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スーパー書評「教義の基本を為す聖典」
 『創世記』関根正雄訳 岩波文庫

2025.08.18

Updated by Yoichiro Murakami on August 18, 2025, 15:51 pm JST

最初に断っておきたいのは、『創世記』は本来はユダヤ教の経典であり、イスラム教、キリスト教ともに、教義の基本を為す聖典を構成し、キリスト教では『聖書』の前半「旧約聖書」という形で、信仰とともに語られるべき書である。しかし、ここでは、純粋に読み物として取り上げたい。

幸い『聖書』の形をとらない訳が、この領域の世界的権威である関根正雄氏の訳として岩波文庫にある。それゆえ、成立の事情なども、一切捨象して、古代ヘブライ語で書かれた、ユダヤ民族に古くから伝わって来た書物(の最初の巻)というだけの前提で、考えてみたい。というのも、いろいろな機会に、企業の中心的な場所で働く方々と話をするのだが、小学校などで、キリスト教ミッショナリーの経営する環境におられた、比較的少数の人々を除けば、『聖書』を読んだことはない、という方が大部分であることを知らされるからである。

世界宗教と言われるユダヤ教、イスラム教、キリスト教が支配する地域において、信じる、信じないに関わらず、文化的伝統として誰もが前提としているこの物語を知ることは、それらの地域に生まれた文化遺産を理解する上で、決定的に重要なポイントとなる。その点で、宗教を離れても、文化の基盤となるエピソードが、様々に散りばめられている本書に接しておくことは、無駄ではない。

創世記は、文字通り世界と人類が誕生し、その後どのような経過を辿って「現在」があるのか、という点をユダヤ民族の視点から記述した、壮大な物語である。全部で五十章からなり、その物語は、そこで終わらずに、『旧約聖書』では次の章に当たる「出エジプト記」へと更に繋がるが、ここではそこまでは立ち入らない。

では第一章から読んで行こう。ここでは、天地、星辰、大地、空を飛ぶ鳥、大地、大海に生きる生き物のすべてを、6日間で、神が創り上げた有様が語られる。そして6日目には、自らに似せた存在である人間を、男と女として創る。単に創っただけではなく、それまでに造り上げた世界(生き物たち)を支配するように、人間に命じたのだ。

既に、この件に、後世が問題にする一つのポイントがある。例えば、人間が科学・技術を駆使して、恣に自然を収奪する「近代」の姿の出発点がここにある、として、こうした神の言葉を伝統に持つユダヤ・キリスト教圏のあり方を糾弾する人々が現れているからだ。

それはともかく、ここでは、はじめて創られた男と女(まだ名は与えられていない、因みに、この章では神の名にも言及がない)が、生きて、繁殖していくために、神が用意した食物としては、木の実、草の類が挙げられていて、言わばこの段階での人類は「草食」と限定されている。そして、最後に、6日間の創造の結果を神は自ら満足して受け入れ、7日目に、休息をとられた、という。七曜の一日を「休息日」(或いは「安息日」)に当てることは、ここに始まる。

この習慣は、宗教的文脈では非常に厳密で、例えば現代イスラエルの高層ホテルでは、各階留まりのエレヴェーターが少なくとも一基用意されている。求める階のボタンを押すことさえ、原理主義的ユダヤ教信者にとって「安息日」には慎むべきことになるからだという。ボタンを押すと、電気的に火花が飛ぶことが、「火を起こす働き」に繋がるからだ、と解釈されているようだ。

話を戻す。第二章は、第一章と内容上重なる個所も多いが、それは、元々この書が、複数の資料を併せた物語だからである。ただ、神の名として、この章で「ヤハウェ」が登場する。念のためだが、関根訳では「ヤハウェ」と表記されるこの名前は、ヘブライ文字をローマ字化して書けば通常<JHVH>とされるもののカタカナ化で、かつては「エホバ」もしくは「エホヴァ」とカナ書きされていた。

ヘブライ語も含むセム系の言語では、多くの場合子音を示す三つの文字で、一つの語が表記される。例えばアラビア語で<KTB>という三つの子音は、「書く」ことを意味し、それぞれの子音に、どの母音を附すかによって、「書く」ことに関連する様々な言葉が生まれる。例えば<KiTaB>と言えば「本」を意味し、三つのすべてに<a>を附せば、つまり<KaTaBa>は、「(彼は)書いた」という意味になる。

