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今こそ「弁護士国家」米国は「エンジニア国家」中国に学ぶべきなのか?

今こそ「弁護士国家」米国は「エンジニア国家」中国に学ぶべきなのか?

Updated by yomoyomo on September 19, 2025, 06:30 am JST

yomoyomo yomoyomo

雑文書き/翻訳者。1973年生まれ。著書に『情報共有の未来』(達人出版会)、訳書に『デジタル音楽の行方』(翔泳社)、『Wiki Way』(ソフトバンク クリエイティブ)、『ウェブログ・ハンドブック』(毎日コミュニケーションズ)がある。ネットを中心にコラムから翻訳まで横断的に執筆活動を続ける。

前回の文章でも名前を出した政治学者のヘンリー・ファレルが、アブラハム・ニューマンと『武器化する経済 アメリカはいかにして世界経済を脅しの道具にしたのか』の続編というべき「武器化された世界経済」という文章をフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿しています。

これは、中国の台頭により、米国が技術的、経済的な要所を独占する唯一の超大国ではなくなった「武器化された相互依存」の世界に向けて秩序を組み直す必要があることを説くものですが、ファレルらはトランプ政権がその変革を遂行するのに適格とは考えてないようです。

米国にとっての問題は、トランプ政権がまさに米国の利益を推進し、対抗措置から守るために必要な資源を削っていることだ。核兵器開発競争時代に米国は、長期的な優位性を推進する機関やインフラや兵器システムへ歴史に残る投資を行った。しかし、トランプ政権は今、それらの強みの源泉を積極的に損なっているように見える。中国と応酬する中で、直面する複雑なトレードオフを乗り切るのに必要な専門知識の体系を自ら引き裂いているのだ。どの政権も空を飛びながら飛行機を組み立てることを強いられるが、3万フィートの上空でエンジンから思いつきで部品を引き抜く政権はこれが初めてである。

ヘンリー・ファレルは「テック単独覇権の黄昏」という文章で、AIの開発競争と米国の力を結びつける世界観が崩れつつあることにこれと同じ構図が見られることを指摘します。

ファレルが着目するのは、人工知能国家安全保障委員会の委員長として、バイデン政権下で、汎用人工知能(AGI)の開発で米国が中国に先んじるのが国家安全保障面でも重要であり、そのために米国は半導体の支配権を握り、中国のAI開発を遅らせるべきというナラティブを担ったエリック・シュミットの言説の変化です。

米国が先進半導体への支配力を利用してAGIを先に実現でき、かつAGIが自己改良と多くの分野での技術進歩を同時に遂げれば、米国は技術的優位性と長期的な支配を確固たるものにでき、中国に対する影響力の低下など取るに足らないものとなるという、シュミットらシリコンバレーのテクノクラートとワシントンのコンセンサスは、AGIへの賭けが失敗だと大半が崩れ去ります。

シュミットは、およそ半年前にはウォール・ストリート・ジャーナル紙に寄稿した「AIは新たなルネサンスをもたらしうる」で、AGIの未来像が徐々に形を成しつつあり、世界のトップ科学者並みの知的能力を発揮するAIシステムが間もなく登場し、AGIは人類が直面する最も差し迫った課題の解決に貢献できると煽っていました。

しかし、先月ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した「シリコンバレーはアメリカの他の地域とのつながりを失いつつある」で、シュミットはまったく異なる主張をしています。

汎用人工知能がいつ実現するかは不透明だ。シリコンバレーがこの目標達成に夢中になるあまり、一般市民を疎外し、さらに悪いことに既存技術を活用する重要な機会を逃しているのが懸念される。汎用人工知能の目標だけに固執することで、わが国は中国に遅れを取るリスクを負っている。中国は人間を超える強力なAIの開発にはほとんど関心を示さず、むしろ現在ある技術の活用に注力している。

あれだけAGIを煽っていたシュミットが、2022年のChatGPT登場以来、AIの能力は驚異的な飛躍を遂げたが、依然として人間を超える知能を構築する明確な道筋を見出せていないのを認めています。AI開発に膨大な資金が流れ込むことによるシリコンバレーの熱狂の反面、2030年までに超知能AIが人類を支配または絶滅させかねないと予測する「AI 2027」など、AIを巡る言説が終末論めいてくる一方で、ベイエリア以外の米国の一般大衆がAIに冷め、しらけつつあるのをシュミットは危惧します。

そして、シュミットが特に恐れるのは、実用重視なAI戦略のもと、スマホアプリをはじめとしてあらゆる分野でAI統合を進め、国民がAIに対してより楽観的で好意的な中国との対比です。

