実験の現実は失敗の連続であり、科学の根幹はその失敗から学ぶ組織的な能力である。もしマルクス主義が自分を「科学的」と称するなら、その高邁な理論を今さら連呼するのではなく、むしろその理論に基いた膨大な実践(失敗)の歴史から学ぶのが筋であろう。
2025.08.22
ラトゥールにはどこか子供っぽいところがあり、「ブリュノは赤ちゃんみたい」(comme un bébé)」と複数の人が同じ表現を使うのを聞いて驚いたことがある。実際、この子供っぽさには両面があり、そのよい面は、快活なユーモア感覚という形で現れる。
2025.06.24
地球全体という視点からみると、ポストモダン的風景は実は各所に姿を変えて存続していると言えなくもない。ハーベイがかつて喝破したのとはやや違う意味で、それは結構しぶといのだ。ただし、そこでは常に革新を求める科学的言説が力を増し、またそれが一つの新たな大きな物語として言説の世界を覆っているという点で、妙に啓蒙思想的な雰囲気をも漂わせている。
2025.06.09
選択と集中で大量の資金を一部に投入し、そこだけに膨大な血流が増えても、現場の毛細血管は干上がっているという事態も十分ありえるのだ。実際、こうした交流の場がほとんどない職場を鑑みるに、論文ランキングが落ちるのもやむなしという印象が残る。
2025.05.27
組織がその内的な欠陥によって生み出す事故のことを「組織事故」と呼ぶ。この研究分野では、リーズン(J.Reason)のいう「スイスチーズモデル」という考え方がよく知られている。
2025.05.02
我々の社会はあそび、緩衝材、あるいは曖昧な媒介項で緩くつながっている、こう考えると、現在様々な分野で行われている多くの議論を見直すきっかけになるかもしれない。ひたすら無駄をなくし、曖昧さを消去することは、へたをするとこうした自由度を排除することにつながりかねないのだ。
2025.04.23
景観についての多くの議論は、インフラのそれもふくめて、畢竟製作者側の論理に偏っているという印象を受ける。だが見ているようで見ていない、そうしたあいまいな経験をどう言語化するのか、インフラ美学は興味深い課題を提供しているのである。
2025.04.08
モノを基盤とした表現は、必ず経年劣化の影響を受ける。しかし、こうした変化を単に劣化ととらえるのか、それとも作品が経由する必然的な過程として肯定的に評価するかは、論じる者の思想的、哲学的な立場と直結している。そして新興テクノロジーを多用する現代アートのかなりの部分は、こうした側面についてかなり無防御だという印象が否めないのである。
2025.03.24