
CC0 パブリックドメイン
CC0 パブリックドメイン
前項で、昭和40年代後半の『オール読物』誌上で、鬱屈の気配濃厚な初期の藤沢作品に初めて触れた旨、書きました。しかし、より正確に、藤沢にはもう十年ほど遡っての執筆歴があることを述べるべきだったでしょう。また、鬱屈の原因に関しても、やはり触れておくべきであったと思われます。本稿は、前稿よりも少し時間を戻さなければなりません。
この辺も周知のことではありましょうが、藤沢は、昭和24年に湯田川中学(現在の鶴岡市)で、国語と社会の教師としての経歴を始めます。生徒たちからも慕われ(この時の同窓生たちは長く藤沢を囲む会を続けたこともよく知られています)、既にこの段階で、同人誌に参加していますが、間もなく、肺結核が発見され、勤めを辞めて、東京の西郊の医療機関でかなり大きな手術を経験し、その後暫くは術後の療養のための五年ほどの時間を、上京してくれた母親とともに、然るべき施設で過ごします。
そこでは、静岡を根拠とする俳句の同人誌「海阪」を拠点に句作に励むことになります。後の彼の作品の舞台となる架空の藩の名前は、ここに由来します。昭和35年に妻となる同郷人を得て、本格的に業界紙で働き始めます。同時に、創作意欲黙し難く、勤めの合間に、小説を書くことに相当の努力を重ねたようです。昭和37年から『読切劇場』などマイナーな小説誌に次々に発表していた作品が、幸い今では『無用の隠密(未刊行初期短編)』(文春文庫、表題作を含め十五篇)として読むことができます。
しかし、まさにこの時期(昭和38年)に長女を得たものの、悦びも束の間、同じ年には妻を癌で失い、生まれたばかりの乳飲み子と男鰥夫が残されます。余りのことに、再び母が上京してくれますが、その母も病弱で病院通い、むしろ負担が増すとも言える窮状が続くことになります。「子供がいなかったら」、方向オンチの妻の西方浄土への道連れに、一緒に「行ってやるべきか真剣に考え」たという述懐は、真率のものだったでしょう。昭和40年代になって、『オール読物』のような一流の小説誌に作品が載るようになっても、心底に潜む悲哀は解消されていなかったと思われます。書くことで辛うじて絶望感から逃れるのでもあったのでしょう。昭和44年に再婚して、漸く家庭が落ち着いた後、昭和46年オール読物新人賞に輝いた事実上のデビュー作『溟い海』でも、その傾向は顕著でした。
自分でも気付いていた、こうした悲哀と鬱屈が作品の上に反映される状況が、徐々に解消されるのは、昭和51年に『小説新潮』に連載が始まった『用心棒日月抄』あたりからでしょうか。この長編小説(と言っても、連載の体裁上もあって、短編の連作の趣も備えています)の人物設定も、決して朗らかなものではありません。藩内の政治的対立が背景となって、許嫁の父親を斬殺し、脱藩して江戸に出た青江又八郎が主人公ということになります。
この顛末ですが、偶々洩れ聞いた藩の内部抗争の秘密を、許嫁の父親に語ったところ、その父親は抗争の一方に与していて、秘密を部外者に聴かれてしまったことに狼狽えた彼が、だしぬけに斬りかかり、咄嗟に抜き合わせた又八郎の剣が、いずれは義父になる人の命を奪ってしまった、という設定です。武家の作法から言えば、許嫁由亀(シリーズの後半には目出度く妻になりますが)にとって、又八郎は親の仇、彼も、彼女が敵討ちに来れば討たれてやる覚悟もないわけではない、という状況の中で、江戸での生計を立てるために、優れた剣術の技を売り物に、用心棒稼業を送ることになる、というのが基本のお話です。
加えて、複雑な事情から、例の密謀派は、江戸に出た又八郎を抹殺しようと、次々に刺客を送ってくるという問題も抱えながらの、江戸の暮らしです。シリーズを通しての常連としては、同業で、時に協力しあうことになる巨漢浪人の細谷源太夫、用心棒の口を世話してくれる口入れ屋の相模屋吉蔵、この作品では最後に女刺客として登場し、後には「江戸の妻」の立場になる佐知などが活躍します。
