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エリートと教養 9 現代日本語考 4 日本語を書く

エリートと教養 9 現代日本語考 4 日本語を書く

2020.10.06

Updated by Yoichiro Murakami on October 6, 2020, 12:29 pm JST

外国人が日本語を学ぼうとしてぶつかる困難の一つは、書字体系が、漢字・ひらがな・かたかなの三種類からなっていることだといいます。無論外国語でも、複数の書字体系があるのは、別段珍しいことではありません。例を英語にとれば、大文字と小文字があり、さらに活字体と筆記体の区別もあります。ギリシャ語にもラテン語にも、大文字と小文字がありますし、古代当初には、大文字だけで、小文字は後から生まれたといわれます。

エリートと教養 9 現代日本語考 4 日本語を書く

大体、紀元一世紀頃にラテン語の書体として生まれた大文字の書字系(capitalis monumentalis)が、現在のローマ字の原型なのだそうです。その後、聖書を筆写する場合に書く文字として、新しい字体が考案されたり、大文字をすべて同じ高さにせず、一部の画が標準の高さから上に、あるいは下に少しはみ出る書体が生まれたりしたようです。それが小文字が生まれる出発点だったといいます。その上、ヨーロッパ語では、ローマ字を継承した地域ばかりではなく、キリル文字系(キリル文字の方が、むしろギリシャ文字に近いのですが)の地域も含めて、ギリシャ語由来の言葉が多く、私たちが言葉の由来をほとんど常に漢語に訪ねるように、ギリシャ語に遡らなければならないことがしばしばでもあります。

ところで、日本語の漢字と仮名との関係ですが、考えてみると、ヨーロッパの言葉における大文字と小文字との関係に多少似ています。小文字は、大文字を少し変形したものです。一方、平仮名は、漢字を少し変形したものです。この点を弁えて平仮名を書く(例えば習字の際)とそれらしくなることを、私は小学校に入る前に母から学びました。母は筆、ペン、鉛筆、どの道具をとっても、大変上手な人でした。因みに、その方法をとると、仮名を覚えるのと並行して、同じ数の漢字も学んでしまうという利点もあります。

漢字を覚えるのは大変だ、というのも分かります。常用漢字だけでも二千を越える上に、音読みと訓読みとがあります。もっとも、例えば英語でも、綴り字を覚える必要があるという点では、違いはありません。漢字は、扁、旁、冠、脚などの構成要素に、それなりに意味があり、そこから字の読みや意味が推測できる事例が多いのですが、英語の場合でも、綴りの「部品」(接頭語、接尾辞などなど)には、(古典語などに由来することが多いのですが)それぞれ意味があって、それが単語全体の意味にも響きますから、覚えるときの苦労や工夫は、さして違うとは思えません。

平仮名と漢字の関係に戻ると、書く場合に大切ことがあります。平仮名にも、幾つかの文字に共通するかのように見える「部品」があります。例えば「に」の第二画、第三画と、「た」の第三画・第四画、あるいは「こ」それ自体がそうです。何も考えなければ、この三つの字のこの部分は、全く同じように書けば済むということになります。しかし、この三つの字の成り立ちに遡ったとき、この字画は三つの字で全く違います。「こ」は漢字「己」の変形ですし、「に」の基になる漢字は「仁」であり、「た」のそれは「太」です。漢字としての「己」、あるいは「仁」の第三画、第四画と、「太」の第三画、第四画とは、比べてみれば差は歴然としています。平仮名になったときにも、その差は消えているわけではありません。活字はともかく、鉛筆にせよ、筆やペンにせよ、手で書いたときには、あるべき場所、それぞれの画の大きさ、位置構成、すべてが基になった漢字の面影を残したものになるべきなのです。

