今年のうちに見ておきたい講演その他(その2):Think different. Think Aaron
2013.12.26
Updated by yomoyomo on December 26, 2013, 12:30 pm JST
2013.12.26
Updated by yomoyomo on December 26, 2013, 12:30 pm JST
電子フロンティア財団(EFF)がコンピュータで個人に力を与えることに顕著な貢献をした人を表彰する EFF Pioneer Award において、今年は前回の文章で取り上げたグレン・グリーンウォルド、並びに記事の共著者であるドキュメンタリー作家のローラ・ポイトラスらが選ばれましたが(余談ですが、同じく前回の文章で取り上げたエベン・モグレンは2003年、ブルース・シュナイアーは2007年に同賞を受けています)、9月に行われた授賞式でローレンス・レッシグ(Lawrence Lessig)ハーバード大学教授が基調講演を行ったのは、今年の受賞者にアーロン・スワーツ(Aaron Swartz)が含まれるからでしょう。
同賞受賞者に故人が含まれるのは1999年のジョン・ポステルなど極めて例外的で、それだけ彼の死のインパクトが大きかったといえます。
本文を読まれている方がアーロン・スワーツについてどの程度予備知識をお持ちか分からないので、簡単に彼のハッカーとしての業績を書いておくと、14歳にして XML 文書フォーマット RSS 1.0 の共同編集者となり、15歳にして初期 Creative Commons のアーキテクトを務め、ソーシャルニュースサイト reddit を創業し、ウェブアプリケーションフレームワーク web.py を作り、Internet Archive とデジタル図書館索引サービス Open Library を立ち上げ、その他にもジョン・グルーバーとともに軽量マークアップ言語 Markdown を考案したり――と主な仕事を列挙するだけでいくらでも書けてしまうのが恐ろしいですが、ここまでで彼の仕事の半分でしかありません。
彼はフリーカルチャー、デジタルフリーダムの熱心な支持者でしたが、その延長上にインターネット活動家としての政治的側面を強めていきます。2008年に政治監視・参加サイト watchdog.net を立ち上げ、その後 Change Congress、Fix Congress First、そして Demand Progress と政治システムを変えることを目指す運動に深く関わっていきます。
同時に彼は著作権を盾に不当に囲いこまれている(と彼が考えた)情報の解放を目指すハックにも熱心でした。彼の主義については2008年に発表した、「情報は力である。しかしあらゆる力と同じく、その力を占有しておきたい者たちがある」という文章で始まる Guerilla Open Access Manifesto(日本語訳)に詳しいですが、同じく2008年にアメリカ合衆国連邦裁判所の書類データベース PACER から大量のデータをダウンロードして Public.Resource.Org に公開します。PACER は書類1ページにつき8セントの料金を課金していましたが、そのデータに著作権はないので、自由かつ容易にアクセスできるべきだというのがスワーツの主張でした。しかし、この件で彼は FBI の捜査を受けます。
そして2011年、マサチューセッツ工科大学(MIT)の施設に侵入して学内のネットワークに不正アクセスし、科学雑誌や学術論文のアーカイブを構築する非営利団体 JSTOR から大量の書類を盗んだ疑いでスワーツは逮捕されてしまいます。
後に彼は(当事者である JSTOR は告訴を取り下げ、民事上の和解が成立していたにもかかわらず)起訴されますが、裁判で有罪となった場合最大35年の懲役、最大100万ドルの罰金になる可能性があるという記事を当時読んで仰天したものです。ただ、まさかそんなことはあるまいとワタシはたかをくくっていました。実際、スワーツは逮捕、起訴後も普通にブログを更新していましたし、例えばStop Online Piracy Act(SOPA)への反対運動も精力的に行うなど政治的活動を止めた気配はありませんでした。ワタシも昨年8月に彼のブログ記事を翻訳したときに Twitter でその公開の許諾を得るために簡潔なやりとりをしています。
しかし、実は彼は密かに追い詰められていました。検察との交渉が長引き、弁護費用などで財産が底をついたため裁判費用の援助を求めるものの、裁判中に被告が問題を裁判外で公にするのは裁判官の心証を損ねるため具体的な背景情報の説明ができず、事態を軽視する世間の冷淡な反応を受けます。これはワタシ自身そうだったから分かるのですが、少なくとも彼が不法侵入などいくつかの犯罪を犯したのは確かであり、その才能を少しおかしな方向に使っているのではと引き気味な空気があったこと、しかし一方でその程度であれば起訴猶予、執行猶予が相当であるだろうと事情を知らない人は単純に考えていたことがあります。
現実には、スワーツは今年に入って検察官に、13の罪状を認めて半年(数年の説もあり)刑務所に入るか、政治的権利を放棄するかどちらかを選ぶ必要があると言い渡されています。
そして、2013年1月11日にアパートで首を吊ったスワーツが発見されます。26歳の若さでした。
彼の自殺の報に接し、我々は失われたものの大きさと事態を軽視していたことに気付かされショックを受けましたが、親族や恋人を別にすればおそらくもっともその死を痛切に感じた一人が Creative Commons の創始者であり、長年彼をよく知るローレンス・レッシグだったでしょう。
レッシグはスワーツの死を受け、検察への怒りを表明しましたが、それから間もない2月19日にハーバード大学で行った講演が "Aaron's Laws - Law and Justice in a Digital Age" です。
