テレビドラマのカメラマンをやっている友人から、「面白いから是非見てよ」と言われたNetflixのテレビドラマがある。
タイで制作された作品で、日本語タイトルは「マッド・ユニコーン」
タイに実在する、タイ初のユニコーン企業をモデルとした、経済エンターテインメント作品だ。
これが全七話と比較的短い作品ながら、いや、それ故のスピード感で、夕方ぼんやりと見始めたら面白くて結局、そのまま最後まで見てしまうほどの傑作だった。
あらすじはこうだ。
主人公のサンティは、タイの貧しい農村で生まれ、閉山間近な場末の砂鉱山で働く青年。母は中国語の教師で、サンティの武器は唯一、タイ語と中国語を話せること。
ある日、ひょんなことから大学でタイ出身の大富豪にして起業家、カニンの講義を受講する。商売を成功させる秘訣をカニンの言葉から閃いたサンティは、あっと驚く方法で砂鉱山の取引を大成功させ、砂鉱山の社長に認められ、給料を前借りしてバンコクで観光客むけの通訳を始める。
冒頭、まだ砂鉱山が成功していなかった頃、なけなしの金で母にクリスマスプレゼントを送ろうとすると、プレゼント代よりも送料が高いことにがっかりする。しかし、ひょんなことから上海を訪れたサンティはそこでは全国均一料金で荷物が送れることを知ったサンティは、全く新しいビジネスプランを思いつく。それはタイにおける宅配サービスの革命だった。
この物語の見どころは、タイの作品では王道の貧困、格差社会問題を中心において視聴者の同情と共感を呼びながら、その実、圧倒的に前向きでパワフルなサンティと仲間たちのキャラクターを描き切ったところにある。
5月末公開の作品なので、まだ見てない人はぜひ見てほしいが、本欄は「プログラマー経営学」なので、ここから先はネタバレありでこの作品のリアリティについて語りたい。
まず結論から言えば、この作品は現実の出来事をモデルにしてあるだけあって、かなりのリアリティがある。
この作品の感想を本欄に書こうと昨日の夜のうちに決めて、頭の中で何度も、どのようにこの作品の素晴らしさ、この作品で語られようとしたことの凄さを語るか考え、推敲した。それで眠れなくなったほどだ。
あまりそう名乗ることは少ないが、筆者は実質的に連続起業家である。これまでに立ち上げに関わった法人は15社。その前に働いていたスタートアップを含めればもっと増える。うまく行った事業も、そうでない事業もたくさん経験している。したがって、この作品のリアリテイを語る資格はそこそこあると思う。
まず、起業家にとって必要とされる資質について、それを三つのキーワードにまとめるとすれば、バカ、誠実、そして情熱である。
そもそも、起業とは馬鹿な思いつきから始まる。馬鹿でなければ起業家になれない。利口な人間には向いてない。
例えば筆者は、「貯金をするような人間は利口だから起業家に向いてない」と考える。貯金するというのは、手元の現金の活用法を考えることを先送りにするということだ。利口な生き方かもしれないが、それは同時に、起業家には向いてないということになる。人間だろうが蟻だろうが、集団の中で敢えて困難に挑戦する、人の行かない道を行くという者が必ずいる。起業家とはそのような人間だ。もともと数が少ないのである。本作「マッド・ユニコーン」の由来もそこにある。
本作で重要なパートナーになる天才プログラマー、ルイ・ジエは最初、カニングループに誘われるが、お茶の出し方が気に入らないと言って中国に帰ろうとする。しかしそこを待ち伏せていたサンティに高速道路を暴走され、サンティは狂気に満ちた行動に出てルイ・ジエを心底ビビらせる。「バカ」という字幕は二回出てくるが、一回目、カニングループの若社長に向かって行ったのは(英語訳では)「バカ(dumb as hell)」であり、サンティに言った「バカ(crazy)」とは違う。そして英語においてはdumbは本物の愚か者だが、crazyは、何をするかわからない人物ということになる。筆者が思う起業家向きのバカとは当然、crazyな人間を意味する。ルイ・ジエの属するIT業界においては、crazyは圧倒的な褒め言葉だ。その頂点にはスティーブ・ジョブズがいる。また、ルイ・ジエが「俺に半分も株を渡すな。お前が7割、俺が3割でいい」と言ったのもあっている。会社法は国によって違うが、日本では会社の株式の66.6%(つまり2/3)を持っている人が独善的に決定できる。起業家としてはここはぜひ死守したいところだが、起業家として成長してくると、50:50の取引や51:49の取引は普通にあり得る(だからカニングループはイージーエクスプレスに51%を渡した)。
