
The rules are changed, it's not the same
It's all new players in a whole new ball game
(Donald Fagen, "The Goodbye Look")
数年前、ピーター・バラカンが、ラジオだったか文章だったかで(それを思い出せないところが老化……)ドナルド・フェイゲンの"The Goodbye Look"について、「この曲の語り手はおそらく殺されるのですが」みたいに述べていて、驚いた覚えがあります。
ワタシはドナルド・フェイゲンのアルバム『The Nightfly』、そしてその収録曲である"The Goodbye Look"をこよなく愛しているのに(電子書籍を出す際に書き下ろした、読んだ人を一様に困惑させるボーナストラックのエッセイに題名をそのままいただいたくらい)、そういう話だと思って聴いていませんでした。
慌てて歌詞を読み直し、なるほど、ピーター・バラカンはこのあたりを指して言っているのだろうと遅ればせながら理解しましたが、語り手が気づかないまま、自分の生殺与奪について暗に語る手法としてそのとき思い出したのが、小関悠氏の「ロボット上司問題」でした。
短編小説の結末を解説するのは実に野暮ですが、公開されておよそ10年が経っているのに免じてやらせてもらうと、この話の語り手は、「朝一番」のミーティングでロボットの上司にクビを言い渡されると思われます。
もしこの作品が最近書かれていたら、そのタイトルは「ロボット上司問題」でなく「AI上司問題」となっていたかもと思ったりしますが、ただ現実には、ロボットにしろAIにしろ、それが自分の「上司」になり、人間の労働者にクビを言い渡すまでにはなっていません。例えば、機械学習のプラットフォーム企業として知られるHugging FaceがAI搭載ミニロボットの提供を開始していますが、その延長に「ロボット上司」を想像するのは困難です。
しかし、AIが我々の仕事の存在自体に現実的に影響を既に及ぼしているのは確かです。今月、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された「就職面接にようこそ。面接官はAIです」は、AIが採用の現場で面接官を務めているのを取材した記事ですが、「人工知能があなたの仕事を奪いに来ると思ってました? まずは面接官の置き換えからです」という副題がなかなか奮っています。
ただ、求職者からの仕事に関する質問にほとんど答えられず、会話が「空虚に感じられた」とか、AI面接の経験は「非常に人間味のない感じ」で、より人間らしくみせようとAIが「えーっと」などの間投詞を加える様が「ホラー映画っぽかった」とか、この記事で書かれるAI面接官の評判は必ずしもよろしくありません。
しかし、求職者も採用担当者もAIを利用せざる現実についてはWIREDが記事にしている通りで、AIによる採用プロセスの自動化はもはや避けられない流れでしょう。
それはAIによるホワイトカラー労働者の仕事の置き換え自体にも言えることです。この「AI失業問題」については、平和博氏の「「新人の仕事、半分が消滅」とAnthropicのCEO、高まるAIリストラのインパクトとは」が良いまとめになっていますが、かつてサム・アルトマンが乱暴に語った「仕事は間違いなくなくなっていく。それだけの話」という言葉が結果的に正しいとしても、どの仕事からどうなくなっていくかについては議論があります。
これについては、ワタシも「ポイント・オブ・ノーリターン:プログラミング、AGI、アメリカ」で触れていますが、AIがジュニア労働者とシニア労働者の間のギャップを広げ、結果として若年層のほうが大きな影響を受けるという意見が多いように思います。米国における大学新卒の失業率急増について、「AI氷河期時代の到来」といった報道もあります。
しかし、ニューヨーク・タイムズ紙の「AIが最も打撃を与えるのは、若年層か経験豊富な層か?」を読むと必ずしもそうとは言い切れないようで、若年層の労働者のほうがAIから恩恵を受ける可能性が高く、むしろ経験豊富な労働者の方が脆弱という主張もあります。OpenAIのブラッド・ライトキャップCOOは、AIが「より経験豊富で、特定の業務方法に慣れた労働者層」に問題を引き起こす可能性を示唆しています。