レッシグは講演の名手で、その語り口は聞きやすいですし、この講演に関しては主要なスライドとの対応がついた質疑応答まで含めた完全文字起こしが公開されていますので、講演内容を理解するのはそこまで難しくはないでしょう。
元々講演をやる予定は決まっており、レッシグの現在の研究テーマである「腐敗」をテーマにするつもりでしたが、急遽予定を変更したそうです。しかし、実はこの講演も「腐敗」がテーマであることが後に明らかになります。
Creative Commons において一緒に仕事を始めたとき、スワーツはまだ15歳で、レッシグは彼の成長を見守る立場にありました。アーロンはワシが育てたとは言うつもりはないが、自分にとって初めて父親になるような経験だった、と講演の最初にレッシグは回想しています。講演はいつも以上にエモーショナルで訴えかけるものがありますが、同時になんともほろ苦い感触があります。
憲法学者とハッカーという違いはあれ、レッシグとスワーツはフリーカルチャーを支持し、拡大解釈され期間延長される著作権に反対する立場を同じくしていましたし、著作権とフリーカルチャーの問題から活動分野を政治方面にシフトしたのもだいたい同じ時期でした。ただ、政治システムの「腐敗」を研究テーマに据えたレッシグに対し、スワーツはより直接的な積極行動主義をとるようになり、両者には少し距離ができていたようです。
講演の中盤でレッシグは、スワーツがデジタル著作権の問題から離れたつもりだったのに、著作権侵害対策を表向きの理由とするインターネット検閲法案(COICA)を知り憤慨する様を、『ゴッドファーザー PART III』におけるアル・パチーノの「ようやく足抜けしたと思ったら、また俺を引き戻しやがって!」という台詞になぞらえます。
彼が JSTOR から大量の論文をダウンロードし、それを「解放」しようとした暴走の背景には、ぼさっとしていると今にインターネットにおける自由は失われてしまうという危機感があったのでしょう。
しかし、「また俺を引き戻しやがって!」という怒りの嘆きは、スワーツが逮捕された後にレッシグも違った意味で感じたことなのではないかとワタシは考えます。
「腐敗」を研究テーマにし、スワーツの直接行動主義とは距離ができたと思っていたが、彼が起訴されたところでレッシグがみたものは、アメリカの司法システムの「腐敗」でした。コンピューター詐欺と濫用防止法(Computer Fraud and Abuse Act)という事件の25年前に制定された法律のために最大35年の懲役というべらぼうな刑が課される可能性が出てきて、個人情報を盗んで拡散したわけではなく、施設への不法侵入などの罪はあるとしても、これまで MIT が伝統的に許容してきたハックの数々を鑑みても起訴はいきすぎではないかと。
ここで講演タイトルの "Aaron's Laws" の意味が明らかになります。彼の死を受けコンピューター詐欺と濫用防止法を改正しようという動きの総称として「アーロン法」という言葉が使われるようになっていたわけですが、実際に今年の6月には改正案が提案されます。レッシグはこの言葉をもう少し広い意味でとらえ、アップルの有名な広告キャンペーンのスローガン Think different を引き合いに出し、Think Aaron という言葉とともに講演をしめくくります。
スワーツの死を受け、「アーロン法」の他にもいろいろな動きがありました。JSTOR はパブリックドメインの論文を無料で公開するようになり、オライリーは追悼の意味を込め、彼が寄稿した書籍『Open Government』を CC ライセンスのもとで GitHub 上に公開し、出版社は彼の未完の著書『A Programmable Web』のドラフトを公開し、生前彼が手がけていた報道機関が匿名情報源から安全に情報を得るのを可能にするオープンソースのツール SecureDrop が公開され、彼の27回目の誕生日にはその遺志を受け継ぐハッカソンも各地で行われました。
こうしてみただけでも彼が手がけた仕事の幅広さに唸りますが、特に注目すべきはジャーナリスト向け告発ツール SecureDrop です。生前スワーツは Wikileaks の創始者ジュリアン・アサンジと接触していたようで、もし彼が生きていれば、彼のコードはリークジャーナリズムに大きな力を吹き込んだかもしれません(それが彼にとって望ましい方向性かは賛否あると思います)。
ワタシはすっかり見落としていたのですが、彼のドキュメンタリー映画を作るための資金集めが Kickstarter で行われ、目標額を達成しています。そのドキュメンタリー映画『The Internet's Own Boy(仮題)』は来年完成予定ですが、監督は以前にアノニマスのドキュメンタリー映画『We Are Legion - The Story of the Hacktivists』を撮ってる人なので、そんなおかしなものは作らないでしょう。
2013年も終わりに近づき、今年の物故者を振り返る記事をいくつか目にします。アメリカの政治ニュースサイト Politico が選ぶ2013年の物故者17人にもスワーツが入っており、やはりレッシグが寄稿しています。
その中の「我々の多くは、アーロンを守るために何かできたことがあったのではないかと思いながら残りの人生を過ごすことになるだろう。それこそがあらゆる自殺がいたるところでもたらす残酷な帰結なのだ」というレッシグの文章に、一年近く前になる訃報を理解した後に感じた悲しみがよみがえり、ワタシは涙をこぼしました。
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登録はこちら雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。