最近、いくつかの案件をこなすなかで、様々な学術研究プロジェクトの事業性を評価して欲しい、という依頼がありました。これは会社の業務とは別で、個人的に依頼された仕事だったので、休日に家でやるしかないのですが、久しぶりに疲れました。
膨大な研究計画のそれぞれの妥当性を評価し、優劣をつけるわけですから、こちら側にも相当な負担がかかります。気分転換に散歩しよう、と思って近所にでかけたところ、ちょうど東京大学で五月祭をやっていました。
東京大学の五月祭では、模擬店やイベントだけでなく、研究室公開が行われています。
様々な技術的シーズが一同の元に展示されており、それを眺めるだけでもかなり楽しいのです。
この五月祭への参加は、私にとって年に一度の楽しみなのです。
そして様々な研究成果を見るうち、ふと起業と経営の能力はそもそも別物なのだということが実はあまり世間では理解されていないのではないか、と思ったのです。
「起業」とは、事業をなにか起こすことです。
これは、新しいアイデアを考えたり、枠組みを考えたりして、実際に仕事を創りだすというフェーズです。
この「起業」は、なにも会社を作ることのみを意味するわけではありません。
会社の中で新しい企画を出したり、大学でサークルを旗揚げしたり、模擬店を出したり、なんでもいいのですが、とにかく新しいことを始めるのが「起業」です。
ですから人は自分がそれと意識していなくても、起業しているものです。
そのなかでハッキリと役割が別れるのは、「○○をしよう!」と呼びかける人と、「○○をするなら手伝うよ」と呼びかけに応じる人です。
これはよく見ているとわかりますが、学生時代にハッキリと分離します。
たとえば、私は中学、高校時代はサークルを旗揚げするのがとにかく好きな人間でした。
思えば、それは起業をするのが好きな人間だったということです。
なんでもいいのです。
たとえば、私が実際にやったことは、小学校の時に家庭科の先生の依頼で栄養バランスのレーダーチャートを表示するプログラムを作る仕事を、友達を集めてチームで開発したり、友達とゲームを作ったり、高校時代にはクリスマスに彼女彼氏が居ない人を自宅に呼んで「シングルベル」パーティをやったりでした。高校時代は学校にパソコン部がなかったので、情報技術研究会という部活を勝手に作りました。
休日や昼休みに「○○して遊ぼうぜ」と声をかける人、これが起業する側の人間です。
このスキルは、単に鬱陶しいパーソナリティだけでは成立しません。
なぜなら、誘ったら断られるリスクがあるからです。
つまり、まず「○○しようぜ」と誘うには、相手の気持ちを敏感に読み取る必要があります。
「○○ならしてもいいかな?」と相手が思うような提案を誘う側はしなければなりません。
とすると、誰にとっても身近な起業体験は、女の子をデートに誘うことかもしれません。
たとえば、私が中学生のとき、最初にデートに誘った女子には、いの一番に断られてしまいました。
今思えばそれはなぜかと言うと、「デートしようぜ」と声をかけたのがいけなかったのではないか、と思ったのです。
そこで、次にデートに誘う時には、「モスバーガーでご飯を食べない?」と具体的な内容で誘うことにしました。
「デートしようぜ」は、相手にもその気があることが前提になりますから、うんとは言い辛いですが、「モスバーガーに行かない?」なら、明確な目的があります。本当の目的がそれが私と二人で過ごすことなのか、モスバーガーを食べることなのか、その両方なのかは明確にする必要がないのです。
なかなかデートに誘えない相手も、例えば「花火大会のときに、写真コンテストがあるから、浴衣を着てモデルになってくれない?」と言ったら誘うことが出来ました。
浴衣を着て写真を撮られる、というのも立派な動機になりますし、何しろ花火大会は楽しいことだらけです。
要するにデートに誘うには口実が大事だということです。
起業の本質はいかにうまい口実を見つけるか、なのかもしれません。
さて、しかしこれがデートやサークル活動ではなく、企業や団体を経営するということになるとまるで話は違います。
最近気付いたのですが、現役の社長や団体の代表者であっても、どちらかに極端に偏ってる人が多いな、ということでした。
たとえば「新しい研究テーマを考える」これは起業です。
しかし、その口実に信実味が感じられないと、とたんに胡散臭くなってしまいます。
本当にここで掲げられているビジョンを達成したいのか、それとも本当の目的は他にあるのか。
短く言えば、「ヨコシマな気持ちでこの研究テーマを掲げていないか」ということをチェックする必要があります。