次に、誠実さ。ストーリー的にはルイ・ジエが合流する少し前絵だが、サンティは当初、カニングループのカニン総裁に誘われて中国のイージーエスプレスとの提携を模索する。提携にあたり、視察に来た中国側の人々にサンティはサクラを使ってタイの宅配事業を有望に見せようとする。提携先の女性責任者シャオユー(彼女もまた中国人の父とタイ人の母を持つ)に賄賂を渡して説得しろと言われたサンティは賄賂を渡す寸前に、土下座して罪を自白する方を選ぶ。イチかバチかの危険な賭けだったが、シャオユーはサンティの潔さに感銘を受け、カニングループはイージーエクスプレスとの提携に成功する。「物語的な演出だろう」と思うかもしれないが、現実のビジネスの場でもこういうことは起きる。大金を持った人は、面倒ごとを大金で強引に解決しようとする傾向を持っている場合がある。そういう相手には注意が必要だ。
最近のコンプラ意識の高い日本企業には、あからさまに露骨な接待をしたり求めたりしてくる人は減ってきている(もはやそれは考えるだけで命取りだ)のだが、いまだにそういうやり方で物事を解決しようとする人はいる。その人が大金持ちならそれでなんとかなる場面もあるのかもしれないが、大金を持たない起業家にとって不誠実は命取りになる。たとえ会社が潰れたとしても、会社を去ったとしても、その人の人間性は残る。ダメになった時の人間の行動を、実は周りの人はみんな見ている。
最後に、情熱。この物語の全体を貫くテーマは、まさにここにあると言ってもいいだろう。どんな卑劣な妨害をされても、絶望的な状態になっても、決してめげない、戦い続けるサンティの姿は多くの視聴者の共感を呼ぶはずだ。起業家は情熱を失ったらおしまいである。
さて、個々のエピソードのリアリティについて。
まずクライマックスに向けたカニンたちの嫌がらせ、妨害工作ろについて。
あんな犯罪まがいのやり方で妨害する会社が現実にあるとは思えないかもしれない。しかし外国では普通にあるし、Uberのように、スタートアップ自体が犯罪を率先してやるケースもある(ウーバー戦記)。
筆者も、わざと交通事故を起こされたことはないが、外国の取引先が自社製品を勝手に転売しようとしていたり、スラップ訴訟を仕掛けられたり、産業スパイを送り込まれたり、契約書に書いてあることを守ってもらえず、「下請け保護法違反では?」と指摘すると「業界から締め出す」と言われたりしたことがあった(実際に払ってもらえなくて数年分タダ働きになった)。起業とは、文字通り闘いなのである。大国が国際法を守らない今のような時代、法律が無条件で自分たちを守ってくれるわけではない。法律は自分たちを守ってくれるかもしれない道具の一つに過ぎない。日本における宅急便だって、最初は法律を盾に訴訟を起こされたり、同業者に妨害されまくっていた(逆境を越えて 宅急便の父 小倉昌男伝)。戦う情熱を持ち続けられない人に起業は不可能だ。人口が爆発的に増え続けない限り、常にイノベーションとは、誰かの商売を奪うことなのである。そこには当然、軋轢が生まれる。
次に、取引関係について。
まずサンティの最初の取引。砂鉱山という日本ではあまり聞かない職場の話なのだが、実際にこういうやる気のある若者が小さなアイデアから大きな成果を得ることは当然ありうる。
ここではサンティは貧しいが優れた頭脳の持ち主ということが描写されている。
実際、砂鉱山の社長は中国系で、サンティを通訳として使いながらもビジネスの才覚を認め、積極的に支援している。
サンティが上海の大富豪の家で酒を飲んで家を売ろうとする話。あれも昔の営業の武勇伝としてはいくらでもある。タイ社会や中国社会は今も昔の日本のようなものかもしれない。筆者も仕事の取引のために中国の奥地で60度の白酒(バイジウ)を7杯飲まされて、最後の二杯はライターで火をつけて飲んだ(まさにサンティがしたように)。ふらふらになりながら「日本では返礼としてさらに7杯飲む」と言って強引に7杯飲み、記憶を無くした。そのまま倒れるのではなく大暴れしたらしいが、仕事はスムーズに進むようになった。
飛行機の中で偶然カニンと出会うエピソードは、実は意外とリアリティがある。カニンがサンティの若さと勢いを買ったのは事実だろう。実際、信じられないかもしれないが筆者もドバイ行きの飛行機でエコノミークラスを取ったら偶然隣り合わせたのが友人の株式会社SHIFTの丹下社長だったことがある。その時はビジネスクラスが満杯で、「仕方ないから酒飲んで寝ちまおう」と思って売店でしこたま酒を買い込んで来たのだが、見ると丹下さんも同じように酒とツマミを買い込んでいたのを見て笑ってしまった。その日はドバイまで飲んだくれて、ドバイの空港で日経新聞の記者が偶然合流して、目的地のバルセロナに向かった。大きなイベントがある時に知人と同じ便になるということはよくある。あるとき、新幹線に乗ったら、隣が偶然長岡市長だったこともある。
