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ポイント・オブ・ノーリターン:プログラミング、AGI、アメリカ

2025.03.26

Updated by yomoyomo on March 26, 2025, 00:00 am JST

オライリー・メディアのコンテンツ戦略担当バイスプレジデントを務めるマイク・ルキダスは、以前よりプログラミングの未来について文章を書いており、ワタシもそれをフォローしてきました。

2019年5月には、プログラミング・ツールに関し、我々は未だ「パンチカード」を使っているようなものだと不満を表明した上で、「配管工」にたとえられる「ブルーカラー」のプログラマーにとってのプログラミングが、もっと視覚的なものになるべきと論じていますが、その背景には人工知能のコード作成機能がそうしたグラフィカル化を実現してくれるのではという期待がありました。

そして、この年の末には、ソフトウエアはニューラルネットワークの重み付けとして記述され、プログラマーの仕事はコードを書くことではなく、データを集めることなどになっていくと予測しています

また2020年の7月には、コーディングの自動化により、プログラマーはもっと本質的な問題、自分たちが本当に取り組むべき問題が何なのか考える機会が与えられると見ています。またその年の9月には、AIによる開発支援が進むことで、人間とAIの間で双方向の対話、AIとのペアプログラミングの可能性を想像しています

こうやって何年も前の文章を取り上げるのは、先月、オライリー・メディアの創業者であるティム・オライリーの「我々の知るプログラミングの終焉」を読み(この文章は日本でも話題になりましたが、万が一知らなかったという方は、Publickeyの解説記事を読むのがよいでしょう)、よりデータ駆動型になり、AIの支援が前提となるプログラミングへの変化、データ分析やモデル管理といったAIを適切に活用するスキルが重要になるプログラマーの役割や必要なスキルセットの変化の話は、ルキダスの予測に沿っているのに思い当たったからです。

ただし、さらに言うと、Clineなどコーディングエージェントが相当なレベルに達した2025年の現実は、ルキダスのかつての想像を凌駕していると思います。これはルキダスを貶しているのではなく、プログラミング分野でのAIの実用性が、この5年間でそれだけ前進したということです。

オライリーが語る(ノーコードツールの普及も併せた)プログラミングの民主化は、バイブコーディングといったコード作成をAIに依存する手法の台頭にも表れています。Y Combinatorがインキュベートしているスタートアップの4分の1は、コードベースの95%をAIが生成している、というギャリー・タンCEOの話にはやはり驚いてしまうわけですが、これは単なる時間短縮や必要な人間の頭数が減る話のレベルに留まらないでしょう。

つまり、これまでCopilot(副操縦士)だったAIがPilotになり、運転席に座っていた人間が助手席に移り、AIの支援にまわるようになる、人間がプログラミングの主人公である時代の終わりを我々は目の当たりにしつつあるのかもしれません。そして、一度役割変更が本格化すれば、それは不可逆でしょう。

オライリーはこの状況をポジティブにとらえており、プログラマーの役割は単なるコーディングから「問題解決」や「創造的思考」へと進化し、AIがプログラミングを自動化することで、人間はより創造的で戦略的なタスクに集中できる可能性を見ています。

またオライリーは、今月になって公開された「Think Different」において、AIが破壊的な存在であることを認めながらも、AIが「知」を遍在化するという見方に異を唱えています。私たちが人間の知性の頂点と見なすのは、大胆に世界を作り変える能力だというのです。

コモディティ化しつつあるのは真の知性ではなく単なる専門知識であり、知性のどの要素が依然としてユニークで価値があるか問う必要があるが、その答えは人間の創造性、価値観、審美眼に根差しており、自らの選択を通じて価値観を表現し、他者と自分を差別化したいという人間の欲求にある、とオライリーは説きます。何が新しいか、予想外かを判断し、人々にとって重要なものを形作る能力こそが、芸術だけでなくビジネスや政治においても創造的知性の核心だというわけです。

ルキダスはかつて、ソフトウエア開発の真の問題点は、コードを書くことではなく、問題の複雑さの管理にあるという話を書いていますが、オライリーの「我々の知るプログラミングの終焉」に先立って書かれた「AIに備える」において、LLMに入力する「コンテキスト」の管理の重要性を強調しており、このあたりが具体的にこれからプログラマーに必要なスキルになると思われます。

