December 22, 2025
清水 亮 ryo_shimizu
新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。
今、世の中は四つの層に分断されている。
一つは、AIを全く使えない層、これは旧来通りの生き方を貫いていくだけで良い。今最も平穏に過ごせる人かもしれない。
次に、AIを少し使える層、この層の人はAIの進歩にワクワクしつつ、Nanobanana ProとかGenSparkとかを使って、普段の仕事を効率化できてハッピーだと考えている。
そして、AIをかなり使えて、元々プログラミングも出来る層。コマンドラインツールであるClaude CodeやCodex CLIを使える人たち。ここが二つに分断されている。まだグズグズとAntigravityとかCursorとか、要は「AIはあくまで自分に従属するアシスタント」に留めようとする人たちと、それらをほとんど全く捨ててしまう人たちだ。
ここに一番重大な分断がある。
非常に簡単に言えば、「AIに対する信仰」の違いがこの分断を呼んでいる。
例えば、「もうAIがあれば大抵のものは即日で作れるからインターンを雇う必要がない」と筆者が言ったとき、「そんなわけないだろ」と反応する層が一定数いる。
それとは反対に「そうだよねえ」と思う人は特に反応しない。当たり前のことをいってるだけだからだ。JR東京駅の隣は神田と有楽町、くらいのことを聞かれて「そうそう」とわざわざ表明する人がいないのと同じことだ。
もちろん人間がやったほうがいいところとか、人間じゃないともしかしたらできないところというのはある。
でもそれは、数理モデル化とかそういうレベルの話で、もっと言えば「ゲームデザイン」の話であって、本質的に新しかったり、本質的に異なっていたりするわけではない。
例えば論文を深く読み込んで、再現実装する、みたいなことは人間でもできるかもしれないが、AIにやらせればかなりのところまで自動的にやってくれる。最後の数ピースをはめるだけで良い。ただ、その「最後の数ピース」をはめるためには、相当な知識と経験が必要になる。
「AIに対する信仰」が少ない人は、まず第一に経験が少ない。第二におそらく自分の能力に自信がない。「AI如きがどのように暴れようと御してやる」という自信がないと、AIに全てを委ねることはできない。
そして、そこまで言ってナンだが、AIはすぐおかしなことを言い始める。とんでもなくアホみたいなところでつまづく。相当無能な人間でもやらかさないようなミスを繰り返すことがある。この部分だけをみて「まだまだAIはバカだ」と安堵したい気持ちもわかるが、それは非常に些細なことで、全体としてはAIを使ったほうが遥かに効率が良いのだ。
AIを従属的に使うことのリスクというか欠点は、自分のソースコード記述能力に律速するところだ。
Claude Codeのような半自動コマンドラインツールなら複数のAIに別々のタスクを投げてそれが実行されているところを眺めているだけでいい。時折おかしくなったAIを叱ったり宥めたり助言してやったりすれば、大抵のケースでAIはよく働く。
今世の中にあるいわゆる「AI」は、どれも大抵の人間のプログラマーの能力を超えている。筆者じしん、40年以上のコーディング経験があるが、今のAIには一つも敵わない。まあそもそも筆者自身はたいしたプログラマーではないので当然なのだが、だが筆者はAIに対して尊敬の念を抱いても、劣等感を抱くことはない。
なぜなら、筆者の人生では、自分より優秀なプログラマーと上手く付き合うのが普通だったからだ。自分より優秀なプログラマーと組んで自分の作りたいものを作ってもらうという経験を40年近く続けてきた。
したがって、AIが自分より優秀だったからといって、それを使いこなせない理由はないのである。
敢えてソースコードを自分が先に書きたい、というプログラマーを否定することはしないが、それは自分の能力を封じ込めてしまうことを意味する。人は同時に二つのプログラムを書くことはできるかもしれないが、それが10になると不可能である。
コーディングエージェントを10個並列に動かして、それを監視することはそんなに難しくない。それぞれが別々のプロジェクトをやればいい。もしくはもっと巨大なプロジェクトの中の10個のマイクロサービスでもいい。それくらいなら把握できる。
そして、にもかかわらず、AIはこちらの予想を遥かに超えるスピードで仕事を成し遂げてしまう。
すると、もはや必要になってくるのは、AIに投げるタスクを用意する、こちらの心の準備である。
ただでさえ最近は普通の映画のワンシーンをVRの主観視点に変換するEgoXとか、レイヤー別になった画像を生成するQwen-Image-Layered、長時間動画を生成できるMemFlowなど、直感的に「そんなことできるのか?」と目を疑うような成果が次々と発表され、オープンソースとして公開されている。