もっとも、ここに例として挙げたものは、仮名が漢字の原型を鮮明に伝えてくれるものです。こうした実例を挙げれば、「す」と「寸」、「か」と「加」、「の」と「乃」、「わ」と「和」、「は」と「波」、「な」と「奈」など、多数に上ります。無論、音からも直ぐにわかります。しかし、「を」の基になる漢字は何でしょうか。直ぐには想像がつき難いものの一つでしょう。実は「遠」がそれです。「遠」は、普通は「えん」(より正確には「ゑん」ですが)と読みますが、呉音(古い音読みの一種)では「をん」です、遠賀川の「をんががわ」、「久遠」を「くをん」と読むのを思い出しましょう。

簡略化が激しく、漢字との距離が遠くなったものでは「ね」と「禰」、「き」と「幾」、「る」と「留」、「へ」の「部」などあります。最後の「へ」は「部」の旁である「邑」(おおざと)が変わったものです。因みに、片仮名は、平仮名をさらに簡略化、変形させたものが多いのですが、全く異なる漢字を基にしたものもあります。先に挙げた「ヲ」がそうです。この字は「遠」とは関係がなく、「乎」の変形とされています。

ところで、こうした平仮名は、明治三十三年の小学校令の一部で定められたものに過ぎません。平仮名とは漢字から変形して造られるもの、というルールに立てば、ここで定められたもの以外にも、歴史的に見れば、数多く造られて平仮名が使われて来ました。現在私たちは、それらを「変体仮名」とよぶ習慣が出来ていますが、かつては別段「変体」などとは考えず、用途や気分によって、いくらでも使い分けてきたと思います。

例えば「す」の音を表現する漢字ですが、「壽」でも「須」でも良いでしょう。実際、過去の手書きの文書では「す」のかわりに、「壽」や「須」を崩した「平仮名」が使われている実例が多数存在します。私もペン書きの書簡などで、文章の終わりに「ス」が来る場合、「す」よりも落ち着く「須」の仮名を使うことがあります。「か」には「可」の変形である仮名、「た」には「多」から生まれた仮名などが好んで使われてきました。

明治期、大正期、昭和期に書かれた私信や書簡などでは、こうした例を多数探し当てることができます。男性と女性で、自ずから使われる仮名に偏りもあったように思われます。明治生まれの母は、私信ではしばしば変体仮名を用いていました。そういえば、今でも「寿司屋」や「蕎麦屋」の看板には、この漢字を仮名化した変体仮名が使われていることがありますね。「そば」が変体で書かれていると読み難いものですが、「そ」に当る元漢字は「楚」、「ば」に当るそれは「者」の変形だと思います。

こうして、漢字と仮名との関りが多少とも判ってくると、習字でも、平仮名を書く時の運筆、筆勢、字の大小、などに、自ずから「正当さ」という感覚を自得することができます。字は、単なる記号ではなく、歴史を背負って存在している文化遺産の一つです。そんなことをいう私自身、巻紙を左手に、右手の筆でさらさらと書簡を書く、などという芸とは、全く無縁の存在になってしまって、慚愧の念に堪えないのですが。昔の人が書いた書簡などで、墨をつけた直後のたっぷりした筆の運びが、少しづつ墨が減っていって、カスレが生じる、また墨をつける、といった繰り返しが見て取れることにも、風情を感じることはできます。

もっとも、習字で大切にされるのは、一つひとつの文字を正しく美しく書くこともさることながら、字配りと呼ばれる場面にあります。もちろん、字配りという概念は、一つの文字の扁や旁、冠や脚の構成要素間の秩序にも使える言葉でしょうが、例えば和歌を一首扇子に書くとして、どこから初めて、どの字を大きく、どの字とどの字とは連ねるように、などなど、字たちの配列に様々な工夫を凝らすことに使われるのも、字配りの一種です。

ヨーロッパ語にも「習字」に相当する営みはあります。英語式に書けば<calligraphy>とするのが普通です。<cali>はギリシャ語の<kheir>に由来するもののようで、その意味は「手」です。<chirurgia>といえば「外科学」のラテン語で、つい先ごろまで、ヨーロッパでは外科にはこの語が使われていました。直訳すれば「手技」ということになりましょうか。今では「外科」は<surgery>の方が一般的になりました。ペルシャ文字その他、様々な言語で、同じような技が開発されてきました。

