千葉県君津市の川トンネル。浸食と風化によって、掘った人たちも想像しなかった複雑で豊かな地底景観ができあがっている。
千葉県君津市の川トンネル。浸食と風化によって、掘った人たちも想像しなかった複雑で豊かな地底景観ができあがっている。
素掘りトンネルは各地にありますが、房総と越後には、とても珍しい素掘りトンネルがたくさんあります。人と水が掘ったそのトンネルたちは、ふつうの素掘りトンネルよりずっと豊かな闇と光と音がある、隠れた名所です。
前に、房総半島には素掘りトンネルが異常に多いという話を書いた。国道などの広い道から旧道や林道などに入ると、異形の素掘りトンネルが次々に現れる。
だが実は、それだけではない。房総には道だけでなく、川にも素掘りトンネルがたくさんある。川廻しと呼ばれる方法でできた、水を通すためのトンネルだ。
房総丘陵には激しく蛇行する川が多く、小山を隔てて上流と下流が接近しているポイントがたくさんある。そこでその部分に川のトンネル(切り通しの場合も)を掘り、流れをショートカットさせると、蛇行していた部分の川床が干上がって取り残される。そこを田んぼとして使う。ちょっと変わった干拓の方法だ(洪水防止、植林、林道工事などのために川廻しをすることもあった)。
ぐるりと迂回する川を人工的に真っ直ぐにするのだから「川廻し」というより「川廻さず」だがそれはさておき、川廻しの工事は、江戸時代初期から明治にかけてに盛んに行われ、昭和になっても行われたという。
私は6年ほど前に川廻しにハマり、ひとりで川廻しを探して歩いた。夜に川廻しを巡る闇歩きツアーをやったりもした。
ふつうの素掘りトンネルと違って川トンネルは、道を行けば目の前に口を開けて待っているものではないから、目に入りにくい。だが、探してみると驚くほどたくさんある。国土地理院地形図を見れば容易に見つかる。川の一部が破線になって、川なのにトンネルの標示になっているところへ行けばいい。個性豊かで、門のように一瞬で終わるトンネルもあるし、川トンネルの上にふつうの素掘りトンネルを通した2段トンネルもある。
おもしろいのは、夜の川廻しだ。房総丘陵の夜は暗いので、川トンネルがどこにあるか、目ではなかなかわからない。夜の闇の中でトンネルの闇を見つけるのは難しい。でも耳で見つけられる。夜、川沿いを歩くと、急に水音が反響しだすところがあって「あ、川廻しだ!」と気づく。トンネルだから反響するのだ。川廻しがいくつも続く川に沿って歩くと、水音の変化が豊かで楽しい。夜の川廻しは耳で楽しむのだ。
川廻しだけではない。房総では二五穴(にごあな)と呼ばれる水トンネルもよく見かける。幅約2尺、高さ約5尺、人ひとりが背を屈めてやっと通れる程度の素掘りの狭い穴で、川から山を隔てた田んぼへ水を送る用水路トンネルだ。幕末から掘られるようになり、今でも用水路として使われている。
明治2~3年につくられ、県内最古の水道とされる大多喜水道も、大半が二五穴サイズの素掘りトンネル(つまり土の水道管、素掘りの水道管)だった。外房の名勝、鵜原理想郷にある鵜原館は、素掘りの穴を利用した洞窟風呂、トンネル風呂で知られる宿だが、ここにも水のトンネルがあった。
鵜原館は戦時中、特攻艇基地の兵舎として軍に接収された。その際、貯水池として掘った穴を利用したのが洞窟風呂で、トンネル風呂のほうは、水を引いた跡(つまり水トンネルの跡)だと宿の人が教えてくれた。たしかに、二五穴のように狭いトンネルだ。
そんなわけで、房総はほんとうに水の素掘りトンネルだらけなのだ。地底川だらけなのだ。
川廻しは房総ではありふれているが、全国的に見ると極めて珍しく、ほかにほとんど例がない。だが、中越地方には川廻しと同じような川トンネルが多く、新田開発などとともに、地すべり・雪崩対策としても掘られた。越後ではそれを瀬替えと呼び、瀬替えの川トンネルをマブと呼ぶ(マブは一般には鉱山の坑道を意味する)。
