データは、日常に得られる感覚データであれ、メディアでは信憑のシンボルとされることのある測定データであれ、そのデータを読み込むときの仮定や科学理論を知らなければ、適切に事実を判断することができない。
2025.08.13
エヴィデンスとは何のことだろう。「ファイザー社のワクチンには重症化を防ぐというエヴィデンスがある」。こんな風に使われたりする。あるいは「エヴィデンスはありますか?」と聞かれたりする。1990年頃まではほとんど使われない言葉だった。証拠とかデータで十分に意図が伝わったからである。それなのに、医学界を中心にエヴィデンスがなぜ流行したのか。
2025.06.21
たらい回しはもともと大道芸の一つであったが、さほど歴史は古くない。見世物興行の演目の一つで天保二年(1831年)の辛卯見世物年表の図を見ると、床に寝そべった男子がたらいを縦にして両足に載せて回す芸だと分かる。
2025.06.11
そもそも嘘とは何だろう。この定義の問題からして決して安易に通り過ぎることはできないし、子供の頃から何となくいけない、と聞かされていたのに、意外と定義を意識しないものだ。ただ嘘がいけないこととされている根底には、何かがある。それを考えよう。
2025.05.23
コペルニクスは37歳の時に地動説の梗概を記した小冊子コメンタリオールス Comentariolus を印刷して知人に配布したが「たいへんな騒ぎ」にならなかったし、主著『天体の回転について』の出版を知るのは、彼が死の床に就いていたときであった。
2025.05.07
実際のところほとんどの昔話やお伽話の類いは単線的であるため、当たり前すぎてこの構造の特異性は気づきにくいのである。ところが、単線的構造の物語の自明性は、もっと広い視野のもとで眺めれば、疑わしいことが容易に分かる。
2025.04.14
メタファーはベクトルとして捉える必要がある。宮澤賢治の翻訳者でもあるユダヤ人作家ロジャー・パルバースは、かつて賢治の詩文の独自性は豊穣なメタファーにあると言い、メタファーとは「我々を遠く彼方へ運ぶ表現」とした。やはりベクトルなのである。
2025.04.01