May 9, 2026
清水 亮 ryo_shimizu
新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。
筆者は最近「AIゲームセンター構想」なるクラウドファンディングを展開している。
最初の目標金額は10時間で達成し、現在は次なるゴールに向けた展開を用意している。
先日、河口湖の湖畔にあるSANU 2nd Home という施設にGOROmanなどのハッカーやゲーム開発経験者、昨年の大阪関西万博における落合館を作った松尾研・落合研のOBたち、さらには全くの素人のOL、ゴールデン街のバーテンダーたちといった様々なバックグラウンドを持った人たちを集めたハッカソンを行ってアイデアを集めたり、仮説を煮詰めている状況にある。

「AIゲームセンター」という話をすると、多くの人は最初、少し怪訝な顔をする。
「AI教室ならわかる」
「プログラミング教室ならわかる」
「なぜゲームセンターなのか?」
という反応になる。
実際、最近は地方自治体や地域企業から問い合わせを受ける機会が増えてきたのだが、ほぼ必ずと言っていいほど、この質問を受ける。
これはある意味当然だ。
なぜなら、多くの人にとって「AI」はまだ“勉強するもの”だからである。
しかし、僕はむしろ逆だと思っている。
AIは、「勉強」にしてしまうと広がらない。
むしろ必要なのは、
「AIに興味がない人」
「AIを怖いと思っている人」
「自分には関係ないと思っている人」
が、気づいたら触っている環境だ。
そのためには、「教室」よりも「ゲームセンター」の方が本質的なのだ。
僕は中学生の頃から、コンピュータを人に教え続けてきた。
同級生にBASICを教え、C言語を教え、専門学校でゲームプログラミングを教え、専門学校の先生にも教え、大学で教え、CEDECを立ち上げ、子ども向けプログラミング教室を作り、AI講座をやり、プログラミング教育の義務教育化を自民党に進言し、各地方で毎月のようにハッカソンを開催してきた。
三十年以上、ありとあらゆる形の「プログラミング教育」や「AI教育」を試してきた。
その上で痛感したことがある。
教育は大事だ。
しかし、「教育だけ」では広がらない。
本当に社会を変える技術というのは、「学びたい人」に届けるだけでは不十分なのだ。
インターネットもそうだった。
スマートフォンもそうだった。
ゲームもそうだった。
「勉強しよう」と思って触った人よりも、
「なんか面白そう」
で触った人の方が圧倒的に多い。
そして社会を変えたのは、後者の方だった。
最近はあまり聞かないが、昔はよく、政府の人と話すと「なぜ日本にスティーブ・ジョブズのような人物が生まれないのか」ということがよく話題になった時期がある。
スティーブ・ジョブズの最初の仕事は、実はゲーム開発者だった。
彼がAppleを作る前に働いた会社はAtari社。
黎明期にコンピュータゲームの商業化に成功し、まさにゲームセンターを作り出した会社だ。
なぜそう言えるのか?
ゲームだけが「わけのわからない新技術」を「誰でも触れる」ものに変えることができるからだ。

Atari社を創設したノーラン・ブッシュネルは伝説の起業家だ。
最初はマニアックすぎるゲームで失敗をし、もっと単純なゲームPongを作って大ヒットさせた。世界初の家庭用ゲーム機もAtariが作った。
スティーブ・ジョブズはノーラン・ブッシュネルに自分を売り込み、学位がないにも関わらず、コンピュータ技術者として採用された。実はほとんどウォズニアックにやらせていたという話ではあるが。
もしもジョブズがIBMに就職しようとしていたら、Appleは生まれなかった。ゲームは説明書なしで誰でもプレイできる。なぜApple製品には他の家電製品のように分厚いマニュアルがついていないのか。それはジョブズがゲーム業界出身だったことと無関係ではないだろう。
「ぼくがジョブズに教えたこと」 著 ノーラン・ブッシュネル https://amzn.to/4tvBHuB
若い世代には信じられないかもしれないが、かつてゲームセンターは、街で最も高性能なコンピュータが置いてある場所だった。
家庭用ゲーム機より圧倒的に高性能。
もちろん家庭用パソコンより圧倒的に高性能。
グラフィックスも、音も、処理速度も圧倒的だった。
子どもたちは、
「コンピュータを学びたい」
と思ってゲームセンターへ行ったわけではない。
「なんか面白そう」
だから行った。
家では経験できないものを経験しにいったのだ。

しかし、その結果、日本のゲーム産業も、CG産業も、ソフトウェア産業も育っていった。
ゲームセンターとは、単なる娯楽施設ではなかった。
「最先端コンピュータとの偶然の接触空間」だったのである。
僕はAIについても、同じことが起きると思っている。
AIゲームセンターの本質は、「AI教育」ではない。
むしろ、
「街の中にAIが存在する」
という状態そのものに意味がある。
図書館に本があるように。
体育館に運動設備があるように。
AIゲームセンターには、
などが常設される。
重要なのは、「所有」ではなく「アクセス」だ。
人は、触れられる環境があると、勝手に学び始める。
逆に、どれだけ教育をしても、触れる場所がなければ定着しない。
これは僕が三十年以上、教育をやってきて辿り着いた結論でもある。
僕は地方創生という言葉に、昔から少し違和感がある。
地方に人材がいないとは思わない。
地方には、驚くほど才能のある子どもたちが普通にいる。
問題なのは、「機材」だ。
コンピュータ科学の歴史を見ると、「新しい機材がある場所」から新しい文化と研究が生まれている。
逆に言えば、機材がない場所では、才能があっても始まらない。
だからこそ、
「地方にAIが存在する」
こと自体に意味がある。
しかもそれは、「研究室の奥」ではなく、「誰でも入れる場所」に存在しなければならない。
スティーブ・ジョブズは大学を数ヶ月で中退している。
学歴のない彼がコンピュータで世界を変えることができたのは、ゲームセンターがあったからだ。
多くの教育は、「まず興味を持ちなさい」というところから始まる。
しかし本来、人間はそんなふうには動かない。
ゲームセンターで遊んでいた子どもたちは、
「将来ゲーム開発者になろう」
と思って遊んでいたわけではない。
ただ面白かったから遊んでいた。
でも、その中から未来のクリエイターや技術者が生まれた。
筆者もその一人だ。
AIも同じだと思う。
「AIを学びましょう」
ではなく、
「気づいたら触っていた」
状態を作ること。
それが一番重要なのだ。
AIゲームセンターは、単なる娯楽施設ではない。
教育施設でもあり、文化施設でもあり、研究インフラでもあり、地域コミュニティでもある。
そこでは、
そんな風景が自然に生まれる。
かつて街にゲームセンターがあったように。
これからの街には、
AIゲームセンターが必要になる。
僕は本気でそう思っている。
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