original image: Tyler Olson / stock.adobe.com
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DXについて考えるメディア「モダンタイムズ」に、本サイトで「和室」についての論考をお願いしていた松村秀一先生が道具について寄稿(「機械はけがらわしいから使わないまでだよ」2500年前からの問いかけ)されている。その中で紹介されていたYouTubeの「大工の正やん」が新旧の道具を適材適所に見事に使う仕事ぶりに見入ってしまった。
松村先生は、モダンタイムズの記事の中で、道具というものが身体性を帯びることができるか、職人の体の延長のような存在になるかが重要ではないか、と問いかけている。これは、PCについても全く同感なのである。
原稿を書いたり、寄稿者が書いた原稿を査読・校正する、といった仕事をしていると、PCでの作業のかなりの部分が「テキストの入力と編集」ということになる。特に機械的な作業については、文字入力と編集操作(コピー&ペーストなど)が仕事の効率のかなりの部分を左右する。
大工仕事に擬えると道具として挙げられるのは、ソフトウエアはテキストエディタ、ハードウエアではキーボード、ということになる。中でも指先の延長といった身体性を帯びるのがキーボードである。
現在、予備機も含めてノートPCを3台使っているが、PCによってキー配置やピッチなどが異なるため、必ず外付けのUSBキーボードを使っている。ポインティングデバイスも外付けのUSBマウスである。さらに、デスクトップのアイコン配置やソフトウエア環境に関しても、3台ともまったく同じにしてあり、どのPCで作業してもPCの差異はほとんど意識せずに済むようにしている。
最も重要なインタフェースであるキーボードは、ストロークがたっぷりしたメンブレンタイプである。これは、既にどのPCよりも長く使っており、手に良く馴染んでいる。キートップの文字が掠れてきているが、ほとんど見ないので問題ないし、PCを持って出張するようなときにもPCと一緒に持ち歩くほどである。
こういったキーボードの道具感というのは、デスクトップPCの頃にはあまり実感していなかったのだが、2000年代はじめにアップルのiBook G4を使ってみて、それまでのキーボードには感じられなかった身体性を実感したのが最初だった。ノートPCとしては大型で手のサイズとのマッチングもあったのだろうが、タッチがとても快適だったのだ。結果、明らかに原稿を書く効率(速度だけではないのだが)が向上した。
とはいえMacには、ソフトウエアの道具であるテキストエディタ、特にURL混じりのテキストを編集しやすい適当なものが当時はなかったので、結局メインマシンはWindowsノートにしたのだが、iBook G4での体験から気に入った外付けキーボードを使うようになった。
既にして、PCは持たない、使わない、必要ない、すべてスマホでという雰囲気もなくはないが、この道具感というか体の延長のような感覚は得られるのだろうか? スマホはAndroidしか使ったことがないが、ガラケーのようにブラインドで操作できないなど、いまひとつ道具感を感じられずにいる。用途が違うといえばそれまでの話ではあるが、、、。
道具や身体性ということについてのモダンタイムズの記事をいくつか紹介させていただく。
・「機械はけがらわしいから使わないまでだよ」2500年前からの問いかけ
・話題の新技術にとびつく思考停止中の意思決定者が、ものづくり人の世界を危うくしている
・建築DXが変える経営と現場。デジタルが築く建築業界の一元管理システムとは
・機械に頼った研究では「いったい何がわかったのか」がどんどん不明瞭になってくる
「本当のDX」を考えるウェブメディア『モダンタイムズ』
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登録はこちら北海道札幌市出身。システムエンジニア、IT分野の専門雑誌編集、Webメディア編集・運営、読者コミュニティの運営などを経験後、2006年にWebを主な事業ドメインとする「有限会社ハイブリッドメディア・ラボ」を設立。2014年、新規事業として富士山麓で「cafe TRAIL」を開店。2019年の閉店後も、師と仰ぐインド人シェフのアドバイスを受けながら、日本の食材を生かしたインドカレーを研究している。