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「CMOSイジングコンピュータ」の心臓部。最適化問題を磁性体のスピンの振る舞いにマッピングし、その物理現象の収束動作を実行・観測することで、 短時間で適切な近似解を見つける。

異分野同士の協力で、CMOSアニーリングマシンを開発

従来のコンピュータでは解くのに極めて時間のかかる巡回セールスマン問題をはじめとする組合せ最適化問題の高速処理を、CMOSアニーリングマシンと呼ばれる半導体回路で実現するという手法を日立製作所が開発した。基本原理は、量子アニーリングと呼ばれる手法と似ているが、-273℃(絶対零度)の極低温まで冷却しなくても済むという手軽さが特徴だ。元半導体技術者で、現在CMOSアニーリングマシンの開発を主導する山岡雅直主任研究員がどのようにして、この開発を成し遂げたのか、語ってもらった。キモはやはり「人との協調」である。

※本記事は日立製作所の研究開発グループが運営する「開発ストーリー」の抄録です。全文はリンク先をご参照ください。

なぜCMOSアニーリングマシン技術の開発に取り組むことになったのか

2010年から2012年の2年間、IBMとの共同開発プロジェクトに携わり、ニューヨーク州のヨークタウンハイツにあるワトソン研究所で過ごした。しかし、帰国してみると、事業構造の変化に伴い、半導体の研究も縮小せざるをえない状況になっており、半導体の研究開発から離れなければならなくなった。これが大きなきっかけとなり、半導体以外でこれからずっとやっていける分野を探し始めた。そしてコンピュータが今後どのような方向で発展していくのだろうか、というテーマについて仲間と議論を開始し、考え続けることにした。

コンピュータの今後について議論

議論していたチームには、半導体、そしてコンピュータのハードウエアのエンジニア、そしてソフトウエアのエンジニアもいた。英国の日立ケンブリッジ研究所(Hitachi Cambridge Laboratory: HCL)で量子コンピュータの研究者とも継続的に議論できたことも刺激になった。違う分野のエンジニアが集まって議論していたからこそ、CMOSアニーリングという手法に行き着いたように思う。特定分野の人だけで議論するのではなく、いろいろな背景を持つ人たちと議論するのは本当に楽しい。

その頃、カナダのD-Wave社が量子コンピュータを発表した。しかし、これを作ろうという発想はそもそもなかった。D-Wave社の量子コンピュータを利用した量子アニーリング技術を横目に見ながら、あるコンピュータエンジニアが、これよりもっと簡単にできる方法があるのではないか、と言い出し、半導体エンジニアの自分は半導体でならできる、と申し出た。こうしてCMOSアニーリングの開発が始まった。半導体エンジニアだけなら、この技術は実現できなかっただろう。

量子アニーリングでは、量子効果を使って、最適な解を求めるのに横磁場をかけ、それを徐々に弱めていき、最適なところを探していく。これがアニールの工程と似ていることから、このように呼ばれている。CMOSアニーリングではこのような量子効果は利用しないが、求める解とは異なるところにとどまり易くなってしまうことを排除する工夫で、いろいろな探索領域の中から最適なところを探していこうとしている。つまり、ランダムに状態を頻繁に壊して安定な解を求め、その頻度を下げていくことで、高温から徐々に温度をさげるアニール効果を実現し、最終的には壊すことのない状態に落ち着つかせることになる。目的は、最適な解やパラメータを見つけることである。しかし、実際には本当に最適なパラメータかどうかわからないこともある。本当の最適なポイントを見つけるためには、原理的には無限に時間をかけなければならないと言われている。かける時間が同じなら、量子アニーリングの方がCMOSアニーリング法よりもおそらく最適点に近づいているだろう。ただし、最適化処理を実際に使う応用事例を想定すると、“最適点ではなくても使える応用”がかなり多いはず、と睨んだ。

2015 ISSCCで発表

CMOSのメモリ回路にデジタル回路を集積して、アニーリングマシンが作れるはず、と考え、コンピュータシミュレーションで確認した。そして実際に半導体チップに集積した2万ビット回路を試作し、2015年の半導体のオリンピックといわれるISSCC(国際半導体回路会議)学会で発表した。これまでで最大規模のアニーリングチップになる。

ただし、流行の機械学習やディープラーニングに関しては、あまり検討していない。いわゆるニューラルネットワークを使った学習の方法は各方面でかなり研究されており、それ以外の手法で新しいコンピュータの形を求めたいという気持ちが強かったためだ。コンピュータアーキテクチャを変える、ということにこだわっていたのかもしれない。日立が全社を挙げて“社会イノベーション”と言い出し始めた頃でもあった。まだあまり注目されていないアプローチは、今後極めて重視されるようになるはずだ、との強い想いがあったのだ。

そもそもAIは大量のデータの中から学習していき、その次にどうするという答えを見つけるのに適しており、アニーリングマシンは今あるデータの中から最適なパラメータを見つけ出す、というものである。状況が変わったら、その中から最適なものを見つけ出す。このため、AIは学習や推論を行うのに、大量の過去のデータが必要になる。このため、AIは過去のデータから最適なルートを導き出すことであれば得意だろう。道路状況に応用する場合、過去の道路混雑情報の事例があり、何曜日の何時にはある道路が混むという事例がふんだんにあると、AIはその道路を避けることができる。が、通れるはずの道路で事故や災害が起きて突然通れなくなった場合にはAIは対応できない。過去一度も渋滞したことのない道路が渋滞している時には、正解を出すのが困難だ。

