ついに登記が完了し、新潟県長岡市に株式会社AIUEOが設立されました。読み方は「あいうえお」ではなくて「エーアイユーイーオー」です。
オフィスはまだ内装工事中ですが、今月中旬には開所できる見込みです。
なぜAIUEOなのか?
この名前は、VAIOのネーミングとデザインで知られるプロダクトデザイナーの後藤禎祐さんが考えてくれたもので、なにか風呂に入るときに思いついたとかそうでないとか。読み方の指定までしてくれました。
長岡に会社を作ろうというときに、安易にUEI長岡支店みたいな名前の会社にしたくありませんでした。
地元と密着し、地元のメリットをうまく活かしながら地元とともに育って行く会社にしたい、という強い願いが私自身にあり、であればどのような名前が一番良いか、ということを考えた結果、結局は後藤さんからいただいた名前に決めました。
もちろんこの会社の名前の由来は、AIとUEIにあり、もちろん、Googleの親会社であるAlphabet社の裏返しという意味でもあります。
私は地元愛はありますが、基本的に長岡の人間の精神性というのは、群れないというところにあるのだと思っています。独立自尊というのは福沢諭吉の言葉らしいのですが、なぜか私の幼稚園でも小中学校でも二言目にはこの言葉が出て来て、他人と群れず、一人でやっていくという精神性は私の中に深く根ざしています。
したがって、私は単に自分の地元だから、という理由で長岡に会社を作るということには懐疑的でした。
ほかにもっとふさわしい場所があるだろうという考えもありました。実際に誘致の話しもありましたが、以前本欄で触れたように、様々な要因が重なって、結果的に長岡に会社をつくるのがベストであるという結論に達したのです。
まずは事務所を開くので求人サイトみたいになっていますが、すでに多数のご応募をいただいており、交通整理が間に合わない状況です。
地元にある工専や技科大、造形大とも連携をとりながら、世界最強のAIを作る会社として育てていきたいと考えています。
さて、なぜ長岡・・・ふつうの人にはまず馴染みがない町でしょうが、むかしは越後といえば越後長岡藩のことだったのです。新潟は、長岡藩の新潟奉行が統治する干潟に過ぎませんでした。
戊辰戦争でやりすぎたために、新政府が嫌がらせとして、新潟に県庁を置いたのです。だから昔から長岡にいる人は新潟県という名前そのものがあまり好きではありません。
新潟市は今や日本海側最大の都市ですが、長岡市も20万人の人口を誇る中堅都市として特例市に指定されています。
なぜ長岡で世界最強のAIが生まれる可能性があると考えたのかといえば、これからの時代、良いAIを作るのに必要なのは、決してお勉強ではないからです。
もちろんお勉強ができることはしばらく価値を持ち続けますが、実際にはAIを直接育てるのはデータです。データを集め、整理するという地道だが特別な才能がなくてもできる仕事を東京都内で雇うのはいかにも非効率的です。また、新潟県は「幸い」大学進学率が全国で二番目に低い場所です。
私自身も高校時代から働いていましたし、18歳、19歳の頃の仕事が、人生で一番大事なものになっています。東京でふつうに育つと、私立の中高一貫校に進学してそのまま大学に入学するというパスが当たり前です。しかし長岡では、大学に行くのは特別な人です。大学全入時代でありながら、大学進学が絶対的な価値基準として想定されていないのはAI人材を育成する上で極めて理想的と言えます。
また、雪深い場所で、データ作成という仕事は主に室内作業で済むというのも、長岡に作るメリットになります。東京はなにかと誘惑が多過ぎて地道な仕事をしてもらうのにあまり適しているとは言えません。
AIの性能がデータによって決定されるのであれば、どこよりも早く、AI向けのデータを作る人材の育成をすることが結果的には優れたAIを作ることに直結します。だから、世界のどこでもなく長岡に作るのです。
私自身、21歳で初めてレドモンドのMicrosoft本社「キャンパス」に行った時は度肝を抜かれました。なぜって、ものすごいど田舎だったからです。
世界を席巻するOSが、こんな雪深いど田舎で作られていることにまず驚いたのです。
レドモンドに行ったことがない人にはイメージしにくいかもしれませんが、一般的にマイクロソフトの本社はシアトルにあると思われています。
しかしシアトルには本社はありません。
シアトルの繁華街から車でたっぷり90分くらいの小旅行をして、雪深い山を登ったところにキャンパスはあります。
私はこのとき「きっとシリコンバレーはもっと都会なのだろう」と考えたのですが、実際にシリコンバレーを訪れてみると、あまりの田舎町でやはり驚きました。
我々は普段、意識しないでFacebookやGoogleを使っています。なんとなくシリコンバレーと聞くと「サンフランシスコみたいなオシャレな町なんだろう」というイメージを抱くのですが、実際には低層住宅が立ち並ぶ単なるど田舎です。
サンフランシスコからシリコンバレーまでは車で一時間くらいかかります。
生活するメリットはほぼゼロだと思います。せいぜい履歴書に「シリコンバレーで働いてました」って書けるくらいです。まあそんな名前の土地はありませんが。
シリコンバレーのメリットは人材供給だと言われていました。今もそう信じられています。しかしそれで採用できるのは、能力に比べて不当に高い報酬を要求するプログラマーです。しかも、彼らは金次第ですぐに他のシリコンバレー企業に転職してしまいます。
シリコンバレーに本当にそんなにすごいエンジニアがひしめいているのなら、はてなもインフォテリアもシリコンバレーでもっと成功したはずではないですか。テレパシーだって発売されていたはずです。
Facebookが生まれたのはボストンで、Webがうまれたのはジュネーヴです。イノベーションが起きるのは、世界のどこでもいいんです。共通点は、基本的に寒いことです。
ボストンもジュネーヴも雪深いところです。雪深いところで働いていると、騒音が気にならなくなります。東京で暮らしていると騒音の多さに驚きます。
都会はたえず工事の音や自動車のエンジン音で満たされていて、うるさいことこのうえありません。東京にずっと暮らしていると、それに慣れてしまってそれが当たり前のように思えてくるのですが、騒音をキャンセルするのに脳の何パーセントかでも処理を使うのは無駄としかいいようがありません。
必要なのはしずかな環境で、雪深い場所はそれだけで静寂を手に入れることができます。雪は遮音性が高いからです。
私はこれからのAI対応人材を育てるのに必要な資質は、「若さ」だと思っています。
AI以後とAI以前の世界では、価値観が違い過ぎます。だからAI以前の世界観でやってきたエンジニアに、AI以後の世界観の仕事をさせようとしてもうまくいきません。その人の「宗旨変え」に大きなコストがかかります。
ならば若くて既成概念にとらわれない頭脳のうちに最初からAIとの接し方を叩き込んでしまった方が、手っ取り早いと思うのです。
長岡では、AIプログラミングを教える教室事業と、データ作成やAI自体の作成をする事業を同時に行おうと思っています。現地で人材を育成して、実際に業務で活躍してもらうのです。
15年前、もともと私はマイクロソフトの経験から長岡で会社を作ろうと考えていました。ところが結局、自分の仕事の基盤や人脈が東京に依存し過ぎていて、秋葉原で今の会社を創業することにしました。
しかし今は時が熟し、ついに地元長岡で会社を興すことができました。
田舎町にあるちっぽけな会社、AIUEOがどんなふうに化けるか、ご期待ください。
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登録はこちら新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。