ただ気になるのは、この文章でルキダスが論じている、AIがジュニア開発者とシニア開発者の間のギャップを広げる問題です。

AIによって「育成機会」が刈り取られてしまう問題は、プログラミング以外の分野でも以前から言われていますが、現実に「AI導入が成功したので今年はエンジニアを雇わない」と言い出すビッグテックのCEOがおり、またコリイ・ドクトロウが「大いなる力には何の責任も伴わなかった」でも強調する、テック業界における大量解雇と、それにともなうテックワーカーからの力の剥奪を見ると(米国のプログラミングの仕事は、過去2年間で4分の1以上減少しています)、人間の創造性が重要なのは分かるが、人間のプログラマーがそれを発揮する機会はやはり減ってしまうのではないか? という疑問はどうしても頭をもたげます。

一連のオライリーやルキダスの文章は、5月にオライリー・メディアが開催するバーチャルカンファレンス「Coding with AI: The End of Software Development as We Know It」の宣伝の意味合いもあります。これからのAI支援(あるいは人間がAIを支援する)プログラミング、人間のプログラマーのサバイブ法、これから必要となるスキルセットやマインドセットに関して、上記のような疑問にモヤモヤしている方は参加されてはいかがでしょうか。

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ここまではAIによるプログラミングのポイント・オブ・ノーリターンの話でしたが、AI自体のポイント・オブ・ノーリターンといえば、前回の文章でも論じた「AGIというナラティブ」の話は避けられません。

これについて、MIT Technology Reviewで人工知能を担当するジェームズ・オドネルは、「膨らんではしぼむ「AGI」論、いまや夕食時の話題に」において、AGIに対する期待と失望の表明が繰り返される様を風船にたとえています。

今月に入って最初に踏み込んだのは、ニューヨーク・タイムズのエズラ・クラインです。彼のポッドキャスト番組にバイデン政権でAI担当特別顧問を務めたジョンズ・ホプキンズ大学のベン・ブキャナン助教を招いた「政府はAGIが実現すると知っている」は、リード文からして前のめりです。

この数カ月、私は奇妙な体験をしている。人工知能の研究所や政府から人が次々と私のところにやってきては言うのだ。「本当に起こりそうなんだよ。我々はまさにAGIを手に入れようとしている」

人間がコンピューターの背後でできることは基本的に何でも可能で、しかもそれ以上のことができるような転機をもたらす人工知能を生み出す道筋が見えてきた、と彼らは長い間信じてきた。その開発には5年から15年くらいはかかると彼らは考えていた。しかし、今は、ドナルド・トランプの二期目中の2、3年でそれが実現すると見ている。

彼らは、今公開している製品や、彼らの職場の中で目の当たりにしている製品からそう信じているのだ。そして、私は彼らが正しいと思う。

その上でクラインは、AGIが頭脳労働の労働市場に与える影響をもっと真剣に考えるべきと訴えています。

これに対し、人工知能分野での業績で知られる認知科学者のゲイリー・マーカスは、クラインが考えるAGI実現のタイムラインは大間違いであり、AGIが間近に迫っているという仮説はほぼ間違いなく正しくないと反論しています

そこにやはりニューヨーク・タイムズのケヴィン・ルースが、「強力なAIがやってくる。なのに我々はその準備ができていない」とクラインを助太刀する文章を書いています。ルースは、クラインよりさらに前のめりです。

私はその実現はかなり早いと信じている。おそらくは2026年か2027年、早ければ今年にも、一つ以上のAI企業が、大抵「人間が可能なほぼすべての認知的作業をこなせる汎用AIシステム」みたいに定義される汎用人工知能、つまりはAGIを作り上げたと名乗りを上げるだろう。

その上でルースは、AGIが実現する、人間の知的独占が終焉する世界への移行の準備が我々にはまったくできていない、と訴えています。ルースもクライン同様、AIを構築するエンジニア、投資家、研究者などとの対話によりその確信に至ったようです。