サンティがカニンからされた仕打ちは、物語上の嘘だろう。もしくは、サンティが契約に無知すぎたか。普通は未公開会社の株式には譲渡制限があり、大株主を無視して勝手に増資したりはできない。Facebook(現Meta)社をモデルにした映画「ソーシャルネットワーク」でも同じようなエピソードがあるが、あれはもっと巧妙だし、しかも裁判で負けてる。
本作のヒロイン、シャオユーの置かれた境遇は、さすがにフィクションらしさが強い。しかし、中国に婚約者を残したままタイのスタートアップでCFOとなり、サンティを支えるという展開はスリリングで素晴らしいスパイスになっている。スタートアップ企業は全員が情熱家でもあるので同僚がとても魅力的に見える。故に社内結婚が多いのだが、あれだけの急成長企業でありながらその描写が一つもないのは不自然さを感じつつも、物語をスローダウンさせる可能性もあるのでそこを割愛したのは作品としては正解だったのではないかと思う。
ルイ・ジエとそのチームの描き方は本作で最もリアリティのあるものの一つだ。実際、今の日本では無理だと思うが、1990年代のドワンゴではダンボールハウスが社内のあちこちに建てられ、朝まで会社にいるのが普通だった。ただ、一つだけ大きく違うのは、ドワンゴでは誰も仕事なんかしてなかったということだ。ただ、家に帰っている間に何か面白いことが会社で起きてしまって、それを目撃できなのが悔しいと思うと、なんとなく会社に泊まるような習慣がついてしまっただけだ。画面も誤魔化さずターミナルをちゃんと作り込んであり、gitコマンドも使っている。こういうところを嘘にするとこの手のことがわかる人は一気に白けてしまうから正解だったと思う。
社員の買収と裏切りについては、極端な描き方だなと思う。今の日本では、普通の会社員が家族の医療費に困窮するほどの状況はなかなか起きにくい。筆者は今までそれが理由で横領したりしていた人を見たことがない。やはり日本では金銭的な目的で犯罪まがいのことに手を染めるのはギャンブルが多いだろうが、そもそもそういう人は採用しないので、今のところ筆者のところまで上がってきた明確な横領案件には遭遇したことがない(他社では聞いたことがある。やはり人数が増えるとリスクも増える)。
ルイ・ジエが天塩にかけた部下に裏切られたシーンは胸が痛んだ。筆者にもそういう経験は沢山ある。向こうにも言い分はもちろんあるだろうが、どれだけ大切に思っていてもいつか別れは来る。それは相手が成長した故の別れか、仲違いしてからの別れか。
本来、会社には「なぜか紛れ込んでしまった無能な人」が一定数いる(パレートの法則)ものなのだが、本作には明確に無能な人というのは見当たらない。実在の会社をモデルにしているから難しいのかもしれない。
本作で最も無能だったのはカニンの息子のケンだろう。しかしケンとて彼なりに頑張ってはいた。なぜか卑劣な方法しか思いつかない。そもそも、会社の社長ならまず正攻法の事業で圧倒する方法を考えるのが先決なのに、細かい嫌がらせに終始していたのは少し残念だ。だがこれも現実に大企業とスタートアップが正面衝突した場合、大企業は大企業ゆえの鈍重さを持ってないとスタートアップの商機はない。むしろスパイがいたとはいえ大企業にしては追従が早いそこは評価したいが、ビジネス戦争ものとして完全なフィクションだったとしたら、もっと魅力的な悪役も作れたのではないか。たとえばケンが正攻法のアイデアでサンティの事業を脅かすような展開があったらケンも好敵手としての魅力が出たかもしれない。その点、カニンは悪役としても師としても最高の活躍ぶりだった。特にサンティに忠告するふりをして逆に追い込む展開は、二人のキャラクターの好対照ぶりを浮き彫りにした。
サンティが航空便の件でカニンを出し抜いたシーンは見事だった。サンティがただ正面突破を繰り返す小僧から、カニンの老獪さに学び、用心深さを身につけたという描写だ。
あれこれ言ったが、冒頭に書いたように本作は傑作である。
エンターテインメントとしてもビジネスものとしても
この作品を多分起業家でない人より何倍も楽めただけでも、筆者の辛く苦しかった起業家人生にも何かしらの意味はあったのかもしれない。
新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。