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やがて訪れるデータ・エコノミー社会の将来像〜ビッグデータだけでは見えない情報社会の真実〜[第4回]田端信太郎氏「データがもたらしたメディアビジネスの変革」(2)

2013.03.18

Updated by on March 18, 2013, 16:30 pm JST

データ・エコノミー社会における人の情報接触と消費活動の変化について、メディア・広告ビジネスの視点から読み解きを試みるべく、NHN Japan(株)においてコミュニケーションサービス「LINE」の広告ビジネス開拓などを取り仕切る田端信太郎氏(執行役員 広告事業グループ長)にお話をうかがいました。

データ・エコノミーをドライブするのは何か

201303151700-2.jpg田端氏:PONTAのようなポイントカードビジネスなどによって、購買履歴のトレーサビリティーが進んでいった先には、データ・エコノミーといえるような世界が将来的にはあるような気がします。

ただ、成立するまでに「いま、ここ」からどれくらいの距離があるかというのがよく分からないですね。実務家としては「いつ? どこ?」というタイミングと領域の議論は避けて通れませんから。

──10年前は、クレジットカード利用そのものにあまりいいイメージがなかったし、Webでクレジットカード番号を入力するのは怖いという感覚がマジョリティでした。

それがいまや楽天やamazonを利用する際に、多くの人が違和感なく自分のクレジットカード番号を入力しています。これらのEコマースが、クレジットカード利用を促進するドライバーの一つになったように思います。

その楽天やamazonの普及にも、なにかドライバーとなる要素があったはずです。この先をどう予測するかというのは、このようなドライバーとなるものが、いつどこに登場するかを考える、ということにも思えます。例えばスマートフォンもそのひとつでしょう。

今後、そうしたドライバーやカタリスト(触媒)の役割を果たすものはなんでしょうか。

田端氏:スマートフォンでいうと、アプリ購入時やアプリ内課金で発生するプラットフォーマー側の30%の手数料がそのうち下がるのではないか、という気がしています。手数料が普通のクレジットカードの手数料くらいまで下がると、大きな変化のドライバーになると思います。

やはり、30%の手数料では、利幅の大きいデジタルコンテンツ販売以外には、対象が広がらないでしょう。

例えば飲食店やタクシー予約なども含めた、実空間での注文決済の場合、30%の利用料が3%を切るぐらいになれば、リアルの受発注も、アプリ内での決済が利用できるようになり、ショッピングセンターのフードコートやスタバで、オーダーと支払い待ちの行列にイラッとせずに、先に席に座ってしまってから、アプリでオーダーと取引を済ませて、悠然と席で待つ、というような世界が増える気がします。

現行のアプリでもドミノ・ピザのアプリなどは今の話に近いものはあるのですが、結局クレジットカードの番号を入力しないといけないんですよね。これはやはり手間です。Square(米国で普及しつつあるスマホによる少額決済サービス)のような事業者に期待したいところです。

僕自身、PASMOのオートチャージ機能とPASMOによる支払いをよく使うようになってからは、生のお金を使うということが野蛮に感じる時代がやってくるのではないかと想像するようになりました。

現金決済が完全になくなるとは思いませんが、電子マネー決済がデフォルトになると、過去にクレジットカードに感じていた違和感のようなものを逆に現金に対して抱く時代がやってくるのではないかと思います。

多少SFっぽい話ではありますが、現金を使うことに、むしろ「生々しさ」「野蛮さ」を感じる時代です。

──それに近い話かもしれませんが、私はタクシーでクレジットカードを使うのに躊躇していました。しかし、いまでは現金をタクシーに積んでおくリスクの方が、タクシードライバーの負担になっているそうですね。

田端氏:逆に現金が残る場所は、購買履歴情報などが残ることで足がつくのが怖いアダルトであるとか、お賽銭やお布施のような儀式性のあるものだと想像します。

実際のところ、僕の日常の生活空間では、支出額の7〜8割が既にキャッスレスになっているんですよ。パスモで買える自販機なんかもとても便利だなと思います。どんどん増えていきますよね。

となるとプライバシーの話題が出てくるのでしょうが、僕はプライバシーの観念が薄い方なので、購買をトレースされるリスクは気になりません。便利に引っ張られて電子マネーは積極的に使っている方です。

直接本人が怖い思いをすると、また理解は変わるのかもしれません。しかしそうでない限り、プライバシーの問題よりも便利が先にたって、電子マネー利用は促進されていくのが実態のように思います。

データ解析による最適化は経済縮小を招くのか

──トレーサビリティーがある臨界点を超えると、メディアビジネスもデフレにしか向かうしかないのでしょうか。アドエクスチェンジにおける最適化は、空いている枠をひたすら埋めるわけですから、既にその問題が表面化し始めています。

田端氏:別にそれ自体は間違っているわけではなく、デフレで困るというのは、サプライヤーが今まで通りに商売が出来なくなるという、ただの業者側の言い分ですよね。厳しく言えば、「もっと付加価値を出せる領域に、再ポジショニングしろよ!」という話なのでしょう。

──そう考えだすとトレーサビリティーや、それによって起こる最適化は、いろんなものごとのスキームを変えていく力を持ってしまっているとも言えますね。

田端氏:変えていくでしょうね。例えば今「ジャーナリズムの公共性を誰が負担するのか」という話がアジェンダに登りつつありますよね。報道分野においては「雑巾を絞る」ような最適化、効率化は不適切なのだ、という声も聞こえてきています。

