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再帰的言語モデル(RLM)と経営について

再帰的言語モデル(RLM)と経営について

January 15, 2026

清水 亮 ryo_shimizu

新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。

はてなの副社長やスマートニュースの執行役員を歴任した川崎裕一氏が、先日の当欄を読んで感想文のようなものを書いてくれた。

エンジニアではない私が、清水亮氏の「RLM(再帰的言語モデル)」に経営の未来を見た理由
https://note.com/yukawasa/n/na86cba267a4e

川崎氏と筆者は、共に経営指導AIを開発するFreeAI株式会社の仲間でもあるので、なんとなく書いた記事に好意的に反応されると少し気恥ずかしい気もするが、技術者として川崎氏の記事に反応して欲しいとのことだったので応じることにする。

まず最初に言っておくと、川崎氏の「経営者的解釈」は、少なくとも“方向”としてはかなり当たっている。むしろ、技術屋が技術の話をするとどうしても「モデルがどう」「トークンがどう」と内臓の話に偏りがちなのだが、川崎氏はそれをすっ飛ばして「組織=再現性」という本丸に触れている。これは素直にうれしい。

ただし、いくつか“ツッコミどころ”もある。せっかくなので、順番にいこう。


1. 「14点人材」とワーカーLLM —— だいたい合ってる、でも危険な誤解もある

川崎氏の「14点人材」比喩は、ワーカーLLMの性質を説明するには非常に上手い。

この三段論法は、RLMが目指している“工程化”の骨格そのものだ。

ただ、ここで一つ注意がいる。

ワーカーLLMは「尖った才能」ではなく、「尖って見えるだけの確率分布」に過ぎない、という点だ。

人間の「14点人材」は、少なくとも“その一点”に関しては再現性がある。経験と技能に裏打ちされているからだ。ところがLLMの「10点」は、見かけ上は10点でも、内部的には「それっぽい言い回しの集合」である場合がある。つまり、尖りが“実力”ではなく“口のうまさ”になっている瞬間が混ざる

なので、マネジメントで言えばこうだ。

だからRLMでは、単に「分業」するだけでなく、分業の成果物を“検証可能な形”に落とすところまでを工程として抱え込む。ここが肝だ。まあもちろん人間だって嘘をつく。嘘をつくかもしれないという可能性においては、LLMも人間も平等に扱うことができるかもしれない。


2. 「信頼という名の慣れ」を断ち切る —— ここはほぼ正解。ただし“感情がない”は万能じゃない

川崎氏が書いている「人間関係のコスト」「指摘の精神的コスト」は、組織運営上のリアルな痛点だ。そしてRLMの「Pythonで検証する」「曖昧さを許さない」という発想は、その痛点に効く。

だが、これも一つツッコむなら、

“感情がない検証”は、同時に“責任感もない検証”だ。

コードは淡々と「間違い」を返してくるが、そこに「なぜそれが重要か」「どこまでを正とするか」という価値判断はない。たとえば売上予測のモデルを検証するにしても、

こういう“経営の美学”の部分は、検証コードだけでは決まらない。

RLMにおける検証モジュールであるLLMとPythonインタプリタの組み合わせが得意なのは、ここで言うと

ところまでで、最後の「何を良しとするか」は、まだ人間側(=経営側)の領分として残る。

だから私は、RLMを「感情を排した完璧なマネージャ」だとは思っていない。むしろ、

RLMは“嫌われ役を引き受ける品質保証部門”を、超高速・低コストで補完する技術

くらいに捉えるのが現実的だろう。

そもそもRLMにおける「検証」と言うのは、例えば「重複する説明を発見し、是正する」とか、「フォーマットに沿ってないデータを見つけ、再生成する」とか、要は人間の会社組織でいう、新人と教育係の関係に近い。皮肉にもそれはLLMそのものがまだまだ未熟な技術であることの裏返しでもある。


