情報やデータとは何なのか。そして、私たち人間や社会にどのような影響をもたらしているのでしょうか。京都大学学術情報メディアセンターにおいて教べんを取りつつ研究をリードされている美濃導彦教授にうかがいます。
──データをうまく使うことによって、モノの動きがスムーズになり、効率化が進むことで経済がスリムになるという指摘があります。
美濃:国内総生産(GDP)で経済を考えることを改めないといけないかもしれないですね。貨幣経済に関連して私が最近思うのは、利子が現代社会ではうまく機能していないのではないかということです。利子があるために、人間が忙しく活動しなければいけないという本末転倒のような事象が起きています。
産業革命では肉体的な過労が問題になりましたが、情報革命では精神的な過労が問題になりつつあります。事実うつ病の患者はかなり増えています。社会が裕福になって個人が余裕を持って暮らせるはずなのに、忙しくなり精神的にかなりきつい社会になってきている。そのきつさの原因が、利子にあるのではではないかというのが、私の推論です。
お金が少ないときは、利子は経済を動かすために実に良く働いていたのですが、カネ余りの時代には利子の制度は合わないのです。逆にお金を動かすために、何か活動しなければならないという状況に追い込まれてしまうのです。
──投資においてもそういう傾向が感じられます。成長が見込める起業ほど投資機会は、限られた関係者だけに閉じる傾向があります。市場のオープン化が進められる一方で、資金の有無ではなくて投資機会へのアクセス権という、新たなハードルが生まれています。資本主義において、資本がコントロールを持てないという、ねじれが起きています。
美濃:この利子についてのねじれをなんとかしないと、どんどん精神的にまいる人が増えてくると思います。精神がつぶれるというのは、肉体のそれより見えにくい。今後も忙しい世の中に耐え切れなくなっていく人は、場所を問わずに出てきています。これは社会が変わろうとしている兆候だと思います。
実は、革命はもう起こっているのかもしれません。社会学の先生に聞いても「完全に起こっていますよ」「革命の最中ですよ」と言います。未来から振り返った時、西暦2000年を中心にして情報革命があったという歴史的評価になるのかもしれません
これもひとつの変化だと思うのですが、現在の学生は、頑張っても生活はさして良くならないというのを体感しているようです。いまの社会はとにかく忙しい。スローライフという言葉が一時期流行りましたが、「忙しく働いたって、なんにもいいことないのに」と思う若者が増えていることの現れです。
しかし私は学生には「今の日本の状態が今後も続くと思うのが間違いだ」と繰り返し言います。生まれたときから、ずっと豊かな日本で生きてきた今の学生に、それを実感しろというのは難しいことと思います。実感できないことが明らかでも、われわれが言い続けるべきことだと思います。いまの日本は戦後の人たちが一生懸命頑張った結果の状況ですから。
今後のことを考えると、若者が夢や目標を持ちにくい社会がすごく気がかりです。新しい社会のモデルの必要性を感じています。それが頑張ったら良くなる社会に戻ることなのかはよく分かりません。しかし、社会状況の変化を見ていて言えそうなことは、これからは時間のほうに価値が移るのではないかということです。
──新しい社会のモデルとは、金銭だけでドライブされるのではなくそこに情報が足されるようなものでしょうか。
美濃:不要にはならないがお金の側に重きが置かれなくなってくる。情報の世界ができても、やはり農林水産業と工業、サービス業は残ります。その上に情報の世界が足されるのではないでしょうか。
現在の産業基盤の上に、情報の世界が足されて、重点をそちらに移していこうというときに、経済を動かすドライブになるというよりも、豊かさや満足度などを醸成していくものになるような気がします。
だから、モノと貨幣だけを意識して作られた経済指標というのはちょっと時代遅れになりつつあるのでしょうね。
──そのような社会の中で「情報を消費する」ということは、どういうことでしょう。情報の利活用という言葉自体は、経済や産業的な概念に思えます。
美濃:音楽は1回聞いたら終わりではなく、気に入ったら何回でも聞きますよね。ところが映画は、よほど好きな人は何回も見ることもあるでしょうが、一般の人は普通1回見たら終わりです。それにも係わらず、あれだけコストをかけても、儲かるというよう形になっています。
したがって、これからどんな形で情報を消費するのかというと、明白なポイントは情報の鮮度です。車のモデルチェンジと一緒で、今あるものを古いと思わせて、新しい情報を買わせる。流行やブランドはモノについた情報がその価値を高めていますので、明らかに情報の消費だと思います。
