November 11, 2025
yomoyomo yomoyomo
雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。
少し前にベンジャミン・ウォレス『サトシ・ナカモトはだれだ? 世界を変えたビットコイン発明者の正体に迫る』を読み終えたのですが、とても面白かったです。
翻訳を手がけたのが1973年組の星である小林啓倫氏なので、この本のことは刊行前から気になっていましたが、正直なところ、買うのを躊躇していました。なぜかというと、もし本当にこの本の著者がサトシ・ナカモトが誰かを明確に特定したのなら、その時点で大きな話題になっていたはずで、結局はサトシ・ナカモトの正体は分からないんでしょ? と書くと身も蓋もありませんが、まぁ、そういうところです。
しかし、速水健朗氏がポッドキャストでこの本を取り上げ、サトシ・ナカモトとトマス・ピンチョン、そしてポール・トーマス・アンダーソンの新作映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』を絡めた話をしていてワタシも俄然興味を持ちました(速水健朗氏のポッドキャストに触発され、小林啓倫氏も文章を書いています)。
サトシ・ナカモトとトマス・ピンチョンの関連性で言うなら、『サトシ・ナカモトはだれだ?』がキリ良く50章でなく全49章なのは、この本の中でも名前が引き合いに出されるピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を意識したものかもと思いましたが、おそらくはただの考えすぎでしょう。
さて、ベンジャミン・ウォレスがどこまでビットコイン発明者の正体に迫れたかは本を読んでいただくとして、その本筋とは別に個人的に興味深かったのは、ビットコインの周辺人物といえるサイファーパンクの重要人物たち(それはつまりは、サトシ・ナカモトの正体候補でもあります)、具体的には「クリプトアナーキスト宣言」の著者であるティム・メイ、暗号通貨研究の先駆者にしてスマート・コントラクトの提唱者であるニック・サボ、ビットコインの発表に最初に反応したサイファーパンク活動家ジェームズ・A・ドナルドといった人たちが、過激な陰謀論を傾倒するようになることです。
陰謀論といえばトマス・ピンチョンが好んで作品に持ち込むテーマであり、そこもピンチョン的だったりするわけですが、頭脳明晰なはずの人たちが、おかしな道に入り込むのを見るのは、個人的には楽しくはありません。
また、『サトシ・ナカモトはだれだ?』の中で複数の登場人物たちが、人工知能研究者のエリーザー・ユドコウスキーが設立した「合理性の希求」をテーマとするコミュニティブログLessWrongに入り浸るようになったという記述も気になりました。人間的な認知バイアスや感情といった不合理性を克服し、合理的な意思決定を目指す合理主義の追求は、抽象的な思考を得意とする暗号技術者、ソフトウェア技術者の嗜好性からすると、別におかしなことではありません。
ワタシがそこが気になったのは、新刊『More Everything Forever』で、シリコンバレーのテックオリガルヒたちが傾倒する思想を一つずつ丁寧かつ正面から批判したアダム・ベッカーが、デヴィッド・カープとの対談でLessWrongを指して、シリコンバレーにおける合理主義は、ハリウッドにおけるサイエントロジーみたいなものだ、とそのカルト性を批判したのを思い出したからです。
そして、少し前に同様にシリコンバレーで支配的なマインドセットを批判するヒラリー・アレンの『フィンテック・ディストピア(Fintech Dystopia)』を読んでいたのもありました。今回はこの本を取り上げたいと思います。
『フィンテック・ディストピア』の著者のヒラリー・アレンは、新しいテクノロジー(特に暗号資産とAI)が金融に与える影響を専門分野とするアメリカン大学の法学教授で、2022年12月、サム・バンクマン=フリード率いる暗号資産取引所のFTXが破綻した直後に米上院議会銀行・住宅都市問題委員会で開かれた公聴会「クリプト・クラッシュ:FTXバブル崩壊の理由と消費者への被害」に招かれた有識者の一人でもあります。
著書『Driverless Finance』に続き、10年あまり研究してきた暗号資産を中心とするフィンテックについての総括として、アレンは『フィンテック・ディストピア』の執筆を構想します。複数の出版社に打診したものの、読者層が限られるという理由で出版を断られたため、今年の7月から8月にかけてウェブサイトで原稿を公開しました(現在も、全文を無料で閲覧できます)。