これに対して、アニーリングマシンは学習しない。したがって先の予測はできない。しかし、いま交通渋滞が起きているので迂回路を見つけたいというとき、あるいは突然の事故に遭遇した場合にどのルートが最適であるかを求めることならできる。10分後に渋滞状況が変わり、もう一度最適ルートを知りたいといった場合にでも、正解を提供できる。今ある状況で何か最適なものを見つけることこそアニーリングマシンが得意なところだ。状況が変わった場合の最適なルート提案などを求めたいのであれば、是非私たちに任せてほしい。

日立北大ラボの成果として

CMOSアニーリングは日立北大ラボとのコラボレーションの成果でもある。私は東京の国分寺市にある研究拠点にいることが多いが、北大電子科学研究所の客員教授も兼務している。このため、日立北大ラボのチームメンバーとの会議は、ウェブベースで行う。同研究所のデータ数理学研究分野の小松崎民樹教授と一緒に取り組んでおり、小松崎先生は実にオープンなマインドをお持ちで、こちらの研究を様々なところに広めてくださっている。小松崎先生は化学と数学を手掛けておられ、日立としては数学的に新しいことをやりたいので共同研究を始めさせて頂いたのだが、今では、数学だけではなく情報学などにも協創の輪を広げさせていただいている。北大との拠点を作ったことで、当初はあまり想定していなかったが、北大内部との人脈も大きく広がっていったのである。

拡張性を重視

素子が全てにわたって繋がっているほう(全結合型)が情報を取り込みやすいというメリットがあり、最初の使いやすさは優れているかもしれないが、日立のCMOSアニーリングマシンでは、近くの素子同士だけがつながることを重視した。これは、全部が結合していると、それ以上拡張できない可能性があるので、将来にわたりコンピュータの規模を大きくしていく、という拡張性を重視して開発を進めたからだ。なぜ大規模化を重視したのかというと、最適化問題は規模が大きくなるにつれ、今のコンピュータでは解くことが難しくなると予想されるからでもある。だから規模を大きくできる拡張性を重視した。より大規模な社会課題を解くため、いくらでも拡大していけるようにすることを狙ったのである。

例えば1Mビットと1Mビットがつながっていると、つながりの数は1T×繋がりの係数ビット数分が必要になるはずで、そうなるとRAMに全ての情報を置いておくことはできなくなり、HDDに置くことになると速度が落ちてしまう。それでは従来のコンピュータシステムとなんら変わりはない。日立のマシンは、近くのつながりだけを重視しているので、多数並列に並べ、簡単に拡張していけるのが特徴だ。100Kビットのマシンでは、4Kビットのマシンを25個並べたマシンを作り、拡張できることを証明している。

現在、CMOSアニーリングマシンのさらなる大規模化に向けた事業に向け、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)のプロジェクト「IoT推進のための横断技術開発PJ=組合せ最適化処理に向けた革新的アニーリングマシンの研究開発」に参画し研究に取り組んでいる。

そしてその次のステップは、実際に多くの人にCMOSアニーリングマシンを使っていただき、世の中が変わったことを実感していただきたいと考えている。しかしそのためにはアプリケーションが必要だ。まずはアプリケーションを作れる人たちと一緒に議論していきたい。またCMOSアニーリングはアプリケーションを作っている人のマインドセットを変えてしまうパワーを秘めていると思う。私たちが思いつかなかったような提案を期待したい、という気持ちもある。

マシン自体の次のステップは、大規模化がどこまで可能かを見極めることにある。ハードウエアとして作れることはわかったが、大規模化を進めても性能的に十分なものを実現できるのかどうか、を実際に確かめたい。そのために足りない技術などを補っていかなければならない。また、性能のベンチマークがまだできていないので、アニーリング技術の開発者同士で一緒に決めていこうという話も始まりつつある。どのような性能になればどのような問題がどのくらいで解けるのか、をぜひみんなで明らかにしていきたい。きちんと定義できれば開発は加速するだろう。

山岡 雅直

山岡 雅直 Yamaoka Masanao
日立製作所 エレクトロニクスイノベーションセンタ 情報エレクトロニクス研究部 主任研究員。博士(情報学)、IEEE会員

研究者としてインパクトを受けた書籍もそれなりにあるが、それ以上に大学時代に見た「スタートレック」というテレビドラマにはかなり影響を受けた。1960年代の最初のドラマではなく1987年に始まった、深夜に放送されていた続編のシリーズである。ドラマが科学的にしっかり作りこまれておりエンジニアがきちんとした仕事をしていた姿がカッコ良かった。こんなエンジニアになりたいと思った。スタートレックは全巻DVDを持っている。父親がエンジニアだったので、私も大学で理系を専攻した。オシロスコープが欲しいと言えば、父はどこからか古いオシロスコープを買ってきてくれた。スタートレックと父親の姿がエンジニアの道へ進ませたのだろう。

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