それを全部片っ端から試すには、人間には時間がいくらあっても足りない。
数年間続けてきた京都情報大学の客員教授を辞めようと思ったのも、そういう背景がある。
今の筆者には他の人に何かを教えたりしてる暇はない。まず自分が学ぶべきことが多すぎる。それはずっとそうだったのだが、学ぶための時間が一秒でも惜しい。
移動中でもスムーズに開発を続けられるようにツールそのものも自作した。
このツール、nagiをインストールして、ターミナルで起動すると、VPNに接続されたブラウザからいつでもsshできる。sshできるだけでなく、日本語入力ができる。手書きでもフリックでも音声でも。そうすると、基本的に世界中どこにいてもインターネットにさえ接続できればずっとAIの作業を監視したり指示したりできる。
今のAIは監視と指示なしに役に立つことができるほど賢くはない。「いずれそういう日が来る」と放置するのは自由だが、筆者としては前のめりに今できることを全て試したい。
最近、AIについて語ることを仕事にしている割に、プログラムを書かない、書いたことがない、書こうとしない友人と縁を切ることが増えた。そういう人と話すのは時間の無駄なのだ。それならばAIについて全く無知な人と話すほうが遥かに有益だ。AIに足りてないものがわかるからだ。
人間の時間というのは貴重なもので、歳を取れば取るほど、残された時間の価値は高くなる。
20代の一時間と、50代の一時間では有り難みが全然違う。20代の頃は金もなくやる気もなく朝起きたらまた夕方まで寝ようとして寝過ぎの頭痛で仕方なく起きて行動する、みたいなことが多かったが、今は目が覚めている間も寝ている間もAIのことばかり考えている。AIのこと、というと機械のことばかり考えているようだが、実際に考えているのは人類の未来についてだ。
若い頃はそういう状態になると興奮して眠れなくなり、倒れるまでプログラムを書き続けていたのだが、今はAIが書いてる間は待つしかない。AIの思考時間がこちらの時間を律速するのである。嬉しいのは、いずれこの律速はなくなるであろうこと。こちらが考えた仮説をAIが実行し終わるまでに1秒以下で終わる未来は来るだろうということ。まあ、AI以前にメモリのロード時間とか計算時間とかは如何ともし難いが。
こうしてる間にも、新しいプログラムが目の前で出来上がり、生き生きと動いている様を見ると興奮して眠れなくなる。もう朝だが、今日はとんでもない朝だ。
あとはこちらの気力の問題だ。人工知能研究者の草分けであるマービン・ミンスキーは「心の社会」という本を書いたが、むしろこれから先は「心の時代」になるのではないかと思う。
どういう意図で言ってるのかというと、とにかくメンタルが強くないとAIを使いこなすのは難しいということだ。AIはもはやどんな人間より遥かに沢山のことを知っている。あらゆる分野の知識を持っているし、あらゆる言語を使いこなすからだ。
日本語の文章しか読んでないと世界に取り残されることは少なくない。実際、筆者は18歳でそれを痛感する経験をしている。
「もっと英語の文献を普通に読まないとダメだ」と主張した。1994年頃のことだ。
その時、みんなに笑われた。「お前は何を言ってるんだと。日本のゲーム産業は世界一なんだ。これかもずっとそうだ」と。
それから30年で何が起きたか、もはや指摘するまでもないだろう。
日本はゲーム産業においても敗北した。そもそも、1995年にMicrosoftで立ち上がったゲーム産業占領計画のコードネームは「マンハッタン計画」だ。マンハッタン計画が何を意味するのかは敢えて指摘しないが、教養があれば彼らがいかに本気だったかわかるだろう。今現在、世界で最もプレイヤー数の多いe-sportsプラットフォームはPCだ。それもWindowsだ。Microsoftの「マンハッタン計画」は成功したのである。
その話はまたの機会にするとして、あらゆる言語の文献を読める/読んだというAIに知識の量やその運用で勝てるわけがない。しかも人間と違い疲れないし眠ることもない。
という、この原稿を書いている間にも、MemFlowのDGX Spark対応とWebUIが完成してコミットしてしまった。
https://github.com/shi3z/MemFlow/tree/main
もはやこの時代は、何か特定の作業だけをやるというよりも、「何かやりながら何か別の作業を進める」ということをしなければ成り立たなくなってきている。ちなみにあと二つくらい別の作業を今も継続している。
これから先はマルチタスクな人間になるのではなく、マルチタスクを使いこなす人間にならなくては生産性を上げることはできない。
まあ要はスタートアップの経営者か大企業の部長クラスの能力が必要ということになる。
どちらも経験を積まないとうまくできるようにならないというところは共通している。