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「テクノ楽観主義者宣言」にみる先鋭化するテック大富豪のイキり、そしてテック業界の潮目の変化
2023.11.07
Updated by yomoyomo on November 7, 2023, 12:00 pm JST
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2023.11.07
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前々回「先鋭化する大富豪の白人男性たち、警告する女性たち」、前回「テクノ楽観主義者からラッダイトまで」を書いた者として、今回はマーク・アンドリーセンの「テクノ楽観主義者宣言(The Techno-Optimist Manifesto)」(解説付き日本語訳)を取り上げるのが必然と思われます。まさに大富豪の白人男性の先鋭化とテクノ楽観主義者の現在を見るうえで必読と言える内容になっています。
しかし、この渾身のマニフェストに対する風当たりは強い、という印象があります。それについては後で取り上げますが、いろいろな意味で潮目の変化を感じずにはいられません。
著者のマーク・アンドリーセンは、Mosaicブラウザの開発者、Netscacpeの共同創業者として、1990年代のインターネットを形作った一人と言えます。ゼロ年代以降は、ベンチャーキャピタルファームのAndreessen Horowitz(a16z)を設立してユニコーン企業の多くに投資を行い、HPやFacebook(Meta)といった大企業の取締役を歴任するなど、シリコンバレーのテクノクラートを代表する存在と言えます。
彼の文章でもっとも有名なものは、2011年の「ソフトウェアが世界を飲み込む理由」(日本語訳)でしょう。今読み直すと、締めが「私は、自分が自らの資金をどこに投資しようとしているのか理解している」なのを見ても明らかなように、ソフトウェア・スタートアップへの投資家としてのポジショントークも多分に含まれていますが、それより遥かに内容の予見性と妥当性が上回っていましたし、それはその後の歴史が証明しています。
新型コロナウイルスが世界的に猛威を奮った2020年の4月に著された「今こそ構築のとき」(日本語訳)は、コロナ禍の混乱で浮足立っていた人たちにテクノロジーへの投資の重要性を説き、エンジニアに対してテクノロジーで価値ある未来を創造しろと檄を飛ばしながら、「世界を飲み込むソフトウェア」という一種の「破壊」から「構築」へとナラティブのシフトチェンジを図っているところが巧みでした。
個人的に最初にアレ?と思ったのは、今年の6月に公開された「AIが世界を救う理由」(ざっくりまとめ)です。これは、人間の仕事を奪うリスク、ヘイトスピーチや誤情報の拡散、悪事の助長といったAIの規制や開発中止を支持する主張に反論するものですが、WIREDのギデオン・リッチフィールドから、論旨の矛盾や藁人形論法を指摘された上で「今回のナラティブは(ほとんどが)間違い」とバッサリ斬られています。
そして今回の「テクノ楽観主義者宣言」ですが、「AIが世界を救う理由」から半年も経たないうちに「AIの進歩を阻むのは一種の殺人」と訴える5000ワード超の文章を公開したのは、かつてのようにナラティブが受け入れられない状況への強い不満がうかがえます。ここで思い出すのは、「先鋭化する大富豪の白人男性たち、警告する女性たち」でも引用したポール・クルーグマンの文章です。
しかし、有名で金持ちの男たちは、現実に何が起こるかをコントロールできず、自分がインターネットで嘲笑されるのを止めることさえできないのにとりわけ苛立っているのではないだろうか。