「フィンテック(FinTech)」とは「金融(Finance)」と「技術(Technology)」を組み合わせた言葉で、IT技術を活用した金融サービス事業を指しますが、日本でも2016年にこの言葉を冠する本の刊行ラッシュがあり、ワタシ自身、柏木亮二『フィンテック』で勉強させてもらいました。
例えば、今年3月に「日経FinTech」が休刊していることからも察せられるように、「フィンテック」はもはや旬の言葉ではなくなっており、正直『クリプト・ディストピア』か『Web3ディストピア』のほうがまだ書名としてよかったのでは、と読み始めたときにお節介にも思ったものですが、著者がシリコンバレーによる金融分野への取り組み全体、そしてその背景にある思想を射程にしていることにすぐに気づかされました。
分かりきったことだが、私たちの社会には正されるべき問題が山積している。しかし、暗号資産――そして、本書で探究するそれ以外のビジネスモデルの多く――での私たちの経験が明らかにしているのは、多くの過大評価された技術的解決策が、せいぜい一時的な支えや気晴らしでしかなく、最悪の場合には文句なしに有害だということだ。例えば、人々の経済的幸福を真に向上させるには、現実的で、ゆっくりとした、段階的で、民主的な解決策を追求する必要がある。同じことが、教育から医療、気候変動にいたるまで、社会が直面する多くの差し迫った問題にも当てはまるが、「テクノロジーが解決してくれる」(特に「AIが解決してくれる」)という思い込みが、必要な改革の妨げになっている。そこで本書は、暗号資産や「フィンテック」と呼ばれる消費者向け金融技術全般に焦点を当てながら、これらの事例が遥かに大きな現象――シリコンバレー流の技術解決主義――の危険性を解説する。
「技術解決主義(techno-solutionism)」という言葉は、エフゲニー・モロゾフが著書『To Save Everything, Click Here』で提唱したもので、テック企業に見られる「テクノロジーであらゆる社会問題を解決できる」、「社会問題をアルゴリズムで最適化できる」という発想を批判しています。
ヒラリー・アレンは、問題解決を約束しながら、それを果たさない多くのテック企業に苛立ち、それらの企業が消費者へ害を及ぼしているのに、規制当局は「イノベーションの妨げになる」のを恐れて手を打てない現状に怒りを覚えてきましたが、「フィンテック」の言葉で括られるもの全体が、この「技術解決主義」に当てはまると思い当たり、『フィンテック・ディストピア』を執筆しました。
さて、そもそも「フィンテック」が目指したものは何でしょうか? 本書で著者がChatGPTに質問して得られた答えをまとめると、以下の10のポイントで網羅できるでしょう。
1. 金融包摂性の向上:これまで十分なサービスを受けられなかった層に金融サービスを提供
2. 効率性の向上とコスト削減:自動化と高度なアルゴリズムが手作業プロセスを減らし、運用コスト削減とエラー最小化を実現
3. 透明性の向上と不正防止:ブロックチェーン技術とスマート・コントラクトが金融取引の透明性と安全性を高める
4. 顧客体験の向上:AIと機械学習は金融サービスをパーソナライズし、消費者にカスタマイズされたアドバイスや商品を提供
5. リスク管理の強化:予測分析やリアルタイム監視などで金融機関がリスクをより適切に管理
6. ピアツーピア取引の促進:個人が仲介者なしで直接貸し付けや支払いを行える
7. 競争とイノベーションの促進:金融セクターにおける競争を促進し、伝統的な銀行にサービスの革新と改善を促す
8. 規制順守の強化:レグテック(規制対応技術)は金融機関が規制に効率的に準拠することを支援
9. 代替資金調達の可能性:スタートアップや中小企業が資金を調達する代替手段を提供
10. データ駆動型意思決定:ビッグデータと分析を活用し、消費者行動や市場動向に関する洞察を提供
しかし、暗号資産をはじめとしてフィンテックは、これらをまったく実現できておらず、フィンテック企業が掲げてきた「金融の民主化」の非現実性と搾取性に著者は怒りを爆発させています。
フィンテックの基盤技術には、スマートフォン、ブロックチェーン、AIなどが含まれる。これらの技術の中にはうまく機能するものもあれば、目的を果たせないものもある(ブロックチェーン、君のことだ)。しかし、テクノロジーは飽くまで道具に過ぎず、設計が優れたツールであっても、その問題解決能力は導入のやり方に依存する。次の数章で、フィンテック融資、フィンテック銀行、株式取引アプリ、後払いサービス、給与前払いプログラム、そしてもちろん暗号資産など、多様なフィンテックのビジネスモデルを見ていく。こうしたフィンテックにはたまに有用なものもあるが、本書は金融包摂性、効率性、競争力、安全性の向上を謳う過大評価された主張を解剖し、(ネタバレ注意)現実は往々にして大きく異なることを明らかにする。しかし、こうした誇大宣伝されたソリューションでテック業界は不採算になるわけではなく、利益がウィンウィンにならないだけで、コストや他の害が(将来的に)我々一般市民に押し付けられるだけということだ。