これが評判を呼び、『孤剣』、『刺客』、『凶刃』と後継シリーズが続くことになります(いずれも新潮文庫)が、この最初の作品には、面白い工夫があります。こうした登場人物の物語に、赤穂浪士の事件が絡んで同時進行する、という筋立てになっていることです。用心棒を頼まれた先の道場が、浪士たちの隠れ家であったり、最終段階では、江戸に下って隠れ家に落ち着く大石良雄(内蔵助)その人であったり、というわけです。
もう一つの工夫と思われる特徴は、主人公青江又八郎が両義的存在として描かれる、という点でしょう。つまり、脱藩したとはいえ、藩士としての立場が陰に陽に青江の行動を縛りますが、しかし、江戸での素浪人の生活は、基本的には裏長屋住まいの庶民と変わらぬ位置にいて、用心棒の依頼主をはじめとして、交わる人々も殆どが町人であり、武家社会ではなく、町人社会における一介の素浪人でしかない、という両義性です。無論二本差しているからには、あくまでも武士として扱われるのは当然としても、行動原理は、町人社会のそれに嵌っていることも疑いありません。例えば、用心棒の立場で守るべき相手が、豊かな町人の妾の飼っている犬だったりするわけです。武家物と市井物の双方の描き手として傑出している藤沢の手腕が、厳しく問われる文脈ということになりましょう。
女刺客として登場する佐知は、故郷の藩の秘密監察機関である「嗅足組」の責任者を父親に持つ組メンバーの一人で、最終作『凶刃』では、幕府との関係から組の解散をすることになり、江戸の組での始末を託された又八郎が、再度の江戸生活のなかで、剣技優れた佐知と協働して大敵に立ち向う、という趣向になっています。
シリーズとして四篇までを続けた、ということからも判るように、ストーリーテラーとしての藤沢の長所が遺憾なく発揮され、多数の読者を獲得し、藤沢の筆名は、これで確然としたものになったと言えましょう。周到に準備される様々な伏線、織り込まれる自然描写の美しさ、緊張感に満ちた筆の運び、その中に漸く姿を見せるようになった静かなユーモア、最初期の作品には見られなかったカタルシスの感じられる終末、どれをとってみても、最良の大衆文学の誕生であった、と言えるのではないでしょうか。
以降藤沢は、超多作と称してよいほどの、充実した執筆活動を重ねます。作家はあまり手の内を明かさないのが普通ですが、藤沢は、自伝的なエッセイのなかで、若い頃耽溺した外国映画や、ほとんど読みつくしたという海外のハードボイルド作品を参考にした小説造りの機微を明かしてくれています。
一例を上げれば、名匠フレッド・ジンネマンの異色西部劇に『真昼の決闘』という1952年作品があります。主役は町の保安官ゲイリー・クーパー、相手役にまだ瑞々しいグレイス・ケリー、冒頭のD.ティオムキンのバラード<High Noon>は幾つかの賞を受賞した名作でした。
こんな内容の映画です。西部のとある駅に、丁度正午に列車が到着する予定になっていて、その列車で、かつて保安官が逮捕した無法者が仲間と復讐にやってくる。保安官はその日がたまたま結婚式を挙げて、職を退き、町を去る予定だった。状況を知った町の人々は、難を懼れて誰も助けてはくれない。保安官と新妻は、完全に孤立無援な状況で無法者たちに立ち向うことになる。専ら二人の窮状を心理的、具体的双方で描き込んだ映画ということが出来ます。実は西部劇としては体をなしていない、という批判もあり、特に、自分を保安官に選びながら、誰も支えて呉れなかった町への怒りを籠めて、最後に妻と二人で町を去るに当たって、保安官(では最早なくなっているのですが)が法の象徴である<Tin Star>(保安官の星章)を床に投げ捨てる場面に、西部劇の王者とも言うべきジョン・ウェインは、憤激の言葉を残しています。
何故こんなことを長々と書いたかと言えば、藤沢は、この映画のテーマを江戸時代に移したらどうなるか、という試みとして、連作シリーズ『隠し剣秋風抄』(文春文庫)の中の「孤立剣斬月」を書いた、と明かしています。藤沢自身は、やってはみたけれど、成功したとは言えない、という意味のことを書いています(『本所しぐれ町物語』新潮文庫の末尾所収の