前述の通り、今回の「テクノ楽観主義者宣言」に対する評価は必ずしも芳しくありません。例えば、Gawkerの共同設立者であるエリザベス・スピアーズは、テック企業の君主たる裕福なテクノロジストはビジネスリーダーであるだけでなく社会秩序の番人であるべきという傲慢、中央集権的な政府体制(特に共産主義)に対して憤慨しながら、一方で自分たちテクノロジストは中央集権的な計画を立て、人類の未来を統治してよいと言わんばかりの権威主義的姿勢を「テック界の覇者が描く、恐ろしくも愚かなビジョン」とNew York Timesに寄稿した論説で厳しく批判しています。
スピアーズは、この宣言はアンドリーセンのよく知られた自己中心的な考えに留まらず、技術系エリートたちの間で支持を集めるニヒリズムを明確に表現していると警告します。
新反動主義思想は、準封建的なシステムにおいて、少数の技術に精通したエリートの手にかかれば、世界はずっとうまく回ると強く主張するものだ。アンドリーセン氏は、このレンズを通して、テクノロジーを発展させることが最も徳のあることだと信じている。この系統の考え方は、民主主義を軽蔑し、それを支える制度(例えば、自由な報道)に反対する。平等主義を見下し、社会から疎外された集団への抑圧を、彼ら自身が作り出した問題とみなす。また、(引用者注:Facebookの初期のモットーだった)「素早く行動して破壊せよ」が控えめに思えるほど、結果にかかわらず技術進歩を極端に加速させるよう強く訴える。
八田真行氏が「カリフォルニアン・イデオロギーの不出来な息子と言えなくもない」と書く新反動主義は、かつて「自由は民主主義と相容れない」と書いたピーター・ティールにも顕著ですが、ジョージ・ワシントン大学准教授のデヴィッド・カープも「なぜ俺たちのテック億万長者どもは新しいことを学べないの?」で、アンドリーセンの「テクノ楽観主義者宣言」に、「また俺ら1993年に戻ってしまったわけ?」と1990年代に(今年創刊30周年を迎えた)WIREDが体現したカリフォルニアン・イデオロギーとの類似性を指摘し、その上で疑問を呈します。
アンドリーセンの90年代の焼き直しがかくも奇妙なのは、彼がそれを体制への挑戦に見せているからだ。テクノ楽観主義は、私が大人になってからの人生を通じて支配的なパラダイムだった。我々は何十年もの間、アンドリーセンとその仲間たちに拍手を送ってきた。彼らは雑誌の表紙を飾ってきた。我々はハイテク企業の独占を規制するのを止めた。富裕層への減税を行った。我々は、彼らが来るべき未来について鋭い洞察力を持っていると信じていた。テック界の大物たちが最終的には我々の利益を一番に考えてくれていると思い込んでいたのだ。
WIREDが創刊し、アンドリーセンがNCSA Mosaicを公開してから30年が経ちました。インターネットはもはや未来の領域ではありません。それは我々の現在であり、ある意味相当に蓄積された過去でもあります。カープは90年代のテクノ楽観主義者たちの過去の約束がどうなったかを検証した上で、国家による規制などの介入を嫌悪し、市場による解決に固執するアンドリーセンを批判します。
アンドリーセンのようなカリスマ的なテクノロジストは、技術の進歩は勇気ある発明家と彼らが設立した喧嘩っ早い企業によってのみもたらされると想像したがる。しかし、それは子供じみた幻想だ。ほんの少しも真実であったことはない。シリコンバレーは、宇宙開発競争の時代に公的資金によって築かれた! ベンチャーキャピタルは、1970年代の税制改正によって生まれた。カリフォルニア州の排出権取引制度がなければ、テスラは存在しなかっただろう。インフレ削減法の素晴らしいところは、クリーンエネルギーへの移行を加速させることを目的とした、本質的には単なる大金の山だということだ。