それで気がついたのですが、私が「起業そのものが目的の人」をニガテとする主な理由はこれなのではないかと思いました。
つまり、口では立派なことを言っておきながらその一方で本当の目的はお金持ちになったり、自分が楽をすることだったりするのではないか、と疑わざるを得ないような自称起業家予備軍の人たちに対して感じる胡散臭さです。
むしろ私は「自分はお金持ちになりたい。だから会社を作る」とハッキリ宣言する人のほうが、むしろ起業家として好ましいとさえ思います。その本当の目的を隠して、「社会のため」だとか、「正義のため」だとか言う人は胡散臭いと思われても仕方ない気がします。
つまり、事業の起業に求められるスキルはデートやサークル活動とは違い、「本当の目的」を明確化する能力です。
一方で、経営そのものは全く別個のスキルです。
これはサークルでいえばサークルを運営していくという能力になります。
私は大学時代、雑誌の企画を立てたり、記事を書いたりする仕事の一方、大学では学園祭実行委員会に所属し、総務という役割を担当していました。
総務は、何も創りださない担当部署です。
しかし100名以上が所属する学園祭実行委員に総務は通常たった一人しか置かないのが通例で、私の代から二人体制にかわりましたが、それでも極端に少ないことに変わりはありません。
総務の任務は、学園祭を正常に運営することです。
渉外、企画、建築、会計、それぞれの担当が動けるよう計画を立て、人員を配置し、当日の全ての人員の行動計画を24時間管理し、トラブルが起きれば現場に駆けつけて解決する、という役回りです。
委員長、副委員長は主に大学のお偉方やスポンサーへの接待で忙しいので、私の大学では実際に学園祭を指揮する司令官は総務でした。
これは実質的には組織を経営するということにとても近しい体験だったと思います。
もし、将来会社を作りたいと考えている学生がいたら、一年生のうちに学園祭実行委員会に入り、総務担当を志望することをお勧めします。二年生までしかできないからです。
経営というのは、まさしく計画を立て、人員を配置し、行動を管理し、トラブルに対応する、ということの繰り返しです。それをどれだけ持続できるかが重要なのです。
そして経営のための能力というのは、お金を稼ぐ能力に集約されます。
特に日本の起業環境では、経営とはお金を稼ぐこと以外の何者でもありません。
この連載のテーマでもありますが、経営はプログラミングととても似ています。
事業を計画し、事業計画に基づいて組織を設計し、実行してみて、間違いやトラブルが起きれば対処する。
この流れは、企画を書いて、仕様を設計し、開発して、デバッグする、という一連のプログラミングの流れとほぼ同一です。
経営の能力は、どちらかといえば内向的な力です。
自分の内側にどれだけ入り込めるか、というスキルです。
どれだけ堅実な事業計画を立てられるか、そこに無駄のない組織をどのように組み立てることが出来るか、そういうことを突き詰めて考えられなければなりません。
逆に言えば、それさえできれば経営はまず失敗しないのです。
この業界には、「小さい会社ほどなかなか潰れない」という法則があります。
たとえば自分一人しかいない会社だったら、まず潰れることはありません。
自分で潰さない限り、絶対に盤石なのです。
しかし規模が大きくなるごとに組織を維持するのがどんどん難しくなってきます。
直接お金を産み出さない間接部門の管理コストが嵩むようになってきて、その管理コストを賄えるくらいの利益を上げなければリストラしなければなりません。場合によっては会社が突然死することもあります。
起業の初期段階では、雇うべき人間と雇うべきでない人間を明確に区別する必要があります。
手持ちの現金がないから、そもそも必死で考えるわけです。
初期段階で雇うべき人間は、自分の能力を補ってくれる人間です。
たとえばアイデアを金にできるタイプの人がまず雇うべきは、秘書です。アイデアワークそのものは自分の能力で足りているわけですから、自分がアイデアワークに集中できるよう、領収書の管理やスケジュール管理等、とにかく自分が高い価値を産み出す仕事に最適化するように人を選ぶべきです。
営業が得意な人間が雇うべき人は、居ません。
営業が得意な人間は、営業だけで食えるはずですから、何を売ろうがやっていけます。もし人を雇うとしたら、同じ営業マンでしょう。
逆にアイデアを金にできるタイプの人が秘書より前に営業マンを雇うと上手く行きません。
