy氏が、SNS上で「vibe coding」と銘打った発言であった。Karpathy氏は、従来の一行ずつコードを書く開発手法に対し、自然言語による指示でAIが必要なコードを即座に生成する―まさに音楽の即興演奏のような「共鳴」する開発スタイルを提唱している。
https://x.com/karpathy/status/1886192184808149383
この発言が発端となり、vibe codingは急速に議論の的となった。従来のプログラミング教育や実務における「コードを書く」という行為が、AIによる自動生成と人間の創造的指示によって再定義される可能性を、筆者は当時から鋭く感じ取っていた。すなわち、技術者が細かい文法やアルゴリズムの細部に囚われるのではなく、あくまで「何を実現するか」という大局的なビジョンをAIに伝えることで、開発プロセス全体が劇的に効率化される未来像である。
また、vibe codingの概念は、従来のコーディング教育では、膨大な時間をかけて文法や論理を習得する必要があったが、生成AIの力を借りれば、自然言語で思考を伝えるだけでそのアイデアを形にできる。これにより、技術的なハードルが著しく下がり、誰もがクリエイターとなる可能性が開かれるのである。
筆者自身も「vibe coding環境」としてMemeplexZeroというサービスを試作したが、実際、筆者くらいプログラミングを普段からする人間であっても、「vive coding」の手軽さには勝てる気がしない。しかし少し使えばわかるのだが、これはプログラムすることよりもむしろ「何をプログラミングすべきか」という問いを考える方が遥かに難しくなっていく。
筆者は昨日、母校である新潟大学附属長岡中学校に深層学習用PCを寄付したが、その際、自分で開発したvive coding環境も使えるようにした。
そうした理由は、「大人よりもむしろ子供のほうがvibe codingを活用できる可能性が高い」と考えているからだ。
ちょうど34年前、筆者が中学二年性の時に、それまで「LL教室」と呼ばれる、語学学習専用だった教室が、「コンピュータ教室」に入れ替わった。
そこの技術家庭科の授業では、筆者が校内で一番詳しいということで、教師になりかわって、同級生たちにBASICを教えるというところから、筆者のプログラミング教育のキャリアはスタートした。この当時、筆者はCAI(コンピュータ支援教育)に非常に強い興味をもっており、体育や家庭科の授業でコンピュータをどのように活用するか、教師たちとディスカッションをしながら模索していた。
もともと、小学四年生で新潟大学附属小学校に編入した筆者は、当時の副校長先生から開設準備中の「コンピュータ教室」を見せてもらったことがある。
IBM 5550がずらりと並んだ教室で、当時すでにIBM 5550は主流とは呼べないものだったが、高価なものであることは確かだった。
このIBM 5550を使って、家庭科の栄養グラフ(レーダーチャート)を書いたりしていたのだが、中学に上がるとPC-9801が一台だけみんなが使える場所にあった。
二年性に上がると、前述のようにLL教室だった場所がコンピュータ教室にかわり、PC-9801が1クラスの人数分導入された。
そんな時代を経て、おそらくデジタル化の波に飲まれて近年しばらくコンピュータ教室は「空き家」の状態だったという。今は生徒一人一人が自分のノートPCを持っており、学外のネットにも自由にアクセスできるようになっているという。
ここに再び、偶然、昨年招聘された筆者の講演をきっかけに、筆者としてなんとか母校に恩返しをしたいと思うようになった。
そこでまずは深層学習用のPCを一台、寄贈させていただくことにした。その当時は「却って邪魔になっては申し訳ない」と思っていたので、まずは「どうでしょう?」と探り探り打診した。相手は国立大学法人なので、きちんとした手続きを踏まないと面倒なことになる。
また、機材だけ提供しても、使い方がわからなければ使うこともできないので、「説明会」を開くことにした。
筆者の想像では、これに興味を持つのは全校生徒300人のうち5人くらい、多くても10人くらいだろうと考えていた。
というのも、筆者が中学時代、唯一の理系部活である天文部には3学年あわせて5人くらいしかいなかったからだ。
ところが実際には60人近い生徒が説明会に参加した。男子女子の比率は同じくらいに見えた。
これはやはり時代の変化というものだろう。
であれば、彼らにvibe codingを体験してもらおうと思うのはむしろ自然な考えだ。
我々世代よりもずっとデジタルに触れているし、興味も、時間もある。早速今日の昼休みから生徒たちは深層学習PCを使ったvibe codingを体験することになる。
これまでのプログラミング教育は、細かいコードの記述やアルゴリズムの解析が中心であったが、vibe codingの登場は、学び方そのものを根底から変える可能性を示している。生成AIの進化により、従来の文法学習の必要性は低下し、「どのようにAIに指示を出すか」という対話型のコミュニケーション能力が、今後のエンジニアに求められる主要なスキルとなる。
筆者が主催する初心者向けAIハッカソンでは、参加者はまず短時間でPythonの基礎を学び、その直後に生成AIの支援を受けながら実際のアプリケーション開発に取り組む。わずかな時間で、自らのアイデアがAIによって形になる体験は、従来のプログラミング学習の「壁」を打ち破るものである。子どもたちや全くの未経験者であっても、自然言語で「こんなアプリを作りたい」と伝えるだけで、AIが実際のコードを生成するというプロセスは、学習の敷居を大きく下げ、創造性への扉を開く鍵となる。
