撮影:原正彦
The house in Göttingen where Dr. Nishina lived
Updated by シュレディンガーの水曜日事務局 on October 10, 2025, 08:00 am JST
シュレディンガーの水曜日事務局 Schrödinger
オンラインイベント「シュレディンガーの水曜日」の運営事務局です。東京工業大学・物質理工学院・原正彦研究室で始まった、WirelessWireNewsが主催するオンライン・サイエンスカフェです。常識を超えた不思議な現象に溢れた物質科学(material science)を中心に、日本の研究開発力の凄まじさと面白さを知っていただくのが目的です。
今まさに、今年2025年のノーベル賞の発表が行われています。そして、生理学・医学賞、化学賞と、日本人研究者の受賞が続いています。
日本人のノーベル賞受賞者は、1949年の湯川秀樹博士に始まり、1965年の朝永振一郎博士へと続き、現在に至ります。考えてみますと、戦後間もない時期に、世界で評価される最先端の研究を行うことが出来た背景には、1946年に理化学研究所(理研)の第4代所長に就任した物理学者、仁科芳雄博士の功績が大きく影響していると考えられます。
1920年に理研の研究員補となるやいなや、翌年の1921年に、仁科博士に2年間のヨーロッパ留学を許した理研。そして、もっと学びたいという気持ちから、理研からのサポートが終わる1923年に、デンマークのニールス・ボーア(Niels Bohr)博士に直接手紙を書いた仁科博士。そして、博士号を取る前の、それも日本から来た若者を5年以上サポートしたボーア博士。そこに「科学者たちの自由な楽園」の源泉を感じます。
写真は、そのニールス・ボア博士に宛てた手紙に書かれた、当時の仁科博士の住所を頼りに探しあてた、彼が住んでいたゲッチンゲン(Göttingen:ニーダーザクセン州・ゲッチンゲン郡)の家です。どの窓の部屋にいたかは定かではありませんが、仁科博士は、この窓からドイツの風景を眺めながら、デンマークのボーア博士への手紙を綴っていた、ということになります。つまりこの建物に日本のノーベル賞の原点があるのかもしれない、と考えることもできるわけです。
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なお「シュレディンガーの水曜日」は、リサーチャーの皆さんを対象に、来る11月19日(水)に「理化学研究所・仁科芳雄博士はニールス・ボーア研究所から何を持ち帰ったのか」をテーマとするお気軽な雑談会を実施します。詳細はこちらから。無料です。