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ヒグラシと暮らし、ヨアカシと明かす。

ヒグラシと暮らし、ヨアカシと明かす。

2015.09.01

Updated by Jun Nakano on September 1, 2015, 11:34 am JST

都市化によって日本人とヒグラシはどんどん疎遠になり、ヒグラシが夜明けにも鳴くことすら知らない人が増えています。カナカナのある生活の豊かさを思い出し、暮らしにヒグラシの声を取りもどしましょう。

カナカナカナカナカナ……。

夕暮れと夜明けに鳴くヒグラシの声は、哀しげに、だが涼やかに夏と初秋の闇を縁取る。ヒグラシの声は、あらゆる生き物の声の中で、最高に美しい声のひとつだ。そう思う日本人は決して少なくないだろう。ヒグラシの鳴く時間は、最も好きな時間だ。ヒグラシの声が聞こえない土地には住みたくない、とすら思う。

あの声を聴くと、違う世界に連れ去られるような気分になる。実際、鳴き声が止んでハッと気づくと、あたりは昼から夜へ、あるいは夜から朝へと、違う世界に変わっているのだ。

声音の美しさもいいが、それだけではない。ヒグラシは、まるでにわか雨のように急に一斉に鳴き出し、ひとしきり合唱するともう鳴き止んでしまう。日中の長い時間、だらだらと鳴き続けるほかの蝉たちとはまったく違う。そのうたかた感がまたいい。

ヒグラシ(蜩)の成虫は、6月下旬ごろから9月中旬ごろにかけて発生する。立秋を過ぎてもよく鳴くので「秋蜩」とも書き、「蝉」が夏の季語なのに対し、「蜩」は秋の季語になっている。私の住む西多摩では毎年7月前半から鳴きはじめ、8月下旬ごろには鳴き声が聴かれなくなるが、10月初旬に鳴き声を聴いた年もあった。

多くの人が耳にするのは、夕暮れどきの声だ。ヒグラシが鳴くと夜になる。つまり、日を暮れさせる(日を暗くする)から、日暮らし(日暗し)という。そんな、なんだか妖怪みたいなネーミングも大好きだ。

妖怪ヒグラシ。これがいなくては、夏の日が暮れない。妖怪みたいなものだと思うと「カナカナカナ……」ではなく、「ケケケケケ……」「キキキキキ……」と鳴いている気がしてくる。

ヒグラシの鳴く森を仰ぐ。右はこうもり岩の絶壁。ヒグラシは「かなかなぜみ」「かなかな」「くつわぜみ」とも呼ばれる。(写真:中野純)

ヒグラシの鳴く森を仰ぐ。右はこうもり岩の絶壁。ヒグラシは「かなかなぜみ」「かなかな」「くつわぜみ」とも呼ばれる。(写真:中野純)

アブラゼミやニイニイゼミなどと違ってヒグラシは、木々が密集した林や森の闇に棲む。だから、ヒグラシの声は都市化とともにどんどん消えていく。闇が失われた都会では、ヒグラシは生きていけない。逆に、ヒグラシがいなくなったから、都会は夜になってもずっと明るくて日が暮れないのだ、という気すらしてしまう。

だが数年前、ある友人が、意外なことを教えてくれた。原宿の店にいたら、「カナカナ」とヒグラシの声が聞こえてきたので、「最近じゃ、店内BGMもエコ系ですか」と思いつつ外に出てみたら、なんと、明治神宮の森で本物のカナカナが鳴いていたのだという。

原宿でカナカナ、ナカナカすごいことだ。

ヒグラシがいなくなると、日が暮れなくなる。ヒグラシと一緒に暮らしていくには、森のかけらを点在させればいい。

 考えてみれば、明治神宮の森はすごいボリュームで闇を湛えているから、ヒグラシが棲んでいるのは当然だ。だが、もっと微々たる森というか、森のかけらのような小さな闇にも、意外にヒグラシが生き残っているということに、ここ数年、気づかされている。

なにしろ夏から初秋までの限られた時間にしか鳴かないから意外に気づかないのだが、たとえば小田急線新百合ヶ丘駅のド真ん前でもヒグラシの鳴き声を耳にした。私は長年、この駅をちょくちょく利用していて、駅周辺ではヒグラシは絶滅したと思っていたのだが、なんとか生き残っていたのだ。

駅南口ロータリーのアスファルトに浮かぶ島には木々が生い茂って微森になっていて、図らずもヒグラシの駅前保護区になっている。さらに、南口から少し歩いて住宅街に入ったところに送電鉄塔があり、その周囲がやはり微森で、ヒグラシの声が聞こえる。これまたカナカナ・サンクチュアリだ。こういう微森、小さな闇を意識的に都市に配していけば、人があふれる都市でもヒグラシとともに暮らしていけるのだ。

ヒグラシが夕暮れだけでなく夜明けにも鳴くことを知らない人は少なくない、ということにも最近気づいた。それだけ、人とヒグラシが疎遠になってしまったということだろう。

夏、ミッドナイトハイクをして、少し高い山の頂に夜明け前に着き、ご来光を待っていると、眼下の森から「カナカナカナカナ……」と、ヒグラシの声がやってくる。その、声が立ちのぼってくる感じも大好きだ。

日を暮れさせるからヒグラシというならば、明け方に鳴くカナカナは夜を明けさせるから、ヨアカシと呼ぶべきだろう。金星を宵の明星、明けの明星と呼び分けるように。というのが、私の持論だ。

ヒグラシは昼から夜へ、夜から朝へと変わるとき、あたりがある明るさ(暗さ)になったことを告げる。つまり、ある明るさの光を音に変換したものと言ってもいいかもしれない。

ヒグラシは明るさに合わせて鳴くから、夕方、重い雲が立ちこめて暗くなると「カナカナカナ……」と鳴きだすものの、その後すぐに天気がよくなり空が明るくなると鳴き止んで、それから本格的に日暮れが近づくとまた鳴き出す。いったん日を暮れさせるのに失敗したのを、再び挑戦するかのように。そんなヒグラシの二度鳴きを「暮れ直す」と言うと、しっくりくる。

ある明るさと音が結びついているというのは、とても豊かなことだと思う。子どものころ、日が傾いて影が長くなる時間に下校放送が始まって、ドヴォルザーク作曲の「遠き山に日は落ちて」が流れるのが、ちょっと嫌いでちょっと好きだった。西日の時間の寂しい明るさとあの曲は、しっかり結びついていた。人工の灯りの世界にも、そういうことがもう少しあってもいいのではと思う。

ではまた来月。闇の中で会いましょう。

奥高尾の小仏城山の夜明け。ヨアカシの声に包まれる。(動画:中野純)

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中野 純(なかの・じゅん)

闇遊び、月遊びなどの体験を作り体験を綴る、体験作家。ミッドナイトハイク、夜散歩、穴歩きなどのツアーを企画・案内する、闇歩きガイド。1961年東京生まれ。『「闇学」入門』(集英社新書)、『闇と暮らす。』(誠文堂新光社)、『東京洞窟厳選100』(講談社)、『月で遊ぶ』(アスペクト)ほか著書多数。夫婦で私設図書館「少女まんが館」も運営する。