しかし、僕には、それがサプライヤーの論理に偏った議論に思えます。もちろん、少しずつ歯抜けになっていくように、収益基盤の弱体化で、記者などの取材リソースや、テレビ番組の制作リソースが減っているのも一面の真実です。

例えば、アメリカのどこかの地方都市で、地方紙が潰れた後に、市長や市議がお手盛りで給料を上げていた、誰がそれを監視するのだ、だから収益性の論理に囚われず、ジャーナリズムは公共のものとして必要なのだ、というような議論です。

僕も、そういった議論には、「一理はある」と思います。ですが、それは、「一理」でしかないんです。現実問題として、社会全体で、だからジャーナリズムやニュース、新聞といった業界に最適化の余地はほとんどなく、このままにしておこう、というようなコンセンサスが出来る可能性は絶望的ですよ。

また、僕が広告やマーケティングに関わるなかで理解した基礎的な実感として、現在の消費者は自分自身がほしいものを正確に自分自信では、知りませんし、把握できていません。

広告キャンペーンをやる広告宣伝部の側も、本当に自社の株主利益の視点で、自社製品のブランド価値や収益性を最大化するようなスキームからマーケティング活動が出来ているところは、ごく一部ではないでしょうか。

哲学的な話になりますが、そういう事実がある以上、(ビッグデータに基づく)「マーケティングの最適化」という言葉を持ってこられたとしても、「目的変数」がそもそも曖昧なのに、「最適化」って何なんだろう、と思う部分があるんです。

──最適化して仕掛ける人がいなくなるとヒットがなくなるという話は、森祐治氏との議論(本連載第3回を参照)でも出てきました。

田端氏:その話にも半分賛成です。またクリス・アンダーソンの「MAKERS」に出てくるような多品種少量生産で、マイクロな事業者と消費者がマッチングされていくという世界も、ありうるだろうとは思います。

しかし、キャズムの向こう側にいる多くの人々が、そういう生活に入っていくのかといわれると、僕の意見は今のところ「ノー」です。やはり、マスプロダクトを前提とした消費構造は、何かしら存在し続けます。現実として、その上に立脚して生活しているわけですから。

だとすると、マスの構造は残りながらも、データ解析が進んだ先の世界ではマスの世界の表面的な効率化が進んでしまいます。

となれば、目に見える経済の規模、つまりGDPが減るんじゃないかと思います。それが不幸せかどうかというのはまた別の議論だと思いますが、それでいいのかな、と単純に疑問はあります。

──「人間が幸せならいい」という話と「経済(≒GDP)は成長しなくてはならない」というテーゼのどちらが正しいかは、もはや思想の問題です。

田端氏:物々交換の経済が貨幣経済に至り、データ経済に移行すると考えた場合に、貨幣で測定できない捨象された部分が論点になるのは当然の話であって、そもそも貨幣で価値を図ろうとする事自体が、量子力学の世界をニュートン力学で語るような無理を孕んでいるような気もします。

しかし、現実としては、何らか貨幣で価値を計らざるを得ない状況が、今日まだ続いている。すべてがきれいに未来の世界へ移行するのではなく、未来の話に現実が混ざりこみ、現実の話に未来が混ざりこむあたり、実にSFっぽい状況だなと思います。

具体的に話を戻すと、例えば好きな女の子からLINEでスタンプが届くうれしさ、そのユーザー側の効用は170円という貨幣価値では測れないですよね。

──評価経済という言葉は、今の話に近い視点で現れたと見るべきでしょうね。ただし、その言葉が示すパラダイムや価値の体系が本当にいいのか、というところはまだ議論が必要です。

田端氏:実際にはそんな事はできないと思いながら、例えば経済産業省のようなところが、貨幣で価値を測定することの限界に気づいて、新しい価値測定のモノサシを役所の持出しで、先導して設定してくれたら面白いかな、とも思います。50年、100年先の未来から振り返った時に、その舵切りが功を奏することは有り得る話です。

シンガポールや香港が21世紀のグローバル経済の中で、成功事例としてもてはやされていますが、彼らは現在の「貨幣経済」の価値体系の中で評価されているわけでしょう。今から、日本がそのルールに乗っかって単純に後追いしても、しょうがない。

だとすると、次の次元にまで突き抜けたモノの見方、つまり今の貨幣経済ではないデータ経済・情報経済での「基軸通貨とは何か?」というような視点が産業政策として、あってもいいのではないでしょうか。

ニコニコ動画や2ちゃんねるのテンプレ文化などを見るに、ネットでコンテンツが拡散され、広く人口に膾炙すれば、直接に経済的に報われなくてもオッケー、自分の文化的ミームが残ればよし、と思える文化というのは、「読み人知らず」の短歌に象徴されるように日本人の感覚がフィットするはずです。

儲かってナンボの世界の人達に差をつけるには、その世界で先手を打つというのもいい手な気がしますね。もちろん、まだ少し距離がある話のような気もしますが。

ただし、凄く強調しておきたいのは、貨幣経済では単純な勝負をしない、というアピールや戦略が、単なる貧乏人の負け惜しみに聞こえないことが大事ですね。ヘタをすると「清貧の思想」みたいに受け取られてしまうのですが、それとは違います。

貨幣価値に固執する側ですら、憧れざるを得ないような、「プライスレス」な圧倒的な魅力が必要です。つまり、そこで打ち出される新しい価値が、成熟した社会の次の姿として映らないとダメです。

(3)コミュニケーションと時間が複合的に同時消費される世界でのビジネスチャンス に続く

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