素掘りトンネルを15年間撮り続けている中里和人さんは、ここ数年、房総と越後の川トンネルに足繁く通い、その成果を写真集『lux WATER TUNNEL LAND TUNNEL』(ワイズ出版)にたっぷり注ぎ込んだ。
注目すべきはそれら川トンネルの写真が、常にトンネルの中で撮られているということだ。ふつうのトンネルですら外から撮る人が多いのに、沢登りマニアやケイバーでもなければ気安く入ろうと思わない水のトンネルの闇にバシャバシャと入っていき、シャッターを切る。越後のマブには、雪解け水が激しく躍る、かなり危険な季節にわざわざ入る。
『lux WATER TUNNEL LAND TUNNEL』に登場するお気に入りの川トンネルに、中里さんが案内してくれた。千葉県君津市の車道から廃田へ下りて道なき道を行き、川沿いの崖を下る。川トンネルは何気なく口を開けているが、入ってみるとすごい。色といい形といい音といい風といいスケールといい、実に素晴らしい地底川空間だ。
人が造った空間で、ちょっとその気になればだれでも行けるのに、人跡未踏に限りなく近い。すぐそこにある常夜の別世界。
川廻しのトンネルは基本的に真っ直ぐだが、このトンネルは2回カーブする。カーブすると坑口から直接光が射さなくなるので深い闇が溜まる。カーブゆえに変な浸食をしたのか、抉れかたがおもしろく、甌穴(ポットホール)もいくつかできている。中里さんが甌穴の水面を懐中電灯で照らすと、反射した光の波がトンネルの天井に揺らめいて美しい。
あのへんに川トンネルがあるはずだというのは、川廻しの地形を知っていればかんたんに推測できる。だが、まさかこんな豊かな地底空間が広がっているなんて、道路からはまったく想像できない。
この空間を発見したときの中里さんの驚きと感動を想像するだけで、テンションが上がる。すぐそこに異世界が平然と口を開けているのに、ほとんどだれも知らない。今でも地元民がちゃんと管理している二五穴と違って、ここは地元民でもほとんど入ることがなさそうだ。だから、浸食の結果、こんなに姿を変えているなんてほとんど知らないだろうし、知っていても気に留めない。
地質が適度にやわらかくて掘りやすいから気軽にトンネルを掘るのだが、人が掘りやすいということは、水も掘りやすい。トンネル内を流水がどんどん掘り削って、落盤した岩片も水が運んで、当初よりもずっと大きく複雑な地底川空間ができあがっていく。最初は人工の水路に過ぎないが、素掘りゆえに時を経て天然の造形が進み、人為と自然が激しく共存する地底空間に変貌していくのだ。
川トンネルには無論、照明がないから、奥に闇が溜まっている。だが、坑口から入った光が水面に反射して、それが激しい浸食と風化で複雑に変化したトンネル内を細やかに照らし、闇と光が表情豊かに共存する。複雑な形だから当然、水音も複雑に豊かに響く。
道のトンネル以上に豊かな闇景色が、あちこちに隠れているのだ。房総は(そして越後も)、ほんとうに昼間の闇の名産地なのだ。
ではまた。闇の中で会いましょう。
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登録はこちら闇遊び、月遊びなどの体験を作り体験を綴る、体験作家。ミッドナイトハイク、夜散歩、穴歩きなどのツアーを企画・案内する、闇歩きガイド。1961年東京生まれ。『「闇学」入門』(集英社新書)、『闇と暮らす。』(誠文堂新光社)、『東京洞窟厳選100』(講談社)、『月で遊ぶ』(アスペクト)ほか著書多数。夫婦で私設図書館「少女まんが館」も運営する。