写真:Sergii Figurnyi
写真:Sergii Figurnyi
美術とデータの相性は変わりゆくか
近年、データサイエンスへの社会的な関心が高まっている。その理由は、例えば来年開設が予定されている一橋大学のデータサイエンス系の新学部の以下の概要に明らかだろう。
近年の社会・自然環境の大幅な変化により、世界中で様々な課題が新たに発生しており、これらの課題の状況は刻一刻と変化を続けています。急速かつ複雑に変化する現代社会の課題を解決するためには、適切な課題を発見・定義し、必要なデータを収集・分析して、そこから得られた示唆を社会実装することが必要です。
むろんこのデータサイエンスの潮流からは美術も無縁でいられるはずがない。データサイエンスという観点から美術について考えると、ある面では非常に相性がよく、逆に別の面では非常に相性が悪いことが分かる。
美術とデータの相性の良さは、何といってもミュージアムの存在によって立証されている。ミュージアムとは多くの美術作品を収集・保管する施設であり、収集の対象となっている作品からは全て作家名、年代、素材、技法、ジャンル等のデータが採取され、個々の作品はそれぞれのデータに基づいて分類・整理され、他の作品と関連づけられている。
そうした膨大なデータの蓄積は、単に個々の作品の属性を明らかにするだけではなく、美術史の体系化や美術市場の形成にも大きく寄与することになるだろう。ミュージアムという装置を管理運営する上で、データは不可欠な存在なのである。
一方、美術作品の価値判断に際しては、美術とデータの相性の悪さが不可避的につきまとうことになる。美術作品の価値の源泉は作家性とオリジナリティ、すなわち「この作品は誰々によって生み出されたものである」という唯一性にある。ベンヤミンが「アウラ」と呼んだこの唯一性の拘束力はことのほか強いものであり、複製の可能な写真や映像もその拘束から自由なわけではない。
データは活用して初めて意味があるもので、それ自体は文字や数字の羅列に過ぎないため、データに変換された作品は他の作品との差異を喪失し、無味乾燥な文字や数字の海に埋没してしまう恐れを免れなかったからだ。だが長らく支配的だったこの常識も、アーティスト・コレクティブの台頭やNFTアートの出現によって急速に変わりつつある。
※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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