Project Hecatoncheir -百腕巨人はIoTで人命を救う
日本のIoTを変える99人【File 002】
2015.10.09
Updated by 特集:日本のIoTを変える99人 on October 9, 2015, 15:51 pm JST
日本のIoTを変える99人【File 002】
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2015年9月9日、救急の日に発表された「ドローンで人命を救う」Project Hecatoncheir(ヘカトンケイル)。プロジェクトの概要はこちらの記事で紹介した通り、センサーとドローンを利用して心肺停止時の通報と心肺蘇生までの時間を短縮することで人命を救うというものだ。
記者発表会の中で印象に残ったのが「ヘカトンケイル」=ギリシャ神話に登場する百腕の巨人を「IoT技術を利用して、あらゆる人とモノを統合した人命を救うロボット」になぞらえたことだった。プロジェクトの最終形では、ドローンも百本の腕の一つにすぎなくなり、主役はIoTに移ることになる。
このプロジェクトの特徴のひとつは、医療、ドローン開発、クラウド技術、行政など各分野のエキスパートたちが集まり、高度な災害・救急用ドローン×IT×クラウドを活用した自動無人航空支援システムの研究開発を行うことだ。職種や分野を超えた連携がIoTでどう人命を救うのか、またそれは社会の形を今後どのように変えるのかについて、今回自らも救命士の資格を持ち現場での活動後、国際医療福祉専門学校で救急救命士の育成に携わる救急救命のプロである小澤貴裕氏、ドローン機体開発担当の岡田竹弘氏、クラウド等の基盤を担当する大畑貴弘氏の3人に聞いた。
プロジェクトリーダーの小澤氏は自らも救急救命士の資格を持ち、国際医療福祉専門学校で救急救命士の育成に携わる救急救命のプロだ。最初に救急救命とネットワークを意識したのは、60名(当時)の学生に一人1台のiPad Airを配布する取り組み「1to1 iPad」に取り組んだことだという。きっかけは、医療系の専門学校では多量の教科書とともに、それを解説するためのレジメや大量の資料を配布しており、印刷に時間がかかるだけでなく環境にも大きな負荷があることと、コミュニケーションとしてのクラウド利活用だった。
「最新の情報がすぐに時代遅れになってしまう医療という先端分野において、自由に全員が常時インターネットに接続できる環境作りを急務と感じました」(小澤氏)という思いで、端末の配布と全室インターネット常時接続環境と合わせてインタラクティブプロジェクター付き全面ホワイトボードや耐衝撃ウエアラブルカメラ、シースルーゴーグルディスプレイ、ビデオ喉頭鏡、電子聴診器、360度カメラなどのさまざまな先端装備を導入した。これらの装備を教室のディスプレイに接続するためにインストールしていく過程で、小澤氏は「インストールしていく機器のほとんどがWi-Fi機能を持ち、インターネットに接続できる」ということに気づいた。「思っていた以上にハイエンドの民生機器のIoTが進んでいることを実感させられる結果となりました」と語る小澤氏が次に活かせる装備として目をつけたのが、ドローンだった。
総務省消防庁の統計によれば平成25年における119番通報から現場到着までの所要時間は全国平均で8.5分。しかもこの時間は全国的に年々伸びているのが現状だ。1分1秒を争う救急現場においてはこのわずかに思える時間が生命を左右し社会復帰にも大きな影響をもつことになる。実際の救急現場で生死を目の当たりにしてきた小澤氏にとっては大きな課題であった。
社会復帰を高い確率で実現する短時間での心拍再開に結びつけるために、救急車に先行して、AEDや医療器材、そして現場との双方向で通信ができるIoTデバイスを現場へ届け、その場にいる人に対して専門家が適切な処置をレクチャーできれば、飛躍的に蘇生率は高まるはずだと考えた。「そう考え、DJI社のPhantom 1で密かに飛行訓練を開始しました。60回の訓練終了後、DJI Phantom 2V+を自費購入する段階で、民生用無人機のフライトコントローラーがインターネットと接続して次々ファームアップをして機能拡張していく姿を目の当たりにすることになりました。そして、シースルーゴーグルディスプレイのEPSON BT-200AVをDJI Phantom2V+に接続してFPV(FirstPersonView)で操縦した時、この装備の力強さを感じるとともに、救急の現場で無人機を活用できるという可能性は、確信に変わりました」(小澤氏)
救急の現場でドローンを活用して命を救う。小澤氏の思いを形にするのが、株式会社リアルグローブの大畑氏と「魔法の大鍋」プロジェクトの岡田氏だ。
大畑氏が率いる株式会社リアルグローブは、クラウドを活用して、あらゆるモノに命を宿すプロジェクト『KARAKURI.GLOBAL』をはじめ、知の機会均等の実現を目指した教育のビッグデータのAI的活用の取り組みなど、様々な「コト」をサービス化し知能化する事業を推進する企業。技術としては、コンテナ技術やそれらの自動管理技術、Webシステム間の信用基盤技術、WoT基盤技術などを強みとする。