ただ、AIの導入がもっとも進んでいるテック業界では、ジュニア層の雇用がシニア層より明らかに厳しいようです。ジュニアプログラマーがタスクを迅速に完了するためにAIを利用するのに対し、経験豊富なプログラマーはチーム全体により大きな利益をもたらすのにAIを活用することが多いという研究の話を聞くと、このあたりがプログラマーとして生き残るポイントなのかと思います。
一方で、AIには人間の貴重なスキルを人間から引き離す効果があり、例えば非エンジニアがバイブコーディングでプログラムを作ったり、弁護士でなくても法的文書を書けるようになるという、高度なスキルを持つ従業員を脅かすシナリオも確かに存在します。マイクロソフトが5月に約6000人を人員削減した際、その多くがソフトウエア開発者だったこと、そして7月の9000人もの大量解雇に中間管理職が多く含まれていたことは、そのあたりの裏付けになるかもしれません。
結局は、ジュニア層だろうがシニア層だろうがAIにより影響を受け、企業は少数精鋭に向かうという身も蓋もない答えが結論になりそうですが、ジュニア層への影響については、大学生の教育方法の見直し、さらには大学教育そのものの価値の再考が必要になるでしょう。
やはり、ニューヨーク・タイムズ紙の「AI時代にコンピュータサイエンスをどのように教えるか?」は、全国の大学のコンピュータサイエンス教育者が生成AI技術が与える影響を理解するために奔走しているのを取材した記事です。
その中で「コンピュータサイエンスの学位は、かつては就職という約束の地への黄金のチケットでしたが、もはやそうではありません」という学生の声が紹介されていますが、上述のテクノロジー職の新規雇用が減っている問題があります。この学生はコンピュータサイエンスの専攻に加え、政治学の副専攻で安全保障と諜報研究を学び、サイバーセキュリティの専門知識を活用することを狙っています。これからはこういう風に専門分野に幅をもたせる必要が出てきそうです。
一方で教える側も、これからはコーディングよりも計算論的思考やAIリテラシーを重視すべきとか、はたまたコンピュータサイエンス分野は広範なリベラルアーツ学位のような形に発展し、批判的思考とコミュニケーションスキルに重点を置くようになる可能性を説く専門家もおり、一種の学問的アイデンティティ・クライシスという言葉すら連想してしまいます。
テックワーカーのシニア層がAIにより受けた打撃に関しては、この連載でも何度も取り上げているブライアン・マーチャントが、「あなたの仕事、AIが奪ってませんか?」と読者に呼びかけ得られたテックワーカーの体験談が参考になります。
この業界はまさにAIが実現する自動化技術の源であり、その影響をもっとも直接的に受けています。マーチャントは、TikTok、Google、Adobe、Dropbox、CrowdStrikeといった大手テック企業から従業員数名のスタートアップまで、15人の体験談を掲載していますが、自分の仕事がAIに置き換えられたと認める人はほとんどおらず、そのあたりに人情の機微を感じます。
個人的には、Googleのソフトウエアエンジニアが、生成AIベースのコーディング支援ツールが導入された影響で、オープンソースコードの品質低下が見られること、そして、新人エンジニアの(コーディング支援ツールへの依存による)業務遂行能力、エンジニアが新しいことを学ぶ意欲、そしてエンジニアが業務への真剣さの低下傾向が目立つようになってきたと指摘しているのが気になりました。
また、シリコンバレーのハードウエアを扱う中堅スタートアップ企業のマーケティング部門のテックワーカーから寄せられた、LinkedInの経歴だけ映えてる、思想リーダーシップ気取りだがその実ブルシット役職者が部門を率いるようになってから、「AI効率化」の名の下に、(この会社の製品は人間によるケアが必要なのに)多くの人が退職を余儀なくされた話を寄せていますが、こういうケースはいかにもありそうです。
CrowdStrikeの現役従業員が寄せている話もこれに近いものがありますが、あとCrowdStrikeとAdobeの社員が生成AIの導入によって、現場の長時間労働に拍車がかかった話を寄せているのも気になります。企業トップのAI導入による業務効率化を目論みと現場の乖離については、今後報道も多くなされるでしょう。