3. 「ノイズが追加情報源になる」—— ワクワクするのは分かるが、ここは危ない橋だ

ここ、川崎氏が一番ワクワクした「ノイズが情報になる」という部分だが、経営や投資の文脈に持ってくるとき、最大の落とし穴がある。

ノイズは“追加情報源”であると同時に、“偏見の温床”でもある。

人間は、言い淀みや雑談から「違和感」を嗅ぎ取るが、それは往々にして、

に強く依存する。投資家が「違和感」を武器にできるのは、それが“経験による校正”を受けているからだ。

一方、LLMがノイズを構造化するときはどうなるか。

この問題が一気に出てくる。

なので、私は「ノイズが情報になる」を、いきなり“人格評価”の方向に使うのは反対だ。やるならまずは、

みたいな、比較的「正しさ」を定義しやすい領域から攻めるべきだと思う。

ノイズを“熱量”や“誠実さ”に直結させた瞬間、RLMは「再現性を生む道具」ではなく、「それっぽい偏見製造機」に堕ちる危険がある。ここは、技術のロマンと社会実装のリアルがぶつかる場所だ。


それでも川崎氏の解釈が刺さる理由 —— RLM型アーキテクチャは「経営の工程表」を可視化できるかもしれない

以上、ツッコミを入れたが、川崎氏の主張の核心はやはり強い。

経営の意思決定は、属人性の塊であり、再現性が弱い。
RLMは、それを“工程”に落とす方向に働く。

ここで言う工程とは、「作業手順」だけではない。

という、意思決定そのものの“プロセス化”だ。

LLMはもともと「生成」に向いていた。口がうまい。資料も作る。文章も書く。だが、その生成物は、しばしば検証不能なまま宙に浮く。

RLMが実現するのは、その生成の不確かさを減らす作業に過ぎない。

天才肌と熟考型

すごく大雑把に言えば、LLMと言うのは天才肌の社員である(天才肌は天才ではなく、天才の挙動を感じさせる行動をとりがちな人物)。

何か聞かれた時にすぐに答える。調べ物もせずに直感的に断定的な答えを言う。
こう返されると普通の人間は気圧されてしまって「そこまで言うならそれが正しいのかな」と受け入れてしまいがちだ。こうして社内のあちこちに「天才肌の人間を中心とした非組織的クラスター」が生まれることになる。

天才肌はカリスマ性があり、自分で頭を使うことに慣れてない人を惹きつける。と言うよりも、自分で頭を使うことを放棄すれば、天才肌の言うことに従うだけでいいから楽なのだ。そしてますます自分の頭を使わなくなるのである。

そして「天才肌」の人物は、実際に天才であることはほぼないので、常に直感的に間違った答えを選択する。いくら誤魔化せても回数を重ねれば重ねるほどバレる確率が高まる。その結果、本人が自信を喪失するか、周囲からの信頼を失い、天才肌の人物は組織で必要とされない逸れものになるかお荷物になる。

そして社内で生き残る天才肌は本物の天才に近い人間だけと言うことになる。
筆者の周囲を見回すと、組織内で出世するのは天才肌の人間よりも熟考型の人間の方が多い気がする。
熟考型の人間は、思慮深いのでミスを事前に防ぐことができる。しかし、熟考型の新人は上司から見ると手が止まっているように見えるので早期に評価されにくい。「あいつは何を考えてるのかわからん」と上司が手を焼くような現場では、確実に成果を出さなければ熟考型の人間は出世できない。

天才肌と熟考型の人間の最大の違いは、言うまでもなく思考時間だ。天才肌は返答が早いので新人の頃は「使えるヤツ」だと思われる。しかし熟考型の人間は返事を出すまでに時間がかるから「あいつはグズだ」「遅い」「効率が悪い」と思われがちになる。考える時間が長くなると、正しい答えに辿り着く確率が高まる。これはLLMでも証明されていて、規模の小さい言語モデルでも、長時間考えると10倍以上の規模のLLMと同等以上の答えを出すことができる。

その代わり、熟考しすぎると、袋小路に陥って正しい答えにぐずぐずと辿り着けないまま締切を迎えるケースがある。これはLLMにおいても同様で、「どのくらいで思考を打ち切るか」と言うのはLLMにとって一つの大きな研究テーマだ。

人間の場合、天才肌で成果を上げるには本物の天才である必要があるが、そもそも天才は絶対数が少ない。企業のようにたくさんの人が活躍する場所では熟考する癖をつけされた方がいい。しかし同時に、塾講型で成功するためには、「どこで思考を打ち切るか」と言うバランスの制御が最も重要になる。

なぜこんな話をするのかというと、筆者はかつて元上司の書籍の中で「清水君を天才肌と呼ぶ人と天才と呼ぶ人がいる。この違いは何か」と言う形で触れられたことがあるからだ。