米国の主要テクノロジー企業が汎用人工知能への一番乗りという不確かな目標を競い合う一方で、中国とその指導部は、製造業や農業からロボット工学やドローンにいたるまで、既存技術を従来からある分野にも新興分野にも幅広く展開することに注力してきた。汎用人工知能に固執しすぎると、AIが日常にもたらす影響を見失う危険性がある。我々は両方を追求する必要がある。

そしてファレルは、ダン・ワンの新刊『Breakneck: China’s Quest to Engineer the Future』の議論を踏まえ、中国がエネルギー技術で飛躍的に先行すれば、世界各国は米国よりも中国の勢力圏に引き込まれる可能性が高いと考えています。そこで独自の国家資本主義に突き進む米国が、中国への依存について暗い警告を発しても、「相互依存」を利己的な目的のために武器化する米国の姿勢を痛感する国々には空虚に響くに違いありません。

ダン・ワンの『Breakneck』は先月出たばかりですが、既に大きな評判になっています。書名を訳せば、『猛スピード:未来を設計する中国の探求』になるでしょうが、この本は単なる中国本ではありません。その序文から引用します。

アメリカ人と中国人ほど似ている民族は他にないだろう。

両国とも、往々にして下品な物質主義が横行し、成功した起業家への崇拝を生むこともあれば、並外れた悪趣味を露呈することもあり、概して激しい競争精神に寄与している。中国人もアメリカ人も現実主義者だ。「とにかくやり遂げる」姿勢を持っているが、それは時に手抜き仕事を生む。両国とも近道、特に健康や富への近道を売り歩く詐欺師が溢れている。国民は技術の崇高さ、すなわち物理的限界を押し広げる壮大なプロジェクトに畏敬の念を抱いている。米中ともエリート層は、一般大衆の政治的見解にしばしば不安を抱く。それでも大衆とエリートは、自分たちの国は比類なき強国であり、小国が同調しないなら強く出るべきという信念で結ばれている。

アメリカ人と中国人ほど似ている民族は他にないのが本当としても、米国と中国は国としてまったく異なります。その違いは何からくるのか? 「社会主義、民主主義、新自由主義といった前世紀の陳腐な用語で論じるべきではない」と著者は考えており、その代わりに『Breakneck』では「弁護士国家」米国と「エンジニア国家」中国という新た(でキャッチー)な視点を提示します。

著者のインタビュー記事「中国が驚異的な速さでインフラを建設できる理由」から引用します。

ワンの議論は、それぞれの国のエリート層の職業的背景に着目している。ワシントンでは政治家の多くが法律の専門家である一方、北京では幹部の多くが土木工学や防衛工学を学んでいる。若き日に何を学ぶかが、のちの統治スタイルに深く影響するという仮説である。弁護士は遵法や忍耐を重視する。エンジニアは素早く、大規模に物事を進め、コストの精算は後回しにする傾向がある。

ヘンリー・ファレルは「プロセス知識は経済発展に不可欠である」という文章で、『Breakneck』が中国と同じくらい米国についても書かれた本であることを指摘した上で、彼がこの本で示す最大の教訓は「プロセス知識」の重要性だったと指摘します。

ワンはそのあたりを『Breakneck』で以下のように書いています。

ある人物がiPhone工場で1年働き、翌年には競合他社の携帯電話メーカーに移り、その後ドローン会社を起業するかもしれない。深圳のエンジニアが新製品のアイデアを持てば、意欲的な投資家ネットワークに容易にアクセスできる。深圳は、工場経営者、熟練技術者、起業家、投資家、研究者が集い、世界最高峰のハイエンド電子機器生産経験を持つ労働力と交わる技術実践の共同体なのだ。

これだけ読むとかつてのシリコンバレーを彷彿とさせますが、ワンは中国と米国の決定的な違いについて以下のように書きます。

シリコンバレーもかつてはこうだったが、今ではその連環における極めて重要な要素――製造労働力――が欠けている。こうしたエンジニアリング実践コミュニティの価値は、単一の企業や技術者よりもずっと大きい。むしろ、技術エコシステムとして捉えなければならない。アメリカの想像力は、製品の工具や設計図の作成に過度に集中してきた。(中略)中国を模倣しようとする政府機関は、深圳の本質を理解していなかった。彼らは依然として個人発明家に注目し、エンジニアリング実践のコミュニティとして理解しようとはしなかった。

