original image: Grigoreva Alina / stock.adobe.com
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今年のはじめにこの連載で、今こそインターネットは変化の機が熟しており、ヒューマンスケールのインターネットが再興すべきときだと訴える文章を書きました。たまたま、その続きといえる文章を最近いくつか読んだので、今回はまずはそれを紹介したいと思います。
Web3の代表的な批判者として知られるソフトウエア・エンジニアのモリー・ホワイトは、「我々は違ったウェブを手にできる」で、ウェブの「古き良き時代」に憧れる人は多いが、我々はそれを取り戻せるし、それどころかウェブをもっと素晴らしいものにできると説きます。
ホワイト自身も、ウェブをずっと愛してきた者として、現状は少し絶望的な気分にならずにはいられないと認めます。
検索エンジンが表示する検索結果はゴミだらけだし、現在多くの人にとっての「ウェブ」であるSNSも囲い込まれ、表示されるコンテンツはアルゴリズムに支配され、参加型のダイナミックなジャーナリズムの実現が期待されたのも過去の話で、ニュース記事はペイウォールか退屈な釣り記事やAI生成コンテンツに分断されてしまっています。こんな衰退の中で、古き良き時代に憧れを抱きたくなるのも無理はないというわけです。
でも、その「古き良き時代」というのは、結局、若い頃へのノスタルジーではないかとホワイトは注意を促します。彼女が行った調査の結果に従えば、多くの人は、自分がティーンエイジャーだった時分、つまりはネットが仕事や請求書の支払いと関係なかった頃を「古き良き時代」と考えるようです。
しかし、昔のほうが良かったと思いたくなるのも一概に否定はできません。荒らしもボットも少なく、Googleの検索結果から探しているページに直行でき、視聴者を収益化しようとするインフルエンサーはおらず、オンラインで会話する女の子が、実は女の子のふりをする男性なのを心配することはあっても、それが暗号通貨目当てのロマンス詐欺師だったり、国家が裏で糸を引く偽情報ネットワークの一部なのを心配する必要はなく、広告が今ほどウザく侵入的でなかった頃のウェブを。
とはいえ、その「古き良き」と振り返るものは、どれもなくなったわけではないとホワイトは断じます。我々がそれに立ち戻るのを妨げるものは何もないし、かつてのウェブで我々が愛したものを復元しつつ、それ以降に登場した素晴らしいものを取り入れ、ウェブをより良いものに前進させることもできるとホワイトは力説します。
プラットフォーマーに取り囲まれた壁の外側には無限に広がる可能性がまだ存在しており、ウェブに限界はない。我々は狭く混雑した騒々しい空間に閉じ込められていると感じるかもしれないが、それは壁の向こうが見えないからに他ならない。もし望めば、我々は壁を抜け出し、その先の肥沃な大地に自分たちのスペースを切り開ける。企業が設置した料金所や壁に対抗できるプロトコルを開発して新たな庭園を強靭なものにし、新しいアイデアとエネルギーを持った新しい人々を取り込み、かつてのウェブを活性化させ、以前よりもより良くできる、というわけです。
偶然にも彼女の文章と同じ日(2024年5月1日)に、カイル・チャイカがNew Yorkerに寄稿した「ホームページの逆襲」が公開されています。
ほ、ホームページの逆襲!? とタイトルに少したじろぎますが、ここでの「ホームページ」は、企業ウェブサイトのトップページを指していると思ってください。
ホワイトの文章は主に個人ユーザーを対象にしたアジテーションですが、カイル・チャイカがまず取り上げるのは、技術系ニュースサイトのThe Vergeのニレイ・パテル編集長の挑戦です。
ニレイ・パテルが近頃、theverge.comを「地球上最後のウェブサイト」と表現している話からチャイカの文章は始まります。もちろん現実には、ウェブサイトはまだ山ほどあるわけですが、パテルは冗談を言ってるつもりはないようです。
この10年ほど、パブリッシャーのホームページが注目されることはなく、ニュースサイトはトラフィックの流入をソーシャルメディアに依存していました。The Verge(のパテル編集長)はその潮流に逆らい、ホームページに多額の投資をし、2022年にはウェブサイト自体をダイナミックな目的地とすることを目指した大規模な再設計を行い、The Vergeのサイト自体をリアルタイムなSNSフィードに近付けます。
パテルによると、「そんなの失敗するに決まってる。誰もホームページなんか見ないよ」というのが代表的な反応だったようです。コンテンツはソーシャル・プラットフォームのアルゴリズムによってパーソナライズされたレコメンデーションを通じて消費者に配信されるのがベスト、というのが2020年代の常識でした。これは日本におけるYahoo!ニュースにも当てはまりますが、ニュース記事は元の発行元から切り離されてしまい、ニュースサイトのホームページの重要性は低下し、ブランドの広告塔の役割がせいぜいでした。
