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知的情報処理の最前線:最後の一手「量子コンピュータ」への道

2016.02.02

Updated by Masayuki Ohzeki on February 2, 2016, 09:00 am JST

原子や分子など物質の構成単位程に小さいものを量子と呼ぶ.

目に見える大きさの玉がどう動くかは、僕らの常識の範疇となり、何となく予想がつく.しかし量子となるとそうはいかない.

量子力学

と呼ばれる学問は、まさにその量子がどう振る舞うかということを悩み続けてきた学問である.

この量子力学によると、量子が示す異なるふたつの状況のどっちつかずの状態を保つことができる.優柔不断なのだ.

明日の飲み会来るよな?

行けたらいく.

っていう状況だ.行くのか行かないのかどっちつかずの状態で、決定を保留したまま飲み会の当日に結果発表といったように、どちらの可能性も残したままでいることのできるのが量子の特性である.

これを計算に利用しようというのが量子コンピュータの骨子となるアイデアである.あらゆる可能性の中からどれかひとつ、最善の方策を選びたいという問題については量子コンピュータが世界を変える計算技術を提供するだろうと期待して、世界中の研究者たちが躍起となっている.

例えばいつだったかに紹介した最適化問題を解くというのも、量子コンピュータの得意な問題に入る.どの経路で目的地に行けばよいか、最短距離の経路を探しなさい.最小の手間で作業の効率化をはかるなど、応用には枚挙に暇がない.ただこの手の問題の難しさを前にすると、量子コンピュータといえども旗色は悪いというのが率直なところだ.

その量子コンピュータが、ギリギリこれまでのコンピュータを質的に凌駕する問題がある.

素因数分解である.

この素因数分解については、Shorが1994年に量子力学を駆使したアルゴリズムを提案して、これまでのコンピュータがどうがんばっても、量子コンピュータの前には歯が立たないということが示された.

この素因数分解ができるかどうかによって、ある意味量子コンピュータの真価が問われる.

さて、それでは何度か取り上げてきた量子アニーリング形式についてはどうだろうか?

実はこの量子アニーリング形式でも。素因数分解のアルゴリズムが提案されており、それを実装するとこれまでのコンピュータには到底追いつかない速度で動作することが分かっている.

そうか、それでは量子アニーリング形式でもって、夢の量子コンピュータを実現できるではないか、となりそうだ.

しかし、現在D-Wave Systemsが実現している量子アニーリング形式では、素因数分解の夢を果たすことは叶わない.

ひとつ足りないのだ.そのひとつは分かっている.

このひとつは非常に重要な一手である.

その一手を持たないD-Wave Systemsが作成したマシンでは、量子コンピュータの本来期待されている性能を発揮していないのだ.

量子アニーリング形式では、量子の特性である「重ね合わせの状態」、あのどっちつかずの優柔不断な状態を用いて計算する.

優柔不断な状態を最初用意して、だんだんと回答を迫るというのが量子アニーリングの計算方法である.

最適化問題は、たくさんある山のなかから頂上にある宝を見つけるという問題といってよい.優柔不断な様子は、山を登って途中で他の山を探索するために飛び回るということに対応する.

この優柔不断だからこそ、色々な山を試して宝を探すのに効率的というわけだ.ではその優柔不断さこそ多いに利用したらいいじゃないか.

これが最後の一手である.解決方策は既にあり、実際に筆者が研究者同士の交流で、それを利用したマシンの開発に着手しているとの情報を得た.

IARPA(Intelligence Advanced Research Projects Activity)という米国の国家プロジェクトのWebページのトップには、

Advanced quantum fluctuations (e.g., multi-spin)

の利用を目指すと宣言されており、最後の一手に手をかけていることが伺える.

何故それを今までやらなかったのか.それはおそらく量子アニーリングの歴史に有るだろう.量子アニーリングはそもそもは実際にマシンをつくるということを想定しておらず、これまでのコンピュータ上でシミュレーションをしてみたくなる面白い対象として想定されていた.そうなるとこれまでのコンピュータでシミュレーションができる、目に見える形でやりたいがために、量子の性質が出てこないギリギリの線で研究は進む.

つまり足かせのあるまま、宝物を探していたのだ.その足かせを外そうというのである.

こうなるともはやシミュレーションはできない.どんなことが起こるのか、それを掴む研究をするためには相当良い筋で攻めるか、勘所を掴まないと難しい.しかし研究者たちは、量子アニーリングの提案以降、日本人も含め、脈々とその鍛錬と知識の積み重ねを続けてきた.

そして、いまそれが結実する時代が来たのだ.

最後の一手が打たれる瞬間を見る日はもう近い.

人工知能が打つ一手よりも、人間がその一手に注目しようじゃないか.

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大関 真之(おおぜき・まさゆき)

1982年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院理工学研究科物性物理学専攻博士課程早期修了。東京工業大学産学官連携研究員、ローマ大学物理学科研究員、京都大学大学院情報学研究科システム科学専攻助教を経て2016年10月から東北大学大学院情報科学研究科応用情報科学専攻准教授。非常に複雑な多数の要素間の関係や集団としての性質を明らかにする統計力学と呼ばれる学問体系を切り口として、機械学習を始めとする現代のキーテクノロジーを独自の表現で理解して、広く社会に普及させることを目指している。大量の情報から本質的な部分を抽出する、または少数の情報から満足のいく精度で背後にある構造を明らかにすることができる「スパースモデリング」や、次世代コンピュータとして期待される量子コンピュータ、とりわけ「量子アニーリング」形式に関する研究活動を展開している。平成28年度文部科学大臣表彰若手科学者賞受賞。近著に「機械学習入門-ボルツマン機械学習から深層学習まで-」、「量子コンピュータが人工知能を加速する」(共著)がある。

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