フィンテック企業の技術解決主義に対するアレンの怒りは強烈で、ビットコインは「Bitcoin is BS(ビットコインは戯言だ)」と一刀両断され(ここでの「BS」は、言うまでもなく「balance sheet」ではなく「bullshit」の略です)、ブロックチェーンは「裸の王様」に擬せられて一章かけて糾弾されています。
ビットコインが戯言とはなんだと不愉快に思う向きもあると思いますが、ワタシはアレンの評価は妥当と考えます。せっかくですから、『サトシ・ナカモトはだれだ?』から引用しましょう。
2017年にライトが再び公の場に現れ始めた頃には、サイファーパンクの当初のビジョンと、実際のビットコインの現実との間のギャップは無視できないほどになっていた。手数料やその他のハードルがあったために、ビットコインは少額取引において機能せず、出稼ぎの移民たちが残してきた家族に安価で手間のかからない送金を行う手段としても魅力を欠いていた。成長するブロックチェーン・フォレンジック業界が、ハッカーや横領者、詐欺師たちの身元を次々に明らかにし、逮捕につなげる中で、ビットコインのプライバシーに関する根強い神話が崩れていった。(pp.230-231、引用者注:引用中の「ライト」とは、サトシ・ナカモトを詐称したクレイグ・ライトのこと)
そして、映画『ダム・マネー』の題材となった投資アプリRobinhoodをはじめ、フィンテック企業のソリューションが軒並み斬られていますが、そもそもなんでフィンテックが期待されたのでしょうか。その背景には間違いなく2008年の金融危機がありました。
金融危機に際し、米政府がとったウォール街の救済措置は必要なものでしたが、住宅ローン返済を滞納した人々にほとんど救済されない一方で、最大手の金融機関が制裁ではなく支援されたことに多くの人々が憤慨しました。アレンも以下のように書きます。
皮肉なことに、暗号資産に関心を持つ人の一部は、2008年以降の既存の金融業界への強い嫌悪感からこの分野に参入した(単に一攫千金を狙う者もいるが、それについては数章後に触れる)。フィンテック産業が、金融サービス提供の伝統的手法を破壊することを目標に掲げ、2008年以降に台頭したことは、おそらく偶然ではない。当時の既存の金融業界が引き起こした世界的な惨状を考えれば、白紙に戻して再出発できる技術的な魔法の杖を人々が望むのは容易に理解できる。つまり、金融業界の最悪のプレイヤーを置き換えたいと願わない者などいるだろうか?
テック企業が金融サービスを便利にし、既存の金融業界を「破壊」してくれたほうが、世の中は良くなるのではないかという空気が確かにあったのです。しかも、当時はまだ「Web 2.0」という言葉に威光がありました。
しかし、2008年の金融危機はテック企業をも変容させました。この文章を書いている間に読み終えたばかりのゲイリー・マーカス『AIテックを抑え込め! 健全で役立つAIを実現するために私たちがすべきこと』から引用します。
一九五六年から二〇〇九年までテクノロジー産業は、人間の能力や生産性の向上という価値観を中心に展開していた。(中略)その当時も、誇大な宣伝をする幹部もいれば、失敗する企業もあったが、二〇〇九年までは社会に害を及ぼすテクノロジー企業などほとんどなかった。ところが、金融危機により状況が変化した。それまでのように、事実上ノーコストで無限に資本を利用することができなくなった。すると価値観が変化した。テクノロジー企業は一斉に、人間の能力や生産性を向上させて全体に有益な結果をもたらす方針を捨て、ユーザーや顧客から本質的にはゼロサムである価値を搾り取る方針へと転換した。なぜか? そのほうが手っ取り早く多額の金銭的報酬を手に入れられるからだ。(p.128)
『AIテックを抑え込め!』でも、マーク・ザッカーバーグの「機敏に行動して破壊せよ」という言葉が真っ先に引き合いに出されますが、柏木亮二『フィンテック』で肯定的に使われていた「ディスラプター(disruptor、破壊者)」という言葉の受容は、この15年で明らかに変わりました。ゲイリー・マーカスが語るテック業界の変化は、(当然ながら『フィンテック・ディストピア』でも引き合いに出される)コリイ・ドクトロウ言うところの「enshittification(メタクソ化)」と言えます。