藤田昌司氏との対談「藤沢文学の原風景」)。一読者としては、特段失敗作とは思えず、楽しんだ記憶が残っていますが。
藤沢は、そのほかダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、E. S. ガードナー、エド・マクベインといったハードボイルド小説も濫読していて、それらも「彫師伊之助捕物覚え」シリーズの『消えた女』、『漆黒の闇のなかで』(新潮文庫)などが生まれるときの主要動機となった、と言います。彫師伊之助はかつて岡っ引きであった過去を持ち、出版のための版下彫の職場で働く職人という設定で、仕事の傍ら、やむを得ぬ事情から、時に岡っ引きつまり探偵役を務める羽目になる、という物語のシリーズです。フィリップ・マーロウ張りの孤影が特徴のキャラクターに仕上がっています。
又八郎や伊之助のような、一人の主人公の生き方を連作で描くシリーズものは、藤沢作品のなかでも目立ちます。好漢立花登を主役にしたシリーズ『春秋の檻 獄医立花登手控え』(講談社文庫)に始まる『風雪の檻』、『愛憎の檻』、『人間の檻』の四部作も評判を呼びました。
誰もが藤沢の代表作と断ずるのは、1986年からほぼ一年間に亘って故郷の山形新聞に連載された長編小説『蝉しぐれ』(現在は文春文庫)でしょう。海坂藩の政治的内紛の犠牲となって父親を切腹という形で失った牧文四郎を描いた傑作です。父の遺骸を大八車に乗せて山道を必死で引く、誰も助けてくれぬ最中、幼な馴染みの少女おふくが、健気に車を押す場面、長編の初めの部分ですが、何とも感動的な、香り豊かな文章が圧巻です。同時に文四郎とおふくとの長い運命のもつれの始まりでもありました。
この作品の終末近く、運命に弄ばれて別の道を歩んできた二人が、初めて心を(躰も)寄せ合う場面での、おふくの次の言葉ほど感動的な文章はめったにおめにかかることのできないものでした。
「文四郎さんの御子が私の子で、私の子が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」。
おふくは、この後出家して俗界を捨てる道を歩むことになるのですが、去ってゆく二人の上に蝉しぐれが降り注ぐ。穏やかな雰囲気の中で発せられるこれほど哀切な、そして極限までの思いの籠った文章を、小説に見出せる幸福を読者は味わうことができるのです。
このペースで、好みの作品について語っていたら、とても紙幅が足りません。総括的なコメントで、藤沢周平の項を終わりましょう。武家社会にせよ、一般の町人の世界にせよ、江戸時代、或いは過去の時代を扱った娯楽小説は、吉川英治、山岡荘八、柴田錬三郎、などなど、山ほど書かれて来ました。山本周五郎と池波正太郎を外したのは、別に論じる機会を設けたいからです。そうした小説の主要部分の一つ、斬り合いの場面で、藤沢作品の他に見られない特徴は、端正な描写に徹することだと思います。読者に迎合しない、しかし、眼に見えるような精密かつ簡潔な記述、それが藤沢作品をユニークなものにしています。その点は、藤沢の扱う人物が、仮令兵法に優れ、剣技に抜きん出ていても、人並みを外れた超人的な英雄豪傑とは無縁の人間であるところと重なり合います。
さらに、藤沢の描く人間関係は、男同士の「友情」にしても、男女の「恋情」にしても、極めて豊ではあっても慎ましやかに抑制されている点にも注目しておきましょう。『三屋清左衛門残日録』は、特に私の愛する作品ですが、清左衛門と佐伯熊太との間柄であっても、あるいは清左衛門と料亭の女将みさとの関係でも、深い思いやりはお互いに常にありながら、実に爽やかに描かれています。みさは、店を辞めて故郷へ帰る決心をした際、守ってきた清左衛門への思いに関して自分に課した則を僅かに越えようとする、そうした場面が設定されますが、それも二人の良識のなかに収まります。
もう一つ、これも誰でも言うことかもしれませんが、小説の随所に挟まれる1パラグラフほどの自然描写が実にみごとな効果を上げている点に触れておきましょう。