その後カープは、経済格差はおのずと解決するものではなく、市場は完璧な自己修正メカニズムではないことを指摘し、「市場は独占やカルテルを防ぐ」というアンドリーセンの言い切りを批判し、人々がa16zの投資に対する規制強化を求めるのは、彼らが「テクノロジーに対して怒り、恨み、憤慨するように言われている」からではなく、個人投資家がまさに昨年、a16zが積極的に売り込んでいたポンジ・スキームに資金を投じ、生活資金を失ったばかりだからだと主張します。
そして、アンドリーセンの「加速主義」、特に「AIの進歩を阻むのは一種の殺人」という脅迫めいた主張に対し、テクノロジーに対する滑稽なほど単純化しすぎた見方で、視野が狭く、利己的、テクノロジーはつまみを回して調整できるダイヤルじゃないぞ、と批判します。
ワタシが前回の文章で取り上げたブライアン・マーチャントの新刊を引き合いに出しながら(前回取り上げ損ねたのですが、カープはこの本について「我々は皆、今ラッダイトになるべきだ」と熱烈な書評を書いています)、2023年は(テック界の大富豪ではなく)労働者の勝利の年になると断じながら、テクノ現実主義を掲げるなど読みどころがありますが、「テクノ楽観主義者宣言」における「勇者の旅」といった詩的な書きっぷりを、アンドリーセンと同い年のイーロン・マスクのふざけた行動と同じく「中年の危機」の臭いがすると示唆しているところには笑ってしまいました。
そしてカープは、「テクノ楽観主義者宣言」における笑って済ませられない引用についても指摘しています。
「テクノ楽観主義者宣言」には、「異なる時代と場所のマニフェスト」として1909年にフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが発表した「未来派宣言」が引き合いに出されます。
ワタシと同年代以上であれば、トレバー・ホーンのZTTレーベルやアート・オブ・ノイズといった名称がイタリア未来派に由来すること、また今年亡くなった坂本龍一の1986年のアルバム『未来派野郎』などから、この未来派をなんとなくカッコイイものと受容した人もいるかもしれません。しかし、「未来派宣言」の著者マリネッティがムッソリーニのファシズム政権に接近し、後に「ファシスト宣言」の主著者となったことを知ると、なんとなくカッコイイでは済まされません。「大手テック投資家、錯乱したマニフェストでファシズムの立役者を「聖人」と呼ぶ」といささか煽情的なタイトルの記事がVICEに出たのも致し方なしでしょう。
「テクノ楽観主義者宣言」には新反動主義、加速主義の親玉であるニック・ランドの名前も引き合いに出されており、こちらは正直まったく意外ではありませんでしたが、まさか未来派を引っ張り出すとはというのがワタシの正直な感想です。アンドリーセンがマリネッティのファシズムとの関わりを知らないわけはなく、それでひんしゅくを買うのも想定内なのでしょう。
それは結構ですが、未来派宣言が女性への蔑みを賞賛し、マリネッティが「女の贅沢に反対する未来派宣言」なる大笑いな檄文を書いていることを知ると(嫁の出費に難癖つける意地悪な舅かよ)、2023年になって未来派を持ち出すアンドリーセンのイキりが、かの「初カキコ…ども…」における「尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)」レベルの中二病に重なります。アンドリーセンよりずっと年長のスティーヴン・レヴィが、「テック業界で財を築いた億万長者の“テクノロジー楽観主義”に欠けているもの」で、テクノロジーが世界をよりよい場所にするという点は正しいが、それ以外の多くの点は的外れと論じる評の最後で、「アンドリーセンに何があったのか」「一体何が起きたのか?」と訝しがっているのも分かる気がします。やはり、中年の危機なんでしょうか?