営業マンの教育(つまり、アイデアをどのように金にしていくか)に時間をとられてしまって、肝心のアイデアを練る時間が浪費され、アイデアそのものもつまらなくなってしまうからです。
アイデアや営業よりむしろ技術が一番の武器であるという人間が最初に雇うべきは、社長です。
自分が社長になってはいけません。うまくいかないと思います。
もしくは、肩書きだけは社長になったとしても、実質的な経営をやる人間を他に雇うべきです。
たとえば本田宗一郎は藤澤武夫を、井深大は文部大臣経験者の前田多門を雇いました。技術者が経営者を兼ねるのはとても難しいのです。
もちろん、技術者が経営をしていないわけではないのですが、経営に専念する番頭役をいち早く見つけるべきです。技術者は大局的なビジョンの構築に専念して、実際に会社を経営していく人間が他にいるようにするとうまくまわります。
デートに誘う能力に長けていても経営ができるとは限りません。
たとえばセカイカメラのビジョンを考えだした井口尊仁はその典型で、恐ろしくチャーミングな人物ですが実際に経営できているかというとできてないと思います。今作っていると彼が主張するテレパシーワンもいつできるのかわかりません。また、仮に完成したとしても、それを販売して会社の事業を継続できるかというと、むしろ井口はそんなことに興味がないのではないかとさえ思ってしまいます。
このタイプの人物は日本での起業に向きません。
欧米のように、しっかりとしたCEOをVCが選んで送り込んでくれるような会社が向いているでしょう。
井口もそれを理解しているのでテレパシー社をシリコンバレーに設立したのだと思います。
日本の起業環境で圧倒的に不足しているのは、VC以前に経営者です。
お金そのものがあり、起業したいというニーズもあると私は思います。
しかし、VCが投資先の企業に送り込める経営者の数があまりにも少ないと思うのです。
したがって、アイデアや技術先行型の会社が日本で起業して生き残れる確率は非常に少ないわけです。
20世紀末の日本でうまれ、成功した会社は、基本的に営業力が強い会社です。
CSK、ソフトバンク、光通信、リクルート、どれも強力な営業網を持っています。
逆にアイデア先行型でスタートしたアスキーは一世を風靡したにも関わらず消滅してしまいました。
技術で先行したスクウェアはエニックスに吸収合併され、アスキーから分裂した小島文隆率いるアイデア先行型のアクセラも倒産してしまいます。
21世紀に入り、Web全盛期となってからは、営業力が弱い会社でもバイラルが強ければアイデア先行の会社でも発展できるようになりました。mixi、GREE、DeNA、LINEなどです。
ただしバイラルによる流行はスイッチングコストが低いので、いつ新たな対抗馬が産まれて抜き返されるかわからない状態がずっと続きます。
このような時代でも、営業力の強い会社は未だ健在ですから、日本という国で起業する上でいかに営業力が大切かわかります。
光通信の営業力がなければソフトバンクはiPhoneの立ち上げに失敗していたでしょうし、今のような発展も出来ていなかったと思います。一時期はソフトバンクの携帯電話の70%は光通信が売っていたという説もあります。
営業力の強い会社は商材さえあればなんでも売ってきます。
Yahooの広告ページを売っていた時代から、Yahoo!BBの契約を売る時代になり、それが今やiPhoneを売っている、というわけです。
そうしたスキルは起業するためのアイデアを見つけるスキルとは完全に別種のものです。組織化し、営業マンを教育し、管理する、というスキルです。
ただし営業が強い会社の弱点は、当然ながら、売るべき製品が優れていなければ売ることが出来ないということです。
営業は、軍隊でいえば最前線で闘う戦士です。しかし彼らに武器・弾薬を供給しなければ闘うことが出来ません。それが製品です。武器だけが優れていてもそれを使う戦士が鍛えられていなければ戦いになりません。優れた武器を作る能力とは起業スキルです。
結局、経営者には、起業と経営、その両方のスキルが求められることになると思います。
大局的な視点で起業ビジョンを語り、それを着実に実行する経営を行う。
それが理想の姿なのかもしれませんが、私自身、なかなかそこまで上手くはできないことに歯痒さを感じます。
精進します。
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登録はこちら新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。