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井山弘幸 h_iyama

新潟大学人文学部教授を経て、現在同名誉教授。専攻は、科学思想史、科学哲学。好みの主題は、幸福論、偶然性、科学と文学、物語論、お笑い文化論。趣味は、落語などの演芸鑑賞、ピアノ演奏、旅行、ドラマ鑑賞。著書に『偶然の科学誌』、『現代科学論』、『鏡のなかのアインシュタイン』、『パラドックスの科学論』、『お笑い進化論』など。訳書に、『知識の社会史』、『科学が裁かれるとき』、『ハインズ博士の超科学をきる』など。現在、ピーター・バークの『博学者論』の翻訳中。

「測定」には隠れた仮定が存在する

データは、日常に得られる感覚データであれ、メディアでは信憑のシンボルとされることのある測定データであれ、そのデータを読み込むときの仮定や科学理論を知らなければ、適切に事実を判断することができない。

2025.08.13

魔女裁判にも「エヴィデンス」はあった。呪文は危うさをはらんでいる

エヴィデンスとは何のことだろう。「ファイザー社のワクチンには重症化を防ぐというエヴィデンスがある」。こんな風に使われたりする。あるいは「エヴィデンスはありますか?」と聞かれたりする。1990年頃まではほとんど使われない言葉だった。証拠とかデータで十分に意図が伝わったからである。それなのに、医学界を中心にエヴィデンスがなぜ流行したのか。

2025.06.21

たらい回しの起源は専門家にある

たらい回しはもともと大道芸の一つであったが、さほど歴史は古くない。見世物興行の演目の一つで天保二年(1831年)の辛卯見世物年表の図を見ると、床に寝そべった男子がたらいを縦にして両足に載せて回す芸だと分かる。

2025.06.11

嘘をつくのは罪なのか。それよりも嘘の情報的価値を考えたらどうか?

そもそも嘘とは何だろう。この定義の問題からして決して安易に通り過ぎることはできないし、子供の頃から何となくいけない、と聞かされていたのに、意外と定義を意識しないものだ。ただ嘘がいけないこととされている根底には、何かがある。それを考えよう。

2025.05.23

『君たちはどう生きるか』が大間違いである理由

コペルニクスは37歳の時に地動説の梗概を記した小冊子コメンタリオールス Comentariolus を印刷して知人に配布したが「たいへんな騒ぎ」にならなかったし、主著『天体の回転について』の出版を知るのは、彼が死の床に就いていたときであった。

2025.05.07

単線的物語がもたらす理解の狭隘化

実際のところほとんどの昔話やお伽話の類いは単線的であるため、当たり前すぎてこの構造の特異性は気づきにくいのである。ところが、単線的構造の物語の自明性は、もっと広い視野のもとで眺めれば、疑わしいことが容易に分かる。

2025.04.14

創造的発見の動機づけとなる「メタファー」

メタファーはベクトルとして捉える必要がある。宮澤賢治の翻訳者でもあるユダヤ人作家ロジャー・パルバースは、かつて賢治の詩文の独自性は豊穣なメタファーにあると言い、メタファーとは「我々を遠く彼方へ運ぶ表現」とした。やはりベクトルなのである。

2025.04.01

知ることは、領ることである

世俗の雑事や巷間の騒擾から、ふと一時的に逃れたとき、あるいは夜が白む頃合いの瞑想のひととき、心おきなく友と書物を語らうとき、須臾の間の仕合わせを感じるとき。それを王者と呼ぶまでもなく、ひそやかに得心すること。これが私にとっての、知ることの意味である。

2025.03.21

分析のいきつくところ

分析とは「事物を部分に分かつこと」であり、不可視を可視化する一つの方法である、と同時に、優れた実験的方法の一つである。

2025.03.11