さて、手書きの文章を如何に美しく書き上げるか、という点に関心を絞った手技がカリグラフィなのですが、ローマ字系でも、昔は、別段カリグラフィという意味ではなく、一般に鵞ペンなど、鳥の羽の軸部分を斜めに切って使うのが普通でしたので、それなりの書き味が生まれたのでしょう。今では、独特のペン先が開発されています。それ専用のペンケースが、日本でも簡単に手に入ります。幾つか異なったペン先と、色の違ったインクがセットになったものです。単に字を正確に書くだけでなく、例えばヨーロッパの古い書物などによく見られますが、章の最初の文字は、一字を二行分ほど大きくして、そこに多色の模様や装飾を施す、というような習慣も含めた技のようです。

ポイントの一つは、画の太さの違いを鮮明にするところにあります。毛筆だと、それが十分なグラデーションを伴って実現できるのですが、洋ペンだと、むしろディジタル的になります。上から引き下ろす画は太く、上へ向かってはねる画や丸味のある画は、太い線と細い線のある程度のグラデーション、そして横の画は細い線で、といった具合です。私は、楽譜用と称する日本製の万年筆で、手書きの欧文には僅かながらでも、その種の雅味を加えようと努力していますが。

そういえば楽譜の記号も、書くときには同じような工夫が必要です。最もポピュラーな音部記号ですが、今はG記号、F記号、それにC記号の三種類が専ら使われます。G記号は、普通高音部記号とも呼ばれ、例のカタツムリを縦に伸ばしたような形をしているものです。五線譜の下から二番目の線上から出発して、時計回りに一回ぐるっと巻き上がって、上でループを造って、そのまま直降する記号です。下から二番目の線、つまり出発点を<G>音とする、というので、G記号(G-clef=英語)とよびます。昔は、色々な形があったようですが、書き出しの出発点がGを指す、という点は変わりませんでした。

F記号(F-clef)は、日本では低音部記号とも呼ばれます。書くときの出発点は、五線譜の上から二番目の線にあります。それを<F>音としなさい、という意味です。C記号(C-clef)というのは、大きなBの字のような記号です。その右側の二つの弓型の弧の結んだ部分を<C>音と定めます、という意味の記号で、この記号は、臨機応変、どの場所にも置けることになっています。因みに、チェロの楽譜は、この三種類の記号をすべて使います。

何故こんなことを書くかというと、こうした記号にも、太さと細さのグラデーションが重要で、ちょうどカリグラフィで文字を書くのと同じ工夫が必要になるからです。その他、単独の四分音符や八分音符に付く「ひげ」、シャープやフラットの記号、あるいは四分休符、複数の音符を繋ぐバー(横線)などを書くにも、カリグラフィ的な技が求められます。楽譜用のペンがカリグラフィにも応用できる所以であります。

エリートと教養 9 現代日本語考 4 日本語を書く

話が、日本語を書く、という本来の話題からすっかり離れました。今、小学校などでは、ある程度きちんと習字を学ぶ時間があるはずですが、TVのドラマなどで、役者さんが筆を持つと、鉛筆のような持ち方で、筆を使う場面に良く出くわします。「おい、おい」と言いたくなりますが、そんな苦言を呈する私だって、実際に毛筆を手に取る機会は、今は絶無といって良いのですから、他人のことはいえません。

ただ、漢字仮名交じり文という日本語の書字体系の独特さを大切にしたい、という思いだけは強くあります。隣国の朝鮮半島では、言語自体が漢字を基にしたものであることに変わりはないのに、書字体系としての漢字は全廃されています。勿論ハングルにはハングルの合理性があって、その構成原理は、日本の平仮名、片仮名よりは、遥かにきちんとしたルールに基づいていますし、他国のことに嘴を入れるのは失礼ですが、韓国では漢字を復活させようとする動きも、社会には常に潜在すると聞いています。

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村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。