また、生成AIを活用する指導法では、受講者が単に正解を得るだけでなく、なぜその答えが導かれたのかを共に探求する体験が可能となる。講義中に、筆者が実際のエラーや不具合をAIと共に解析する実演を行った際、受講者たちはただ結果を受け入れるのではなく、AIの出力の背後にある論理を自ら問い直す姿勢を養った。このような体験こそが、今後の教育現場において単なる知識詰め込みではなく、創造的思考や問題解決能力の育成へとつながるだろう。
筆者が手がけたハッカソンは、技術の枠を超えた創造性の実験場である。従来、ハッカソンは短い期間でプロトタイプを作り上げる場とされてきたが、vibe codingの導入により、そのプロセスは大きく変貌を遂げつつある。生成AIを活用することで、参加者は従来の重労働的なコーディングから解放され、自然言語による指示だけで作品を完成させることが可能となる。
筆者が主催した初の初心者AIハッカソンでは、全くの未経験者がまず短時間で基本的なコーディング知識を習得し、すぐに生成AIを用いてアプリの試作品を作成した。参加者は「どうせAIがコードを出してくれるなら、アイデアだけで十分だ」という感覚を共有し、思い切って自らの発想をぶつける。その結果、予期せぬ斬新なアイデアや、直感に基づくクリエイティブな作品が次々と生み出された。もちろん、生成AIが出力したコードには不整合や予期せぬエラーも含まれるが、参加者は互いに議論しながら修正し、改善を重ねるというプロセスこそが、従来のハッカソン以上のダイナミックな創造性を引き出す鍵であった。逆に言えば「いかにアイデアを研ぎ澄ますか」ということがより重要になる。
この現場で筆者が感じたのは、vibe codingが単に技術の自動化を促進するだけでなく、人間本来の創造性や直感を強調する新たな開発手法であるということである。すなわち、生成AIが出力するコードはあくまで「土台」に過ぎず、最終的な価値の創造は、参加者一人ひとりがその土台にどのようなアイデアや個性を付加するかにかかっている。これこそが、vibe codingが技術革新の民主化を実現するための、まさに「共鳴する創造の潮流」であると筆者は捉える。
vibe codingの普及は、技術的効率を飛躍的に向上させる一方で、生成AIに依存することによる倫理的・技術的リスクも内包している。AIが生成したコードの内部構造や挙動がブラックボックス化し、ユーザーがその背景にある論理や問題点を理解しにくくなる可能性は否めない。実際、ハッカソンの現場で、動作はするが「なぜそのコードになったのか」が理解できない事例も見受けられた。これは、筆者がこれまで取り組んできた「自ら考え、試行錯誤する」というプログラミング教育の根幹に対する根源的な問題提起でもあり、生成AIという強力なツールを使いこなすためには、依然として深い理解と倫理的判断が必要であると痛感する。
また、AI技術の急速な発展に伴い、今後は「AIに依存しすぎることのリスク」を社会全体で真摯に捉える必要がある。たとえば、企業や教育機関は、生成AIの出力をそのまま受け入れるのではなく、常にその背後にある論理を検証し、問題を自ら解決する姿勢を求められるだろう。筆者は、vibe codingの普及が示す未来は、単に効率的なツール利用の時代ではなく、むしろ「人間の創造性と倫理観」が新たな価値として問われる時代の到来を意味すると考える。
生成AIの登場により、vibe codingは単なる一過性のトレンドではなく、プログラミングの根本的なあり方を再定義する潮流として確固たる地位を築つであろう。筆者がこれまで教育現場で体験してきたように、誰もが自然言語でアイデアを伝え、生成AIの力を借りて即座に形にできる環境は、「誰もがクリエイターになれる未来」への大きな一歩である。
しかし、技術の進歩は決して無条件に歓迎されるものではなく、その恩恵と同時に、我々が担うべき倫理的責任や、創造性の本質を如何に守り抜くかという課題も浮上する。生成AIがもたらす効率性の裏で、ユーザーが自身の判断や直感を失わないための環境整備が急務である。筆者は、vibe codingが示す未来が、単に「コード生成の自動化」に留まらず、むしろ「人間とAIが共鳴し合い、創造性を最大限に引き出す新たなエコシステム」を形成することを期待する。
未来は決して静的なものではなく、技術革新と共に絶えず変容し続ける創造の場である。筆者は、教育やハッカソン、そして日常の開発現場において、AIというパートナーとどのように対話し、共鳴していくかという問いに、引き続き鋭い視点で挑戦していく所存である。
また、この原稿は筆者の過去の記事をChatGPTのDeep Researchに読ませ、vibe codingについて調査させるとともに、筆者のような文体で出力させる、いわば「vive writing」とでもいうべき手法によって下書きが書かれた。
ただし、ところどころ儀礼的すぎたり、遠回しすぎたりするいい回しがあったので、 その部分は筆者が加筆・修正している。
これから先、あらゆる場面で人間は「バイブス」を問われることになる。
そうすると、これまで無価値だと思われてきた能力に急速に注目が集まるようになるだろう。
今まさに人類は大きな変革の刻を迎えている。
新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。