しかし、Twitterがイーロン・マスクの指揮の元で順調に瓦解し、Facebookがニュース記事の配信に背を向け、ニュースサイトが依存していたデジタル配信のインフラが崩壊してしまうと、The Vergeの再設計が功を奏し、忠実なユーザーが昨年47%増加したといいます。それが知られると、パテルの挑戦は一転してメディア企業の関係者の間で賞賛の的になります。
これはモリー・ホワイトが書くところの、古き良き時代の後に登場した素晴らしいもの(この場合は、ダイナミックなリアルタイム性)を取り入れ、ウェブをより良いものに前進させる試みを企業ウェブサイトで実践した例と見ることができるかもしれません。
かくしてThe Vergeの再設計は成功し、パテル編集長は尊敬の対象となってめでたしめでたし……で話は終わりません。パテルは、もっと根本的な恐れを抱き続けています。
先週、WIRED.jpで公開された「検索結果を要約する「AI Overviews」が、記事の内容を“盗用”していた」から引用します。
テック系ニュースサイト「The Verge」の共同創業者で編集長のニレイ・パテルは、しばしば「Google Zero」という概念について口にしている。これはある朝、メディアなどの情報提供元の人々が目を覚ますと、ウェブの世界で最大の参照元からのわずかなトラフィックがついに途絶えていた──という日のことだ。
インターネット検索という行為に支配的な力を及ぼすことで、Googleは唯一無二の地位を築いた。その地位を利用して自社のサービスが機能する方法を変えることで、トラフィックを途絶えさせたり、場合によっては情報を公表する行為を完全に途絶えさせることができるのだ。
いくら企業サイトのホームページを再設計しようが、検索サイト、つまりはGoogleからのトラフィックの流入が重要なのは変わりありません。上記の通り、ソーシャル・プラットフォームによるデジタル配信の方程式が崩壊した後はなおさらです。
近年、検索サイトとしてのGoogleの質低下は定番の話題であり続けています。Googleはある時点でenshittification(メタクソ化)に舵を切り、スパマーに屈しただけでなく、もはや検索品質を改善させる動機もないようにすら見えます。
パテルが言う「Google Zero」は、決して大げさな話ではありません。先月も、空気清浄機のレビューに特化したHouseFreshという小規模なサイトが、Google検索のアルゴリズム変更でトラフィックの90%超を失ったことによる窮状を訴える文章が話題になりました。
そのトラフィック減がレビューの品質を純粋に反映したものであれば、それも仕方ないかもしれません。しかし、HouseFreshは数か月前にも、Google検索で上位に出る有名雑誌のレビュー記事は信頼性が低いことを訴えており、HouseFreshのような(巨大出版コングロマリットの傘下にない)独立系ウェブサイトを窮地に追いやるアルゴリズム変更には納得できないでしょう。
そして、先月のGoogle I/Oで発表された、AIが検索結果の概要を自動生成(して、検索結果ページの最上部に表示)する「AI Overviews」は、前年に導入されたSGE(Search Generative Experience)を正式公開するもので、GoogleのAIへの取り組みの本気度を示すものと言えます。一方でこれが、パテルが言う「Google Zero」を更に強力に後押しするものであることも容易に想像できます。
「AI Overviews」については、内容に誤情報が含まれるのが早速話題となりました。それ自体は早急に対応され、大きな問題にはつながらないとワタシは見ます。しかし、人間的な好き嫌いは別としてその仕事にはワタシも敬意を払っている八田真行氏が書くように、そもそもウェブ検索と生成AIの相性は良くないのではという疑問は残ります。
むしろ検索結果をクリックさせたくないように見えるGoogleの取り組みは、広告とゴミだらけになってしまった検索結果の惨状を一足飛びに解決したいという願望のあらわれではないか、というのは穿ちすぎかもしれませんが、Google I/Oを取材したCNETのイマド・カーンが、「AIの進歩を誇るグーグル、追い詰められるクリエイターやメディア」の冒頭で以下の苦言を呈しているのも理解できます。
Googleは、検索結果に表示されるコンテンツの提供者がいなければ存在していなかっただろう。しかし「Google I/O 2024」での様子を見ていると、同社は、ユーザーが毎日のようにGoogleを利用する基盤となっているオンライン・エコシステムがどのように成立しているのかを忘れているかのようだ。
先月、パテルはGoogleのサンダー・ピチャイCEOにAIを活用した検索とウェブの未来についてインタビューし、「AI Overviews」が実現するかもしれない「Google Zero」についても質問をぶつけています。パテルは、ここ数年、何度もピチャイを話をする機会があったが、このインタビューはその中でももっとも熱が入ったものだったと書きます。