米国の投資家が、ソーシャルメディアや検索エンジンのようなデジタルプラットフォームや設計に注力するファブレスの半導体企業に熱心なこと、そして米国の政策立案者が製造業のプロセス知識の重要性に理解不足だったことにワンは批判的です。中国が、携帯電話メーカーが自社のノウハウを活用して安価な電気自動車を製造する手法を編み出すような、低賃金産業をプロセス知識の宝庫へと変貌させたのに対し、米国は基礎研究や基礎科学が商業的優位性に直結する複雑な産業では優位性を維持していますが、その一方で政策立案者は、多くの製造業が完全に空洞化するまで海外移転を傍観しました。

そしてファレルは、製造業に適切な注意を払わないことが、深刻な地政学的結果を招く可能性を指摘します。米国と中国がガチの対立にいたった場合、ソフトウェアの米国とハードウェアの中国のいずれが優位に立つでしょうか? ワンの答えは、「アルゴリズムだけでは戦いに勝てない」で、国家安全保障に関わる多くの人々がこれに同意するでしょう。

トランプ政権による、中国に正面対応することを諦め、海外に駐留する米軍の撤退する方針変更の背景に、米国の防衛産業は完全に中国からの輸入に依存している現実があるという話もそのあたりを裏付けるものに思えます(余談ですが、防衛テック企業を起業したパルマー・ラッキーのインタビューは、そうした意味でとても興味深い内容と言えます)。

そうした意味で、トランプ政権が目指す製造業の国内回帰は必ずしも意味がないわけではないのが分かりますが(単に大統領の頭の中が80年代後半で止まっているだけという説もありますが)、熟練人材の不足という現実があり、何よりワンが強調するプロセス知識の理解なしには容易ではないでしょう。

ワンは保守系公共政策シンクタンクのフーヴァー研究所のフェローですが、『Breakneck』の議論は、トランプ政権が目指す製造業の国内回帰だけでなく、意外にもリベラルのエズラ・クラインとデレク・トンプソンの『Abundance』における「豊かさ」実現のためリベラルはどう変わるべきかの議論にも共鳴するところがあります(ファレルも、即物的な消費主義ではなく、住宅やコミュニティを基盤とする物質的安定による「良き生活」のビジョンの実現にもプロセス知識が必要と強調しています)。

この議論を見る限り、米国よりも中国に未来があるように見えますが、ワンは『Breakneck』で「エンジニア国家」中国の欠点と政策の失敗についても章を割いています。彼のインタビュー記事から引用します。

エンジニア国家は、社会や経済の多くを単なる工学的な課題として扱ってしまうことがあります。人口に対しても、かつては子どもを産まないようにと誘導し、いまではもっと子どもを産むようにと方向転換しています。経済に対しても、利益を生む産業から国家利益にかなう産業へと過度に傾斜させる。こうした試みはしばしば裏目に出ます。なぜなら経済や社会は、巨大な水力ダムのように単純なシステムではないからです。

そして注意すべきは、ワンは中国がこれからもプロセス知識を維持できるとは確信していない点です。エコノミストのノア・スミスも、『Breakneck』を絶対に購入すべき本と称賛しながらも、ワンが強調する米中間の差異は、「弁護士国家」と「エンジニア国家」の文化的差異よりも、両国の発展段階が違うだけではないかと懸念を表明しています。

つまり、貧しい国ほどエンジニアを必要とし、その国が豊かになるにつれて必要な人材がエンジニアから法律家に移っていくのではないかということです。スミスは、1920年代から1960年代の米国が、現在の中国と同じくらい世界の製造業を支配していたこと、かつても米国の政治家の大半が弁護士だったが、技術者が自由に活動できる政策を策定したことを「弁護士国家」としての米国の反例として挙げています。そしてスミスは、チャルマーズ・ジョンソン『通産省と日本の奇跡』を引き合いにしながら、官僚機構が伝統的にほぼ法学部出身者で構成され、官僚による行政によって政策が決定された日本での高度経済成長を「成長にブレーキをかける弁護士国家」の反例として挙げます。

スミスが言うように、国が豊かになれば、「とにかく作れ」という技術者的な文化から、弁護士や経済学者が支配する細かい規則と手続きにこだわる文化へと移行するのが宿命なのだとしたら、中国もいずれは「エンジニア国家」から「弁護士国家」に変わるのでしょうか。

世界最大の企業のAppleさえも中国に依存し、取り込まれている実態を描く『Apple in China: The Capture of the World’s Greatest Company』を読むと、そういう日が来るのはなかなか想像できないわけですが、中国政府の強力な権威主義体制が「弁護士国家」が果たす役割を担っている面もあるのかもと思ったりします。

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