Thinking about the Future makes the Work at Hand more Sophisticated
私たちは、何か感じたことを言葉にしているわけではなく、ある特定の言葉を採用することで自分自身の感情をその言葉の中に発見するという逆プロセスを経てコミュニケーションしています。「ここは“明らかにする”よりは“詳らか(つまびらか)にする”の方が自分の今の気持ちに近い」などがその一例です。積極的にパラフレーズすると本当の自分の感情を探り当てることができる、ということになりますし、微妙な感情の機微を表現するためにはある程度の語彙の豊富さが武器になります。その意味において大規模言語モデル(LLM:large language model)は大変便利なツールです。使う習慣がなかった言葉が次から次と出てくることは潜在意識の顕在化、すなわち自分の中に眠っていたたくさんの感情を掘り起こすトリガーになるからです(但し現在の生成AIにはハルシネーション(hallucination)という致命的な弱点があることには留意しましょう)。加えて、意味を持たない記号で構成される英語などとは異なり、多種多様なグラフィックの集合体である日本語の場合、英語ほど大規模化せずとも、小さなLLM(?)で膨大なニュアンスを生成できるという利点があります(例えば日本語は“美味しさ”を表現するための言葉が(オノマトペも含め)250種類を超えており、仏語などを遥かに上回る世界一の語彙数を誇ります)。
しかしその豊富な表現力を誇る日本語を以ってしても太刀打ちできないのが(いわゆる)非言語コミュニケーション(nonverbal communication)の威力です。認知科学の分野では、私たちのメッセージは30%を言語、残りの70%を身振り手振りや表情などの非言語コミュニケーションが受け持っていると言われています(もちろんこの割合は状況や文脈により変動しますが)。テレワークが定着しないのは、対面コミュニケーションにおける桁違いの情報量やニュアンスの豊富さを私たちが体感しているからに他なりません。従ってLLMがAIデータセンターを必要とするくらい巨大化しても、その影響力が30%を超えることはない、と考えられます(70%の領域に手を出そうとすると脱炭素というキャンペーンと整合性が取れなくなるはず)。
特に「美しさ」を言葉で伝えるのは至難の技です。白洲正子(1910 – 1998)が「口では言えなくても着心地の良さを肌で感じている人たちのほうが、糸の美しさを知っているといえるのかもしれない(『白洲正子全集第四巻(新潮社)』より引用)と指摘していますが、そもそも美しさは(“美しい文体・詩””などを除けば)それ自体が言語化されることを拒否している可能性すらあります。私たちの人生が様々な美しさがもたらしてくれる優しさに癒されるためにあるとした時、絵画、彫刻・彫塑、陶芸、工芸、テキスタイル、建築、庭園、写真、音楽などが出現するのは必定、ということになるわけです。
もちろんこのような人工物に限らず、オーロラや虹などの自然現象の美しさも感嘆に値するものではありますが、今一度改めて注目しておきたいのは「手仕事に集中している人の美しさ」です。アスリートのファインプレーや一流の料理人のみならず、修理・修繕・修復・改良・改修・改造・回収・物流・循環・清掃・洗浄・応急措置・整備・点検・調整、そして監視・観察・計測・測定に携わる人たちの所作・作業は見ていると惚れ惚れします。そして、このように手元の作業、手仕事に集中できる人ほど、実は遠い将来を見据え、次世代に社会制度自体の堅牢性と安全・安心という贈り物を届けようとしている人たちではないかと思うのです。彼ら/彼女たちは、研究室、工房、工場、病院などの“現場”で仕事をしています。
WirelessWireNewsが2010年に創刊した当初は「通信のオペレータ向けの専門メディア」を標榜していましたが、様々な紆余曲折を経てこの度、「WirelessWire News & Schrodinger’s」と名前を改め、物質知性の社会実装に励む人たちを支援するメディアとしてその領域を拡張することにしました。時間はかかるかもしれませんが、現場の運用技術(OT)に関わる人たち(IT業界で言えばDev&Ops)や物質科学の研究者、工房や工場でものづくりに励む職人や技術者、医師・看護師・介護士を支援するメディアとして認知されていくことを期待しています。量子力学が改めて注目されている昨今、なぜディラック(Paul Dirac)ではなくシュレディンガー(Erwin Schrödinger)を加えたのかと言えば、彼の最後の議論が『精神と物質–意識と科学的世界像をめぐる考察(工作舎、1987)』だったからに他なりません。このあたりは定期的に開催するオンラインイベント『シュレディンガーの水曜日(Schrödinger’s Wednesday)』で議論していきたいと考えています。
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シュレディンガーの水曜日(Schrödinger’s Wednesday)
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