小澤氏と大畑氏の出会いは、Facebook上での教育ICTをテーマとした情報交換だったが、やがて小澤氏が語る「ドローンで命を救う」というビジョンに強く惹かれていく。
「“ドローンで命を救う”ということの、そもそもの社会的価値の高さはもちろんですが、その具体性に惹かれました。小澤さんは、救急救命士としての実際の活動経験と現場の知識が豊富で、かつ、先端技術にも明るく、命を救うための具体的な課題をよく知っていて、それを解決するアイディアにもあふれています。ただ、実現する手段をすべて持っているわけではありませんでした。コンテナ技術やそれらの自動管理技術、Webシステム間の信用基盤技術、WoT基盤技術など、比較的抽象度の高い情報技術を扱い、その具体的ユースケース(社会的役割)を求めていたリアルグローブにとって、とても相性のいいパートナーだと感じました」(大畑氏)
「マルチテクノロジークリエイター」という肩書を持つ岡田氏は、Makerコミュニティでは「おかたけ」の名で知られる。9月9日の発表会では、基盤から自分で設計したマイクロドローンの飛行デモンストレーションを行った。「ここ数年は、Makerの盛り上がりもあり個人でのハードウェア開発の敷居が低くなってきました。パーツ/モジュールの組み合わせにとどまらず、専用の基盤製作を行うことで非常に小型の機器の製作が可能になりました」(岡田氏)とはいえ、安定して飛び、無線でコントロールできるドローンを組み上げるのはまだまだ難しい。「インターフェイスの共通化や協調した動作を行うソフトウェアのサポートを、リアルグローブと連携して実装していきたい。まずは、国内設計でFC(Flight Controler:ドローンの動作を制御する中心システム)の開発に取り組みます。緊急用途での使用と言うこともあり、安定性・安全性が高い物で、日本標準となるような機構にしたいと考えています」(岡田氏)と語る。
▼岡田氏が開発したマイクロドローン。写真右の機体には、壁、天井、床などにぶつかっても破損しないようにフレームを取り付けた。
「ドローンによる救命」がクローズアップされているが、ヘカトンケイルのコンセプトは「ドローン×IoT×テクノロジーを活用し、物理世界とバーチャルネットワークを構築する」ことだ。ドローン活用はその第一段階にすぎない。システムが機能するためには、まず、出動すべき「命の危機」を迅速に察知することが重要になる。最終的には、ドローンはこうして察知された「命の危機」を救うために、いち早く現場に駆けつけるための一つの道具となり、操作も自動化を目指す。
「だがシステムでの自動化をうたうその前に、実際に人がFPV(First Person's View・一人称視点)運用を行い、システムの代わりとなって、試験と訓練を実施し、その映像を記録し公開することが大事なのではないでしょうか」と小澤氏は問いかける。
小澤氏は、専門学校で救急救命士を目指す学生の有志らと共に、実証実験を繰り返している。「その映像を記録し公開することで、可能性を可視化し、更にたくさんの人の英知を結集することが実はとても大切な過程ではないかと私は考えます。事実これらの訓練動画が多数のメディアに取り上げられることによって、救急・災害での活用がドローンの第一の達成すべき目的ではないかと考える人たちが増えています。リスクのある技術にそれでも挑む必要があるのは、人命のかかった事態であることに間違いはないのではないかと私は考えます」(小澤氏)可能性を可視化し、更にたくさんの英知を結集することが実は大切な過程だと考える。
【訓練の様子】
▼AEDを搭載したドローン飛行訓練
▼救急隊が来るまでの間蘇生を行う
▼救急救命士との連携も大切だ。
【動画】
▼AEDを搭載したドローン初飛行
▼救命浮輪投下訓練。FPVで目標をカメラで見ながら投下を行っている。
▼無人機の映像から波をかぶっている車の内部に人がいることを偶然発見。この後現地に赴き、JAFへの通報を手伝った。
こうした活動を通じて、全国の消防機関からドローン導入についてのアドバイスを求められることも増えてきたという。その中で2011年に県内すべての救急車にiPadを配備し救急医療分野でのICT活用の路を大きく切り拓いた佐賀県庁職員の円城寺雄介氏(現在はヘカトンケイルプロジェクトに行政アドバイザーとして加わる)にもドローン体験をしてもらうことでそのポテンシャルを伝えることができた。
そんな時期に起きたのが、2015年4月の官邸ドローン墜落事件だ。これがきっかけとなり国内ではドローン規制の議論が起こり、改正航空法では住宅密集地上空の飛行やドローンからの物の投下などは原則として禁止された。また、「ドローンは危険」という世論により消防・救急関連機関への導入が当初想定していたようには進まなくなっている。