──物に付帯する情報の価値というのは、とても移ろいやすいものに思えます。
美濃:その移ろいやすい中で、価値を見いだして、「その時、その場だけの情報」に高いお金を払う。けれど、それはその場で使ってしまったら、もうあとは意味がない。例えば「今、ここの場所で桜がきれいですよ」という環境情報は、そのとき、その場にいる人にしか意味がない。だからこそ情報理論的に考えると、めったに起こらないことを記述した情報というのが、経済価値を持っている可能性があるのです。
したがって最後に何が大事になるのかというと、実体験です。これがやはり一番価値がある。
──音楽業界でも、ライブが収益源としてだけでなく、体験という面からも見直されています。コピーも流通もできないという意味でも、最後の砦です。体験というものの情報量は、圧倒的に膨大なものです。
美濃:そうですよね。逆に言うとまだコンテンツ化された情報が、五感すべてを覆うような情報量になっていないという可能性はあります。
次に人間同士のつながりです。ほかに人がいることの価値はすごく高くなるでしょう。例えばサッカーの試合は、自宅のテレビでも見られるのに、わざわざスタジアムのスタンドから小さくしか見えない選手の動きを追いかけることの不思議さ。あれは、みんなで盛り上がろうという、そこの価値です。
私であれば家でビールを飲見ながらテレビを見ているほうがよっぽどいいのですが、若い人は寒くても、雨でもみんな行くじゃないですか。こういうあたりに人間の、情報消費のヒントが入っていると思います。
別の話ですが、情報空間でのコミュニティと、物理空間のコミュニティとの関係性も変わっていくでしょう。気の合う人は情報空間に多くいいるため、物理空間での近所の人とは付き合わずに済みますが、これが融合してゆくと私は信じています。例えば、老人同士ネットで気の合った人たちだけが、自分たちでグループホームをつくって住むというよう話が出てくるのではないかと思います。
「情報時代の新しい形のコミュニティはどんなあり方だろう」と考えたときに、結局、ネットで知り合った気の合う仲間が物理的に近くに住んで、みんなでワイワイ騒ぐ、それがたぶん一番楽しいでしょうというところに回帰します。
──情報やデータによる経済や社会の変化というと、大きな変化に話が集中しがちですが、日常生活の中でもおそらくもっと細かく多岐にわたるところで変化が起きるはずです。
美濃:ビッグデータの議論は小さな変化を見つけるきっかけになるかもしれません。ビッグデータは、データが大量に集まることで、ロングテールの部分がはっきりと統計的に分析可能なデータサイズで出てくる。この点が新しいところです。これまでは、いわゆる大量生産で統計的に有意なマスマーケットに対して商品を作っていました。テールの部分は分析対象にもビジネス上の施策を考える対象にも入っていなかったのです。(※ロングテール:商品の2割が売上の8割を担うとするいわゆる80対20の法則において、売上の2割部分にひしめく残り8割の商品に注目する概念。売上数を軸に棒グラフ化すると8割の商品が恐竜の長いしっぽのような分布図となることから名付けられた)
ロングテールの部分でも対処しましょうということになると、大企業の優位性は減少するでしょう。「話は面白いけど、10億程度の話でしょう?」といってしまう大企業から、ベンチャー企業へと覇権が移るかもしれません。
大企業は自分から新しい世界を拒否しているとも言えますね。そうして小さなベンチャーがたくさん立ち上がり小さなマーケットで顧客に合った製品を提供していくという話になってくるわけです。そういうことを考えていくと情報技術というのはやはりパーソナライズというか、個人に合ったものづくりを進める原動力となるでしょう。
個人適応が有効な製品カテゴリは、大量生産モデルが厳しくなる可能性があります。大きなところである程度だけ作って最後のチューニングを個別に施すのか、どこかが個別対応するというモデルになるのか、モデルはわかりませんが。
──工業製品は、生産ロットの効率性と、コネクタのように全てが同じことに意味がある共通規格をどうするか、という問題があります。
美濃:通信などは標準化が必要ですね。コミュニケーションのルールだとか貿易のルールのような基礎的な部分は標準化していかないと実現できない。グローバリゼーションというのはそういうことですよね。だから関税をなくすTPPなどは明らかに、国の意味をだんだんなくしていると言えます。EUも、国の在り方についての実験をしているのです。
おすすめ記事と編集部のお知らせをお送りします。(毎週月曜日配信)
登録はこちら