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『君たちはどう生きるか』が大間違いである理由

2023.08.21

Updated by on August 21, 2023, 06:08 am JST

「君たちはどう生きるか」は本当にコペルニクスに肖っているのか

物語は真実として語られる。「これは作り話だけど」と語り始めたら、誰も聞く耳を持たないだろう。「本当の話」であることを前提にして聞くものだ。すぐに思い当たるのが、西暦2世紀に書かれたルキアノスの『本当の話』Vera Historia。世界初のSFとも言われるこの作品の表題が真実であることを訴えている。

もちろん聞き応えのある面白い話ならば、その真実性は棚上げしても愉しむことに問題はない。だが調べれば分かるような重要な事実が隠されていたり、生きるうえでの大切な知恵が語られていなかったりすれば、決して看過することはできない。今なお生き続けるコペルニクス神話のことを考えてみたい。

吉野源三郎が戦時中に書いた教養小説「君たちはどう生きるか」は、『日本少国民文庫』の最終刊として1937年に刊行された。主人公本田潤一君が、人間社会の成り立ちや人の生き方について、叔父さんから色々と教えられながら成長してゆく物語で、近年マンガ版で復活し、一時期ブームになり、2017年には宮崎駿が同名タイトルの映画の制作を発表している。

この物語では、叔父さんは潤一君をコペルニクスに肖ってコペル君と呼ぶ。だが肖って欲しいそのコペルニクスの理解がどうも事実と違うように思う。科学史が研究分野として成熟する前の時代で、読むことのできる参考文献がきわめて少なかったこともあるだろうが、それだけではない。

以下に示す叔父さんの語るコペルニクスは、こうあって欲しいという筋書きをなぞっているように思える。現在なおも多くの人に共有されている、このコペルニクス神話の一つひとつを、専門書を繙かなくとも一般の読書からでも分かることを念頭に検討していこう。

「地動説」は通俗コード。学術コードでは「太陽中心説」となり、地球が動いていることは強調されない

君はコペルニクスの地動説を知ってるね。コペルニクスがそれを唱えるまで、昔の人はみんな、太陽や星が地球のまわりをまわっていると、目で見たままに信じていた。これは、一つは、キリスト教の教会の教えで、地球が宇宙の中心だと信じていたせいもある。しかし、もう一歩突きいって考えると、人間というものが、いつでも自分を中心として、ものを見たり考えたりするという性質をもっているためなんだ。(吉野源三郎、29頁)

地動説という訳語は江戸時代中期の蘭学者でニュートンの紹介者、志筑忠雄によるもので結構古くからある。元の言葉は「太陽中心説」、英語では「heliocentric theory」が対応する。西欧の文献では文字通りの意味で、地球が動いている、と殊更に強調する学説はない。地球が動くことを一部に含む学説があるに過ぎない。

earth movingという表現はあるが、それは別の意味「土の運搬」だ。地動説という表現は誤解を招きやすい。地球と夜空の星とどちらが動いているか、という問題が、暗に天文学の重大な問題であったかのように錯覚させる。コペル君の時代にも「地動説」と言い表され、悩ましいことに今でも使われる。

知識の受容の方式を、学者が相互に理解し合う学術コード「scholarly code」と、大衆が知識を読み取るときの通俗コード「popular code」と二つに分けるとすると、太陽中心説は学術コード、地動説は通俗コードの表現に該当する。古式ゆかしい天動説は「geocentric theory地球中心説」が本来の表現。

どちらも実際に太陽と地球のどちらが動いているのか(あるいは両方が動いているか)は、後のガリレオを除けば当事者たちのあいだでは、さしたる問題にはされていないし、学術コードにおいては、空間内の力学、とくに慣性の理論を確立しなければ、問うても意味のない問題だった。座標系の取り方の違いにすぎないことは、それぞれの著者本人の言葉から分かる。天動説のプトレマイオスは、

地球を中心にするか、太陽を中心にするかは、あくまでも数学計算上の問題にすぎず、実際に世界がどうなっているかには、関係がない。

とはっきりと書いているし、その約千四百年後のコペルニクスは、

過去および未来にわたって(天球の)運動が幾何学の諸原理から正確に計算されるような前提ならどんなものでも、考案し構築することが求められている。なぜなら、その仮説が真である必要はなく、また本当らしいということさえ関係なく、むしろ観測に合う計算をもたらすかどうかという事で十分だからである。

と語っている。観測に合う計算かどうか、という問題は学術コードの問題だ。これは素人には判断がつかない領域に属する。

序文を読む限りにおいて、二人ともこの世界がどうなっているか、どこが中心か、は天文計算、そして惑星の動きの予測のための仮説にすぎない。コペルニクスが重視したのは、理論が観測データに合致するかという点であった。ただ、地平線からの俯角を太陽中心の角座標に換算するには、幾何学あるいは三角関数による厄介な計算が必要となる。地球中心の方が、正直言って計算はし易い。

※本稿は、モダンタイムズに掲載された記事の抜粋です(この記事の全文を読む)。
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