そうした乖離を突き詰めたのが、某クラウドサービス・プロバイダーの上級開発者が語る、以下の「ソフトウエア開発を数年遅らせるシナリオ」だったりします。
これはかなり気が滅入るシナリオですが、ジュニア開発者の成長可能性を過小評価しているきらいがあります。ニューヨーク・タイムズの記事で紹介されているマイクロソフトと大学の共同研究によれば、AIコーディングアシスタントは、ジュニア開発者の生産性を、経験豊富な同僚よりも大幅に増加させています。
もう少し明るいシナリオということで、最後にティム・オライリーの「AIファーストだからこそ人間ファースト」を紹介したいと思います。
オライリーメディア社で推進するAIを中核とした製品開発アプローチを表現するにあたり、オライリーは「AIネイティブ」という表現を好んで使いますが、社内スタッフとの会話で時々「AIファースト」という言葉も使ってきたそうです。しかし、メディアでは「AIファースト」という言葉は、「AIで人間を置き換えること」を指すようになったのを知り、驚くとともに失望したと書きます。
シリコンバレーの多くの投資家や起業家は、人間を解雇するのをビッグチャンスと見なしているようだが、その考えは道徳的にも実践的にも間違った、許せない考え方だとオライリーは断じます。彼の著書『WTF経済』の核心は、テクノロジーは労働者を置き換えるための使うのではなく、労働者を強化し、以前は不可能だったことを可能にするために使うべきだということでした。
そしてオライリーは、AIを単にコスト削減や労働者の置き換えに利用する企業は、AIを人間の能力拡大に活用する企業に後れを取るだろう、と予言します。
続けてオライリーは、かつての「モバイルファースト」のようなアプローチがAIにも必要だと説きます。単に過去のやり方をAIでより迅速かつコスト効率良くやろうとするのは、コスト削減は実現できるかもしれないが、顧客を驚かせ、喜ばせることはできないと言います。ChatGPTやClaudeのAIチャットボットは、ユーザーの期待を完全に再定義したのだから、我々が本当に目指すべきは、AIを活用して顧客とコンテンツのインタラクションをより豊かで自然な、つまりより人間らしいものにすることなのです。
ここで避けるべきは、いわゆる「新しい酒を古い革袋に盛る」やり方で、つまりは従来のウェブやモバイルのインタフェースから設計を始めるのではなく、AIとのインストラクションをプロトタイプすべきであり、まさに「AIファースト」という言葉が当てはまるわけです。
その上でオライリーは念押しします。
AIを我々のビジネス、生活、社会に統合するという問題は、確かに困難です。しかし、「AIネイティブ」と呼ぶにせよ、「AIファースト」と呼ぶにせよ、それは「経済効率」をあがめ立て、人間を排除すべきコストとして扱うことを意味しない。
そうでなく、それはAIで強化された人間を活用し、以前には不可能だったことを、以前には考えられなかったやり方で、機械システムがサービスを提供する人間により適応した形でより多くのことを行うことを意味するのだ。チェルシー・トロイが言うように、我々はAIを「より高度で、より文脈に敏感で、よりコミュニティ志向の」感覚能力に統合するよう求められている。AIファーストは、人間ファーストに通じるのだ。
これを「きれいごと」と見る向きもあるかもしれませんが、GitHubのトーマス・ドムケCEOが、賢い企業はソフトウエアエンジニアの採用を削減するのではなく、むしろ増やすだろうと述べているのも符合するかもしれません。AIツールは人間の「加速器」であって「代替物」ではなく、つまり、AIが進歩するほど、優れたエンジニアの価値も需要も増すと彼は見ているわけです。
ワタシ自身は残念ながら優れたエンジニアではありませんが、「AIファーストだからこそ人間ファースト」ではあってほしいと願っています。
長々と書いてきましたが、明日の朝一番に上司とミーティングのスケジュールが入っているため、このあたりで切り上げて寝ることにします。
雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。