フィンテック企業のソリューション、そしてAI分野の誇大広告をひとしきり斬った後、アレンの矛先はシリコンバレーのベンチャーキャピタル(VC)、特にクリプト分野の投資で知られるアンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)に向けられます。
もちろんマーク・アンドリーセンの「テクノ楽観主義者宣言」も批判されますが、それだけに留まらず、TESCREALという言葉に集約されるシリコンバレーのイデオロギーや、彼らの政治性や脱出願望も俎上にあがります。
そして、シリコンバレーの(破壊的)イノベーション崇拝、当局の規制を逃れるためにイノベーションを御旗の錦にする「イノベーションの武器化」、そして法律上の特権や規制回避のための圧力の行使(これについては『AIテックを抑え込め!』の第6章「シリコンバレーは政府の方針をどのように操作しているのか?」にも詳述されています)が考察されています。
マーガレット・オメーラ『The CODE シリコンバレー全史 20世紀のフロンティアとアメリカの再興』に詳述されるシリコンバレーが宇宙開発競争の時代に公的資金によって築かれた歴史を紐解き、シリコンバレーが国防費や大学の助成金、政府契約によって基礎技術の資金提供を受けてきた事実を明らかにしながら、シリコンバレーのVCに見られる、自分たちはリスクをとってイノベーションを開拓しているのだから、政府は余計な規制をするなという得手勝手なテクノリバタリアニズムに対するアレンの筆致は厳しく、かつてロナルド・レーガン大統領が福祉の不正受給を訴える際に、黒人女性を指して使った差別的な表現である「福祉の女王」をシリコンバレーになぞらえます(VC業界の成長は、1970年代後半から1980年代初頭にかけてロビー活動によって獲得されたキャピタルゲイン税の大幅な減税によって推進されました。そういえば、イーロン・マスクがドナルド・トランプと決裂したのも、電気自動車への支援策削減が原因でしたね)。
アレンの技術解決主義に対する怒りは相当なもので、エズラ・クライン、デレク・トンプソン『Abundance』も、著者たちの願望の未来像から逆算された「未来への信頼」や「ユートピア的思考」に傾倒すべきだと主張する技術解決主義の症例として批判されています。著書の中ではトリクルダウン経済学を嘲笑しているが、技術革新を解き放てば自動的に大衆に利益が滴り落ちるという、トリクルダウン経済学と同じくらい安易な前提に基づいているというわけです。
そして返す刀で、シリコンバレーのベンチャーキャピタル産業複合体の拡声器役を務めるニューヨーク・タイムズのケヴィン・ルースやテックジャーナリストの大物カーラ・スウィッシャーまで批判するに至り、著者の批判の全方位性にいささかたじろぎました。
本書では、シリコンバレーが好むイノベーション全般、特に金融分野での包摂、効率性、競争、セキュリティについてのナラティブに対して――僭越ながら言わせてもらえば、至極効果的に――反論させてもらった。フィンテックが利用者だけでなく、それを利用しない者にも及ぼす害悪を強調してきた(反喫煙活動家が非喫煙者への害悪を強調し、喫煙は個人の選択に過ぎないという業界の主張を崩したのと同様だ)。しかし、私にはシリコンバレーのような拡声器がなく—――本書をニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに載せるべく資金提供してくれる人はいない—――それが一種の『キャッチ=22』的状況を生み出している。我々が長年シリコンバレーに与えてきたあらゆる補助金は、議会がそれらの補助金を撤廃することを正当化するのが極めて困難となるナラティブの枠組みを構築するために武器化されてきたのだ。
現在のところ、トランプ勝利に賭けた暗号資産業界にはまだ追い風が吹いており、先日も有罪判決を受けていた暗号資産取引所のBinanceの創業者に「完全かつ無条件の恩赦」を与えると決定されたばかりです。また、航空会社からソーシャルメディアプラットフォームに至るまで、米国の多くの主要企業が今や規制のない(ここが重要)銀行となることを目指している状況(bankification)を危惧する記事を読むにつけ、「フィンテック」という言葉自体はもはや旬でないにしろ、『フィンテック・ディストピア』の議論はとても重要だとワタシは考えます。
更に言うと、ヒラリー・アレンの危機意識には、現在のAIを巡る状況は持続不可能なバブルであり、AIバブルが崩壊すれば、大規模な株価暴落が発生する可能性が高いとみているのがあります。「AIが止まればGDPも止まる」かは分かりませんが、トランプ政権が大コケするのは間違いないでしょう。「調べれば調べるほど、1929年と現在は同じ」と聞くと慄いてしまいますが、この話題については、クロサカタツヤ『AIバブルの不都合な真実』がタイムリーな本なので読まれるのがよいでしょう。