ヘブライ語の<JHVH>に戻れば、「神の名」という特殊な事情で、子音は四つになっているが、どのように母音を付けて読むべきか、という点で、かつては<JeHoVaH>と読み習わしていたのを、現在では<JaHaVeH>とする方が、実際に近い、というように理解が進んで、「ヤハヴェー」あるいは関根訳のように「ヤハウェ」と書かれるようになった。

この章では、人間の創造の有様が、改めて詳しく語られる。最初に創造された人(ヘブライ語で「土」を意味する「アーダマー」の変化形で、所謂「アダム」の語源である)は、「土」から造られて神の息吹を吹き込まれたとされるが、それは結局「おとこ」(イーシ)とされ、彼は神の命令で、すべての生き物に名前を付ける作業をした。神は、「おとこ」には相応しい助け手が必要と考え、彼の肋骨の一本を材料に、「おとこ」に相応しい助け手を創造した。彼は、新しい人間を、自らの骨と肉から造られた「分身」とみなして、「おんな」(イシャー)と名付け、エデンという美しい環境の中で、ともに裸であるにも恥じず、暮らし始めた。

ただ、その前に、人(アダム)は、神から重要な禁止事項を告げられていた。この、エデンの木の実は、一つの例外を除いて、どれを食べてもよい、ただ、例外は、善悪を知る樹「智慧の木」で、この実を食べると、死ななければならない。

第三章で、穏やかに暮していた二人に、大変事が起こる、いわゆる「堕罪」である。神の造った生き物のなかで最も狡猾な存在であった蛇が主人公となる。蛇は、「おんな」に向かって「智慧の木」の実を食べるようそそのかす。「おんな」は誘惑に負け、その実を食べ、夫であるアダムにも食べさせる。忽ち、自分たちが裸であることに気づき、イチジクの葉で、被いものを作る。神はそれを知って、責任のある蛇に呪いをかけ、「おんな」には「子を産むときの苦しみ」を与え、「夫」の被支配者となる、という罰を、そしてアダムには、食を得るために土と格闘する労働の労苦と、かつて創造時の材料であった「土」に帰る(死ぬ)ことを運命として受け入れねばならぬと言う。そして、智慧の実を食べて自分(神)と同じように善悪を知るようになった彼らは、いずれはエデンの中央にある「生命の木」から実をとって、永遠の生命を得るかもしれないから、彼らをエデンから追放する、と宣言する。「失楽園」とされる現象である。なお、この段階で、夫アダムは妻を「エヴァ」と名付けたことが記されている。

宗教の次元では、このことが、所謂「原罪」つまり人間が生れ乍らに身に着けている罪、神の言への背き、と言われるものである。もう一言付け加えれば、後世「救世主」(メシアハ)というのは、その罪を背負って、人間の全ての罪を神の前に購ってくれる存在とされるようになり、キリスト教では「ナザレのイエス」こそがそれ、と信じ、ユダヤ教では未だ「メシアハ」は世に来ていない、と考える点で、違いが生じる。

ここで更に脱線をする。誰でも疑問に思えるのは、全知全能とされる神が、何故、わざわざ禁断の「智慧の木」などを創り、また「邪悪な」蛇を創って、人間を誘惑させ、また女性が簡単に誘惑に負けてしまうような仕組みを用意したのか。もともと、蛇など創らず、自分の言に逆らわないように人間を創っておけば、そんな問題は起こらずに済んだではないか。この問いに応えることこそ、宗教理解、あるいは人間理解の本質に繋がるとも考えらえるが、ここではこれ以上の言及は慎もう。

その後、第四章では、アダムとエヴァの二人の間に生まれた最初の子供たちカインとアベルの物語(兄カインが弟アベルを殺してしまう、兄弟確執の物語)を経て第五章から第十一章までは「ノアの洪水」、第十一章には、これも有名な「バベルの塔」の事件、第十二章からはアブラハムの登場へと話は展開するが。ここでは、それを予告するに止めたい。

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村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。

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