ここでワタシが面白いと思ったのは、クラインのポッドキャストを受けて書かれた「シリコンバレー思想における奇跡待望の伝統について」において、クラインの情報源が(ルースも同様ですが)AI業界の「インサイダー」であり、インサイダーは往々にして個人的、職業的動機から抑えの利かない楽観主義に走る傾向があるのを指摘した上で、自分がどうしても懐疑的になるのは、AGI論のお手軽さにある、とデヴィッド・カープが書いているところです。

カープは、それこそシンギュラリティの始まり、ポストヒューマン時代の始まりをもたらすAGIへの期待は、AGIこそが現在の世界の懸案を解決してくれるという一種の「奇跡待望」の域に達していると言います。

例えば、サム・アルトマンは、AIのエネルギーコストは指数関数的に増大するが、AIの進歩に助けられて間近に実現する冷温核融合のブレークスルーが、飽くなきエネルギー需要を満たしてくれると考えています。エリック・シュミットも気候変動の目標は「どっちみち達成できない」から、AIインフラに全面的に投資すべきであり、むしろAIが気候変動の問題を解決する方に賭けたいと同様の見方を示しています(そして、やはりゲイリー・マーカスに厳しく批判されています)。

カープは、奇跡的でタイムリーな技術介入はまったくもって空想的なものであり、しかもこの奇跡頼みの推論は、SFとベンチャーキャピタル投資の分野でよく見られると指摘します。SF作家のチャールズ・ストロスは、優れたSFが悪しき公共政策につながる「SF脳の危険性」について何度か書いていますが、SFの仕組みやベンチャーキャピタル投資の仕組みは、科学の仕組みとは異なるとカープは断じます。

科学研究には時間がかかる。リソースも必要だ(が、イーロン・マスクはその両方を奪うことを即決した)。科学研究は一直線には進まない。奇跡を生み出すことはあるかもしれないが、期限を決めて行えることではない。そして、科学研究は常に面倒で争いがあり、発見、議論、反論の継続的なプロセスである。

私は以前、技術的必然性という神話について少し書いたことがある。その内容をかいつまんで言えば、現在のシリコンバレーには、「解決すべき最後の厄介な問題」さえ解決すれば豊かな未来が来ると思い込む悪しき傾向があるという話だ。しかし、科学の現実はどこまで行っても茨の道である。現在の難問を解決すれば、それに続く難問が次々と現れる。

こう書くと面白くないお話になってしまう。けど、仕事中の科学者に聞いてみれば、それが本当のことだと教えてくれるだろう。

ここにいたって、イーロン・マスク率いるDOGEによる、ティモシー・スナイダースコット・ギャロウェイが「クーデター」と呼ぶ暴虐、そして何より科学技術の基礎研究を支えるアカデミアへのドナルド・トランプ政権の敵視はいったいなんなのだろう、とどうしても思ってしまうわけです。

リベラル思想の温床である大学教育の弾圧という狙いは、分からないでもありません(支持はしませんが)。しかし、例えばイーロン・マスクだって、今の彼があるのは科学技術のおかげだろうに、アメリカが自分から科学大国の座を手放す意味が分からないと思ってしまうわけですが、以下の投稿を見たときに、「AGI一本足打法」というべき一点張りと、科学技術への攻撃がトランプ政権(を支えるテックオリガルヒ)の中で矛盾していないのかもしれないと思い当たりました。

「なんでいわゆる「左派知識人」叩きに留まらずサイエンス全体を攻撃するという、確実に米国の弱体化に繋がるであろうことをするのか?」という疑問についてですが。

自分が考える合理的説明のひとつは、政権周辺に「現在の科学は過度に教条主義的になり停滞しているが、AI/AGIがその停滞を打破するであろう」という立場の人物がいて、政権の意志決定がその影響を強く受けているから、というもの。つまりPeter Thielのことですが。

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— muchonov (@muchonov.bsky.social) 2025年3月17日 19:14

クラインの情報源が彼に語る話の一部は、確かに彼らの実験結果に基づいているのだろうが、自分には彼らの発言に「かすかな自暴自棄の匂い」を感じるとというカープの指摘は注目に値します。この自暴自棄の匂いは、過去にアメリカが培ってきた信頼を削りまくる現在のトランプ政権の各種政策にも感じますが、アメリカという国家もポイント・オブ・ノーリターンをもはや超えてしまったのでしょうか。

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yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。

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