いわゆるクラシック音楽業界では、作曲家の生誕何年、没後何年というのを祝う習慣があります。それにかこつけて特定の作曲家をフューチャーするわけですね。録音や演奏会なんかがドドッと増えて、あまり演奏されない曲が発掘されたりと、ちょっとしたお祭り騒ぎになるわけです。
というわけで今年(2015年)は何があるかなというと......、
【フィンランドの作曲家シベリウスの生誕150周年!】なのです!!
楽曲で一番有名と思われるのは『フィンランディア』でしょうか。5:10くらいから出てくる静謐なメロディーに歌詞を付けた『フィンランディア賛歌』が、フィンランドの第二の愛国歌として有名です。讃美歌298「安かれわが心よ」もこのメロディ。『ダイ・ハード2』のエンディングもコレです。監督がフィンランド人というご縁ですね。
かのうの大好物はヴァイオリン・コンチェルト。シベリウス本人が「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と指定したという冒頭は最高にカッコイイ。一曲通してロックな逸品です。
タバコ、お酒、ファッション、グルメと放蕩の限りを尽くした為、大作曲家として名を立てながらも経済的には困窮した人生を送ったシベリウス。フィンランド大使館は記者会見をし、ヘルシンキ市公式観光案内サイトも沸いており、去年のトーベ・ヤンソン・イヤーはどこに行ったんだという勢いでシベリウス推しです。
そんなシベちゃんは1865年12月8日生まれのスウェーデン系フィンランド人。スウェーデン統治が長く続いたフィンランドがロシアに委譲され半世紀ほどが経ち、自治大公国として扱われ、フィンランドの民族性が成立しつつあった時期でした。ところが1871年にドイツ帝国が成立、その緊張状態でロシアが態度を変化させ、一転フィンランドはロシア化政策に悩まされる事に。『フィンランディア』が作曲されたのはフィンランドの自治権廃止宣言が出された1899年、シベリウス34歳の時でした。ロシアからの独立運動が起こる中、愛国心をあおるという理由で演奏禁止処分にされたこの曲を、人々は歌い継いできたのです。
フィンランドで1865年に誕生したのは、シベリウスだけではありません。なんと通信業界の皆様にはおなじみのノキアも1865年生まれ。とはいっても通信産業から出発したのではなくて、製紙会社から始まった会社なのですね。国土の73.9%が森林(2005年)という世界一の森林大国のフィンランドですから、製紙業は地場産業と言っても良いでしょう(参照:私の森.jp)。フィンランド独立後から関連のあったゴム製品メーカー、フィンスカ・グミ社と電信ケーブル会社のフィンランド・ケーブルワークス社とは、第二次世界大戦を経て1967年に3社で合併。ここから電気通信業界へと参入という流れですので、業態変化にはあまり抵抗が無い社風なのかもしれません。どうなんでしょうか教えて偉い人。ちなみにお隣のスウェーデンで機械工のエリクソンさんが電信器の修理工場を開設したのは、ノキア設立のほぼ10年後で1876年のことでした。
さて、すっかり雪景色の日の朝には、シベリウスの歌曲『3月の雪の上のダイアモンド』がぴったり。
真っ白な雪、差し込んでくる美しい太陽の光、透明で輝かしい溶け行くものの情景と、ほんとうに、キラキラしていてステキな歌詞なのです!(残念ながら?スウェーデン語なんですが)
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青山学院大学史学科、東京藝術大学声楽科、京都造形芸術大学ランドスケープデザインコースを卒業。京都造形芸術大学大学院芸術環境専攻(日本庭園分野)修士課程修了。通信キャリアにてカスタマサービス対応並びにコンテンツ企画等の業務に従事、音楽業界にてウェブメディア立ち上げやバックヤードシステム開発、コンサート制作会社での勤務を経て、現在はフリーのヴォーカリスト、ヴォイストレーナー、エディター、ライター。
http://kanoppi.jp