小説、経済、コンピューター、環境など、広い分野での翻訳と執筆を手がけるほか、朝日新聞の書評委員も務める山形浩生氏。まさに八面六臂の活躍だが、シンクタンクに在籍する研究員として、新興国のODA関連調査という本業が別にある。なぜ氏はフリーランスでなく、企業に留まりながら執筆活動を続けるのだろうか。[写真:スタイル株式会社 竹田 茂/構成:野田幾子]
山形 浩生(やまがた ひろお)
評論家、翻訳家。野村総合研究所研究員。1964年、東京生まれ。東京大学都市工学およびマサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。野村総合研究所で地域開発やODA関連調査の傍ら、小説、経済、コンピューター、環境など広い分野で翻訳と執筆を手がける。フリー翻訳運動「プロジェクト杉田玄白」主宰者。著書に『新教養主義宣言』『要するに』(ともに河出文庫)、『訳者解説』(バジリコ)ほか。おもな訳書に、ポール・クルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』(メディアワークス)、ローレンス・レッシグ『CODE』『コモンズ』(翔泳社)、ビョルン・ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋)、ポール・クルーグマン『さっさと不況を終わらせろ』(早川書房)など多数。ウェブサイト:YAMAGATA Hiroo: The Official J-Page
ぼくが執筆や評論の仕事をしながらも会社にずっと所属する理由は、自分の世界が狭くならないようにするためです。
そう思うようになった直接のキッカケは、非常に世界が狭くなってしまった人を見てきたからでした。大学の先輩で、大学卒業後フリーランスになった、翻訳一筋の方。素晴らしい翻訳家でしたが、やがて非常に世界が狭くなってしまいました。特に翻訳は、自分の世界の中だけで辞書と参考資料と首っ引きでやる世界ですから、考えが煮詰まってしまったのでしょう。ある時からトンデモ本に取り上げられるような、トンデモ翻訳の世界に入り込んでしまったのです。
他人と触れ合う機会がないことは、それだけでハンデだと、ぼくは思います。同じフリーランスでも自分からどんどん人に会いに行ったり、ネットワーキングの機会があったりすればまだいいのですが。基本的に、そういった機会は自分で作るしかありません。
会社に所属していると、少なくとも世間的な標準、感覚、関心がある程度は把握できます。自分の関心以外のものに、無理やり接触させられる機会ではありますよね。
シンクタンクという会社の特性上、まったく知らない会社と仕事をしたり、知らない分野と組んでビジネスをやったりといった機会も出てきます。そこで初めて、別業界の仕組みや慣習について学んだりできる。
ぼくの仕事柄、新興国に出向いて現地の企業や役人と付き合うこともありますね。旅行で現地の人と触れ合うトラベルライターはたくさんいるけれども、やはり旅人を迎える立場と仕事相手を迎える立場──、つまり客を迎えるのと賄賂をよこせと言うのでは、現地の人の顔つきが違う。後者に入り込む機会では、本業と副業をやっている「二刀流」であることが、有利になっているのではないかなと思います。
逆に、副業で覚えた話が本業にかかわってくることも、たまにありますよ。例えばLinuxが話題になっていたとき、流行り廃りとは関係なく興味を持ちかかわっていたら、その2年後に会社でフリーソフトを作ることになり、役に立てました。
仕事の分野にもよるでしょうが、本業と副業、それぞれで得たことをうまく組み合わせることで世界も広がるし、片方だけでは見えないことも見えてくる。それがぼくのワークスタイルについての基本的考え方です。
おすすめ記事と編集部のお知らせをお送りします。(毎週月曜日配信)
登録はこちら