それでも、「プロジェクトには、厳しい法規制のなかでも知恵と工夫で実証実験を繰り返し、まずは安全性と有効性をしっかりと確認していく。ゆくゆくはいわゆる『ドローン特区』の活用も検討しドローンが命を救うことを『社会の当たり前』にしていきたい」という小澤氏には、全くぶれがない。
「民生用無人機に対して『所詮ラジコンでしょ?』という人がいます。確かに今はその通りでしょう。しかし、そのラジコンの世界は現在、多くの人の想像を超える状況になっています。大手企業のできないことをラジコンのコアな趣味人が簡単に実現してしまう世界がすでに存在しています。ちょうど、20年前の“オタク”がICTの急激な成長により世の中の主役に躍り出たように、次世代インフラのコアテクノロジーとしてラジコン専門家の知識や技術が必ず重要なノウハウになってきます」(小澤氏)
▼Project Hecatoncheirのメンバー。今回のインタビューは前列3人が中心となっているが、ほかにも行政アドバイザー円城寺氏(後列左)、ドローン導入アドバイザー兼広報担当の稲田悠樹氏(後列中央)、医療工学アドバイザー沼田慎吉氏(後列右)が専門家として参加している。
ヘカトンケイルが目指す未来は、「命を救う、人とモノを統合したひとつの大きなロボット」だ。
「救急の世界では1秒でも早い情報の収集や伝達に価値があります。人の通報のみならず、センサー群や携帯端末そのものの活用などあらゆる覚知戦略を統合して迅速に現場の「見える化」をするというのが、小澤さんから示されたIoT的な1つ目の課題です」(大畑氏)「具体的には車両搭載センサーによる突発事故の瞬間的な把握、ウェアラブルセンサーによる事故発生の事前予測などが重要になると考えています。IoTを活用して収集したデータを元に事象の発生を予測できるのであれば、予防・対策を考えられますから、より多くの選択肢をもって対応することができます」(岡田氏)
ウェアラブルセンサーにより収集したバイタルサイン、テレマティクスシステムから収集した自動車の運転状況、ITSによる渋滞情報、地震計・津波監視ブイ・水位計・土砂災害警戒用のセンサーなどの自然災害を検知するセンサー、各所の監視カメラなど「あらゆる場所にあるセンサー」のデータや、関係機関への通報、医療・消防機関の出動状況などの情報をインプットとしてクラウド上に集約。クラウド内に実装されたAIにより、対応が必要な事象の発生を察知した上でアウトプットとして自動アラートの発報や広報、ドローンやロボットによる迅速で自動化された現状把握と対応、防潮堤などの防災設備の自動作動、自治体や救急・救助・消防隊など人間が作る組織に対する情報提供、市民の避難誘導などを行う。
「課題はセキュリティと集まったデータの活用方法です。ビッグデータとして解析することで有効な情報にできますが、解析データの所有権や利用権について、解決すべき課題はまだあると感じています」と岡田氏が懸念する通り、実現に至るまでにはプライバシーとの整合性やセキュリティの確保など解決すべき課題はまだ多い。
だが「人の命を救う」という目的にフォーカスして技術開発と実証実験を進めていくことが、課題解決にもつながっていくというのがヘカトンケイルの考え方だ。「IoTは技術先行で論じられることが多く、具体的なユースケースが不足しています。IoTは必ず世の中を良くするでしょうが、どう良くするのかは、1つ1つのユースケースをしっかり掘り下げていく必要があるはずで、成功したケースを掘り下げたその結果、『IoTが役に立っていた』というのが正しい姿だと思います。そういう意味で、ヘカトンケイルは素晴らしい場であると思っています」と大畑氏は語る。多くの人を惹きつけるビジョンを掲げたプロジェクトには、優秀な人材も技術も集まる。そしてその中から新たなソリューションが生まれるはずだ。
「ヘカトンケイルは始まったばかりのプロジェクトです。まずは、ヘカトンケイルという巨人を作り上げることに集中したいところです。そこでしっかり技術をブラッシュアップしておき、その成果を他分野にも広げていくようなことができればと考えています。私自身のインフラ分野、教育分野での経験は今回のヘカトンケイルにも活かされています。逆にインフラ分野や教育分野にヘカトンケイルの経験がフィードバックできれば、面白いと考えています」(大畑氏)
プロジェクトの目的の3番目には、「ヘカトンケイルで開発したすべての技術を、他のあらゆる産業の高効率化、技術革新にフィードバックし、技術立国日本の再興を目指す」と掲げられている。「あと少し早ければ、助けられたのに」-何度も無念を感じた救急救命の現場からの発想が、今、IoTで日本の産業を変えることを目指している。
構成:板垣朝子
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登録はこちらIoTは我々の暮らし、仕事、産業をどう変えるのか。またどのような技術やソリューションが生み出されているのか。これから乗り越えるべき課題は何なのか。さまざまな視点から、日本が目指すIoT社会の姿と今後の変革について、日本のIoTのをリードするエバンジェリスト、企業、チャレンジャーの方々に語っていただく連載企画です。