質問を受けてピチャイは、2010年のWIREDの「ウェブは死んだ」という有名な特集を引き合いに出します。その背景にあったウェブのデスクトップからモバイルへの移行が混乱をもたらしたように、AIへのプラットフォームのシフトも破壊的に思えるかもしれないが、人間の好奇心は無限だから、その混乱は一時的なものだろうと楽観的に答えます。
その後、OpenAIが動画生成AIのSoraを訓練するのにYouTubeの動画を使用したというニュースについて、ピチャイがそれをYouTubeの規約違反と見ていることを引き出した後、しかし、大抵のウェブユーザーは大企業と契約は結べないし、ライセンスの専門家チームもいない。クリエイティブ・コミュニティからのAIに対する反発は、OpenAIがYouTubeの動画をAIの訓練に使ったと言われたとき時の感情を思い出せば、あなたにも分かるのではないか? 我々がインターネットに作品を公開すると、大企業がやってきて、それをタダでかっさらい、月に20ドルを取る製品を作ることで、我々に価値がほとんど還元されることなく「収奪」された気持ちになるのではないか? とパテルは質問を突きつけます。
相手が(YouTubeのAIに怒った)ユニバーサルミュージックのような大企業なら、YouTubeはしかるべき対応をするのに、人々が「AI Overviews」に怒っても、Googleは同じようには対応をしないと言われたピチャイは、それは現実に即していないと反発します。
続けてパテルは、インターネットのコンテンツは、ますますAIによって合成されたものになりつつあるが、その中からどうやってもっとも優れたコンテンツをランク付けできるのか? ある時点で多くの人は「AIが作ったものじゃなくて、人間が作ったものを欲しい」となるのではないか? と問います。
それに対してピチャイは、AIを使って何の付加価値もないコンテンツを大量生産するのがユーザーが求めているものではないという点には同意します。その上でピチャイは、ユーザーは時間をかけて適用していくし、我々はユーザーの声に耳を傾けながら責任ある形で検索の品質を満たしていくし、それこそGoogleの仕事を規定するものであり、他社より優れているところだと自信を見せます。
ピチャイの回答は、ユーザーの適合に時間がかかることを強調しつつも飽くまで優等生的で、パテルの執拗な「AI Overviews」についての追求にも穏当な答えに終始していますし、「何度も遠回しにOpenAIのこと言ってますよね?」みたいな軽い挑発にも乗りません。
ただ、最後近くの質問に対する答えには、よく読めば全然大したことも意味あることも言っていない気がしつつも、OpenAIやGoogleの元/現従業員がAIのリスクについて、人類滅亡の可能性まで引き合いにして共同声明を出しているのに実に呑気だと思ったりもしますが、「インターネットが好き」という合言葉のような共通価値観を未だ持つ人間として、ウェブが豊かであり続けること、今より豊かになることを祈りたくなる気持ちになるというのが正直なところだったりします。
これから5年のうちに、このテクノロジー、パラダイムシフトを我々は一通り経験しているでしょう。5年後、あなたにとって最高のウェブとはどんなものになるでしょうか?
モダリティの面でずっと豊かになっていることを願います。今のところ、人間の情報消費のあり方は、まだウェブに完全には包含されていないように感じるんです。今でも、いろいろな形で存在します――ウェブページもあれば、YouTubeもあるというように。でも、時とともにウェブがもっとマルチモーダルに、もっと豊かに、もっとインタラクティブになってほしいですね。そうなれば、今よりずっとステートフルになる。
人々がAIを使って大量のスパムをつくり出す可能性は十分に認めつつも、テクノロジーの新しい波が来るたびに、人々はその使い方をよく理解していないと感じるんです。モバイルが台頭したとき、誰もがウェブページをモバイルアプリに押し込んだものです。それから時間が経ってから、人々は真にネイティブなモバイルアプリを作るようになりました。
人々がAIを使って新しいこと、新しいユースケースなどを実際に解決するのは、まだこれからです。そうなれば、ウェブはもっともっと豊かになると思うんです。つまり、ユーザーの状況に応じたUIをダイナミックに作れるようになる。人によってニーズは違いますが、今のところそうしたUIを作るまでに至っていません。AIが時間をかけて、それを行う手助けをしてくれます。やり方がマズかったり、間違っていたり、浅はかな使い方をするかもしれませんが、それをとてつもなくうまくやる方法を見つけ出す起業家が現れ、そこから素晴らしい新たなものが生まれるでしょう。
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登録はこちら雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。