CEOは最高権力者ではない。ついでに言うとCTOは本当に必要か?
2024.12.26
Updated by Ryo Shimizu on December 26, 2024, 12:38 pm JST
2024.12.26
Updated by Ryo Shimizu on December 26, 2024, 12:38 pm JST
スタートアップに付き物なのは、CEO、CFO、CTOといった仰々しい肩書きだ。
元々この肩書をみんなが真似するようになったのは、1998年にスティーブ・ジョブズがAppleに復帰した時、暫定CEO(iCEO)と名乗った時からではないかと思う。
Chief Executive Officerという仰々しい肩書きは、しばしば会社の最高権力者と間違われることがある。だが、実際にはCEOの訳語は最高経営責任者であり、権力者とイコールではない。この辺りを結構日本人は勘違いしている。
筆者は欧米のスタートアップにも所属していたが、社長(President)とは別にCEOがいたり、CFOはパートタイムだったりする。Presidentとは別に会長(Chairman)がいたり、それとは関係なしに共同創業者(Co-Founder)がいたりする。この中で誰が一番権力を持っているかと言えば、株主だ。
普通、共同創業者は株を大量に持っている。だから実質的に最高権力者は共同創業者である。
欧米ではCEOは外部から雇うことが少なくない。経営責任を負えるほどの経験がある人は稀だからだ。
これが叩き上げの人が社長になってしまう日本の会社との大きな違いだ。
Googleのエリック・シュミットも雇われCEOだったし、今のスンダー・ピチャイもそうだ。実際の権力者は共同創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンであることは言うまでもない。
スタートアップで初期に共同創業者がCEOを兼務するのは、単に人が足りないからだ。また、優秀なCEOを雇う資金もコネもないからだ。
優秀なCEOにはそれなりの報酬を払う必要がある。
CEOの責任は有限責任である。つまり、CEOは会社が傾いても解雇されるだけでそれ以上の責任は負わない。道義的責任はあるかもしれないが、それがアメリカ社会のルールである。
CFO、つまりChief Financial Officerは、ほとんどのスタートアップに存在する。その存在目的は、株式上場だ。株式上場しない限り、わざわざCFOを設置する必要はない。
銀行とのやりとりや投資家とのやりとりは社長や共同創業者でも兼務できるが、株式市場とのやりとりはCFOのような専門の担当者が必要だ。
最近、定期的に毎月開催している「AI時代の経営塾」の今月のテーマは、人事だった。
人事のための制度づくり、階級制度と評価制度、そして報酬制度の設計の仕方のレクチャーを専門家から受け、次にどう言うタイプの人間を雇うべきか、mixiやSmartNewsで役員経験のある川崎裕一と、CFO経験の豊富な会計士の小栗幹生、そして技術者の観点から筆者がそれぞれのポジションの人をどう見極めるかと言う議論を行った。
この時、よく聞かれる質問に「CTOはどうやって選ぶべきか」と言うものを取り上げた。
結論から言えば、CTOは選ぶ必要はない。
それどころかCTOはスタートアップにとって重大なリスクとなり得る。
筆者もかつてはCTOを選任したことがあった、この人物はCTOとして相応しい能力を持っている人物だったが、本当はそういうことは稀だ。
例えばAppleのCTOは誰か、すぐ答えられる人はいるだろうか。
実は今のAppleにはCTOは設置されていない。
なぜか。
CTOを設けないことが合理的だからだ。
日本では、CTOを「最高技術責任者」だと翻訳している。この訳は半分正解で半分間違っている。
実際には、CTOは、技術の最高責任者ではない。技術人事の最高責任者なのだ。
まず、日本のスタートアップで、良いCTOを採用することはほとんど不可能に近い(筆者はかつて不可能を可能にしたが、やがてそのCTOは独立して社長になった)。
まず第一に、経営者がCTOとなるべき人物の良し悪しを見極めることかできないからだ。
筆者の場合、筆者自身がプログラマーであるため、適切な人物をCTOとして採用することができた。しかし、それくらい見極めるためには自分自身がきちんとしたプログラマーになる必要がある。これは恐ろしく難しい。
プログラマーの能力はプログラマー以外の人間が測ることはできない。
プログラマーで理解できなければ、アニメーターとかピアニストとかに置き換えてもいい。
プログラミングは一種の芸術であり、芸術家を評価できるのはともに汗をかいた芸術家だけである。
さて、スタートアップがCTOを設置することの不利は、人材不足と経営者のプログラミング能力の欠如にある。それだけでも十分すぎるが、それ以上に悪影響がある。CTOを「この人」と決めてしまうと、その人の能力を超えた人材を採用することが難しくなるためだ。
日本では(なぜか)CTOが技術の最高責任者であると同時に、「最高の技術者」だと誤解されている。Chefを「最高責任者」と訳してしまったために生まれる誤謬だ。
「最高技術責任者」から「責任」を抜くと「最高技術者」になる。この事実が欧米では考えられない誤解を生む。
欧米では最高レベルの技術者を「アーキテクト」と呼ぶ。または「チーフアーキテクト」である。
チーフアーキテクトは何人いてもいいが、CTOは一人しか就任できない。
若い技術者が誤解して「出世したらCTOになる」と思ってる人が多いのだが、CTOは経営者であって技術者ではない。
しかしこの誤解のせいでCTOが技術に疎いと「あの会社の技術はたかが知れてる」と周囲から軽く扱われたり、そのことに現場のエンジニアが傷ついたりする。
例えばある会社のCTOが、なんかの勉強会に行って「こんなすごいことをしました」と自慢する。
しかしその自慢が、ベテランからしたら全くすごくないごく初歩的なことだったらどうするか?