「テクノ楽観主義者宣言」の最後に「テクノ楽観主義の守護聖人」としてニック・ランドやフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティとともに、アイン・ランドの小説『肩をすくめるアトラス』の主人公である架空の人物ジョン・ゴールトが入っているのを見るにいたり、「シリコンバレー、特にシリコンバレーのベンチャーキャピタルは、高校生のときにアイン・ランドを読んで、偉大だと思い、その後考えを変えてない年寄りの白人男にほぼ牛耳られている」というマイク・モンテイロの文章をどうしても思い出してしまいます。
前回の文章で、アンドリーセンらシリコンバレーの大富豪たちの思想を表現する「TESCREAL」なる造語を紹介しましたが、アンドリーセンが現在ご執心なのは「効果的加速主義(effective accelerationism、e/acc)」であり、「テクノ楽観主義者宣言」にもその影響があるのは間違いありません(e/accを最初に提唱した文章の共著者2人が、前述の「テクノ楽観主義の守護聖人」に列せられています)。
……と知ったようなことを書きましたが、正直ワタシはe/accの何たるか分かっておらず、今回の文章を書くために、アンドリーセンのe/accへの入れ込みを取り上げたINSIDERの記事を読んでみましたが、そこでも「よくわからない理論」と紹介されているくらいだったりします。
ただ、e/accが「TESCREAL」の構成要素の一つである「効果的利他主義(effective altruism)」のもじりであり、ニック・ランドの加速主義のアップデート版と言えるのは確かでしょう。INSIDERの記事から引用します。
この哲学の基本的な考え方はこうだ:テクノロジーの時代には、イノベーションと資本主義の力を最大限に活用し、根本的な社会変革を推進すべきである――たとえそれが、今日の社会秩序を根底から覆すことを意味するとしても。
確かにこの哲学のもとでは、テクノロジーの最終段階への到達が目標となりますし、「AIの進歩を阻むのは一種の殺人」に違いないでしょう。上で引き合いに出したVICEの記事でもe/accについて、「このテクノユートピア的ドグマの最も著名な支持者には、現在証券詐欺で裁判中のクリプト詐欺師のサム・バンクマン=フリードや、OpenAIの共同設立者で億万長者の糞野郎イーロン・マスクがいる」とありますが、ここにもテック大富豪の先鋭化を見ることができます。
ペンシルベニア州立大学助教のケヴィン・マンガ―のように「加速主義はテロリズムだ」と断じてよいかは分かりませんが、テクノロジー未来学者を自称するテオ・プリーストリーが「まるで新興カルトの聖書の一章みたい」と半ば呆れ、PR会社のEZPRの創業者、CEOのエド・ジトロンが「醜く偽りだらけの論理」、「テック業界にとって恥ずべきもの」、「彼はどの問題に対しても真の解決策を提示していない偽善者」とボロクソに書いているのを見ると、どうもテック業界においても「テクノ楽観主義者宣言」を苦々しく思っている人は少なからずいるようです。
この潮目の変化はなんでしょうか? 池田純一氏が書くように、「英雄崇拝」的視線がイノベーターやアントレプレナーに向けられる時代は2016年に終わったというのもあるでしょう。
それ以上に大きいのは、AIを巡る国家レベルな政策のシフトチェンジがあります。先月末、バイデン政権は人工知能の安全、安心、信頼できる開発と利用に関する大統領令を発令しました。この大統領令はおよそ2万ワードに及ぶ長大なもので、開発企業にサービス提供前に政府による安全性の評価を受けるよう義務付ける、法的拘束力を持つ初めてのAI規制と言えるものです。
正直ワタシは大統領令を読み通せておらず、その要約版のファクトシートに目を通しただけですが、安全性や信頼性を目的とするAIの規制とイノベーションのバランスを配慮していることが分かります。その実効性に疑問を持つ八田真行氏はおそらく正しいのですが、官民の連携協力を前提とするのは、やはり今年発表された国家サイバーセキュリティ戦略にも通じるものであり、もはやテック業界がその責任を合衆国政府に求められるところまで来ているのは間違いありません。
それを踏まえて以下のエド・ジトロンの嘆きを読むと、アンドリーセンが入れ込むe/accは確かにシリコンバレーの一部のカルト的流行かもしれませんが、彼は2023年におけるテック業界の潮目を見誤っているのではないかと疑わざるをえません。
アンドリーセンの考え方には時代遅れと幼稚が同居しており、世界はもっとテクノロジーを必要としており、もっとテクノロジーを手に入れるには、テック業界とベンチャーキャピタリストが現代世界のあらゆる側面を収益化する妨げとなるあらゆる障壁を取り除くことである、という考えに深くはまっている。アンドリーセンは、「社会的責任」、「持続可能な開発」、「技術倫理」と並んで「権威主義」を挙げ、彼が「敵」とみなす主体や概念を列挙するのにエッセイの全編を割いている。アンドリーセンは、シリコンバレー銀行の破綻がテック企業の資金調達能力を衰退させたのと同じ年に「リスク管理」が敵であり、Twitterがまさに「信頼と安全」という名前のチームを解雇した結果、その信頼と安全が崩壊してしまったのと同じ年に「信頼と安全」が敵であると考えている。
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登録はこちら雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。