基本的に筆者を天才肌と呼ぶ人は、筆者を天才だと思っていない(別にそれでなんの問題もない)。筆者を天才と呼ぶ人は、天才肌である前に天才であると考えている。

そして、筆者自身の認識はどうかというと、筆者自身は熟考型だと考えている。
返答は早いと思われがちで、しかも断定的に話すために天才肌だと思われることがあるが、筆者の返答が早いのは、質問される前にすでに何を答えるべきか何日も考えているからだ。明日誰に会うか、会ったら何を訊かれるか、スケジュールに入力した時点から筆者の熟考はスタートしているのである。そのかわり、筆者はアポイントを極端に制限している。誰も彼もと会うような無駄なことはしない。大事な話がある時は、そのアポしか入れないようにする。大事であればあるほどそうする癖がついている。

必要に応じて、答えが出なければ徹夜で考えることもある。他の同僚を見ると、徹夜でものを考えるほど頭を使っている人をまず見たことがない。まだ小さなベンチャーだった会社組織の中で、実際に成果を出し、出世できたのは、ただ人より圧倒的に仕事について考える時間を長くとったからに過ぎない。

LLMはもちろん、RLMもこのレベルの熟考をするレベルにはまだ程遠い。

RLMというアーキテクチャは“経営の直感”を奪う技術ではなく、“経営の直感を検証できる形で残す”技術に発展可能かもしれない

しかし、これはそもそも、RLMが人間の組織の指導体制を模倣して作られているから、当たり前と言えば当たり前なのだ。むしろ人間のアウトカムをPython的に形式的・記号処理的に評価できるかということの方が重大事で、これはまだLLM(ごとき)には荷が重いと筆者は考える。

経営の工程表を書くことはできるかもしれないが、熟考型の人間が考えるような幅広い知識や検証、さらには直感といったものを全て代替することは難しい。

しかし、熟考型ゆえの欠点もあり、そもそも筆者の場合は組織の経営にそれほど興味が持てなかったと言うことがある。卓越した成果を得るためのパワードスーツとしての会社を作ったが、会社が組織として成長するためにはどうすればいいのか未だわからないままだ。ただ、そもそも「組織としての成長」が全ての会社にとって望ましいことなのかどうか、と言うことに関して疑問を感じてもいる。

これからの時代、RLMの上位概念としての人間が、熟考のためのツールとしてAIを使いこなしていく必要があるだろう。

そしてまたLLM(およびRLM)は、熟考型の人間の思考時間を大幅に減らす可能性を秘めている。うまく使いこなせば、天才肌とほぼ同じような反応速度で、遥かに正しい答えを選べる人間になれるだろう。


結論:川崎氏の解釈は当たっている。ただし「人間とAIは違う」

川崎氏の文章は面白いし、経営者としての補助線の引き方も上手い。読んでいて、技術屋の私が「そうそう、そういうことなんだよ」と思う箇所が多かった。

一方で、比喩が上手いほど危険も増す。

ちなみに、川崎氏が反応したRLMに関する文章の殆どは、ChatGPT5.2が書いたものだ。
筆者はRLMを実際に実装し、「これは面白い。こんなことができた」と言う非常に短い文章を書いただけで、川崎氏が感銘を受けたと言う「知識のノイズが情報源になる」と言う部分は筆者も初めて読んだ時に「おお、そういえばそうだな。面白いな」と思った。

まさに熟考型を自認する筆者にとって、LLMほど有難い道具はない。
RLMについての説明や解説は、自分でするよりもLLMにやらせた方が齟齬が少ないし、人間の仕事は「責任を取る」と言うことだけ残るのではないかと思う。

この返信そのものもChatGPT5.2で生成したものに筆者がアレンジを加えた。
「ここは面白い」と言うところを残し、「ここは違うだろう」と言うところは除外し、場合によっては追記する。天才肌と熟考型のところは人間でなければまだ書けない領域だろう。

何よりLLMを活用することでキータイプ数が減って腱鞘炎にならなくなったのは嬉しい。

自分の短文をLLMに膨らまさせ、それを自分が検証して完成に持っていくプロセスそのものがRLM的であり(含まれていないのはPythonによる記号処理的検証)、川崎氏の指摘に対してさらにLLMで返答を生成し、最終的に加筆して原稿を完成させる構造はまさに再帰的であるとも言える。

人間がループの中に組み込まれたシステム、ヒューマン・イン・ザ・ループを構成しているようで面白い。