実際に有名企業のCTOが堂々と胸を張ってトンデモ発言をした例は掃いて捨てるほどある。流石に可哀想だから実名は出さない。
そうすると、静かにまともなエンジニアはその会社を離れていく。求人票に見向きもしなくなる。あえて「あそこのCTOの発言、初心者すぎないか」とか言わない。大人だから。ただサーっといなくなる。いいエンジニアが取れてない会社は間違いなくCTO選びに失敗している。
次の問題は、技術の賞味期限の問題だ。
ある時点までは名実ともに最高技術責任者であり、最高技術者だった人物が、ある瞬間から時代遅れの役立たずになるリスクがある。
これは不幸にも、会社が長く続けば続くほどそのリスクが高まる。
技術は時代とともに変化するが、それ以上にIT業界は新技術の登場が目まぐるしい。去年まで最先端だったフレームワークが今年は時代遅れになっている。
技術者というのは、誰もが得意分野を持っていて、特定の技術に特化している。コンピュータに関わること全てを扱える人を俗に「フルスタックエンジニア」と呼んだりするが、「フルスタックエンジニア」であっても、得意分野と苦手分野がある。それは人間だから仕方ない。
筆者の場合、たまたま自分の得意分野が3Dプログラミングで、3Dプログラミングでは複素数と行列を大量に扱う。90年代後半のゲーム業界には3Dプログラマーが不足していて、筆者は幸運にも得意分野を活かして仕事を得ることができた、その後、行列が全く出てこない携帯電話業界に飛び込んだ時は、エンジニアとしてではなく企画者として飛び込んだ。3Dプログラミングで学んだ本質的な思考をする能力が、企画者として活用でき、その後、独立したあと再びプログラマーとして会社を立ち上げ、ゲーム開発の時に培ったOS開発のノウハウを活かしてスマートフォンの黎明期にOSレベルの仕事をすることができた。その後、AIがディープラーニングの時代になり、再び行列と格闘する日が戻ってきた。筆者の場合、たまたま自分の得意分野が時代の流れの中でお金を産む場所にあっただけだ。
独立した時、筆者は負荷分散が苦手だった。負荷分散とは、大量のアクセスを捌けるように効率的にハード、ソフトの両方を設計する仕事である。負荷分散が苦手だったので負荷分散が得意な人をCTOにした。当時は負荷分散は独特のノウハウで、そのノウハウを持っている人は、すでに大量のアクセスを捌いた経験がある人が必要だった。彼にはあの時に僕を助けてくれたことを今でも感謝している。
しかし今は、負荷分散は全く技術の中心点ではなくなっている。
今はサーバーレスがあり、負荷分散はクラウドによって全自動で行われる。負荷分散ノウハウは一夜にして「必須の技術」から「あれば嬉しい技術」に格下げされた。
ユーザーインターフェースが重要だった時代もあるし、描画の最適化が重要だった時代もある。いくつかは得意分野で、いくつかは苦手分野だ。
つまり、必要な技術は時代とともに激しく変化するのに、一度CTOを決めてしまったら、なかなか変えることは難しくなる。
以来、筆者は自分の会社にCTOを置いてない。
CTOを設置するのは明らかなリスクなのだ。そして、CTOを設置するくらいなら、CEOがプログラミングを勉強した方がずっといいのである。
エンジニアの能力というのは、エンジニアにしか測ることができない。
知人の投資先が困っているというので話を聞きに行ったら、社長本人はエンジニアを名乗っているのにごく初歩的な専門知識も持っていなくて驚いた。
本人は嘘をついてるつもりはないのだが、明らかに本人の能力を超えた仕事をしようとしていて、お金は全て外注費で溶かしてしまっていた。これ自体も信じ難いのだが、こうなってしまうともう助ける方法はない。この会社は一つもプロダクトを出すことなく消えていった。
ドラえもんで、バッドエンド未来ののび太は就職先がどこにもなく仕方なく自分で会社を立ち上げて社長になるがすぐに会社が倒産するという話があって、藤子不二雄も随分トリッキーな設定を考えるなあ、と子供の頃は思っていたのだが、大人になると会社を立ち上げるのは誰でもできることがわかる。ただ、会社を立ち上げて人を雇って食わせ続けるのは恐ろしく大変だ。多分藤子不二雄の身の回りで同じような話があったんだろう。
「エンジニアを見分ける質問集」というのをいくつか考えてみたが、この質問集がエンジニア求職者にバレると意味がないのでnoteの高額な有料記事にしたことがある。
でも一番確実なのは、筆者に面接を依頼することだ。
そういうサービスがあればぜひ欲しいという話になったので、何かできる方法がないか考えてみたい。
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登録はこちら新潟県長岡市生まれ。1990年代よりプログラマーとしてゲーム業界、モバイル業界などで数社の立ち上げに関わる。現在も現役のプログラマーとして日夜AI開発に情熱を捧げている。